3.今こそ通れ願ひのままに
今回は
司書の先生には「珍しいものを借りるね」と言われたが、蒼雪は「親戚がいまして」などと表情一つ変えずに嘘を吐き出す。
「そういえば先生、この前井場先生にここでお会いしましたけど」
「ああ、うん。良く来るよ。だいたい声が大きいから僕としては静かにして欲しいんだけどね」
カウンターのところでバーコードを読み取り、手続きをしていく。卒業アルバムや年報を借りたことのある生徒がどれほどいるのか、もしかすると実鷹たちが初めてなのかもしれない。
積み上げられていくものの中に、答えはあるのだろうか。首を括り、沈められてしまった生徒のことも。
「井場先生が借りるのってやっぱりスポーツ関係のものなんですか?」
「いや? 推理小説というか、警察官が活躍するものが多いんだよ。意外だろ」
さも世間話のように紡がれた蒼雪の問いに、司書の先生は何を隠すこともなくさらりと答えた。特に誰が何を借りたとか、詳しい話をしているわけでもない。一応プライバシーというものがあるような気はしたが、構わないと司書なりに判断したのだろう。
そもそも井場が小説を読むというのが、実鷹には想像ができなかった。読書をするよりも体を動かしている方が好きそうな印象がある。
「返却期限は二週間後、期日厳守で頼むよ」
「分かりました、二週間後ですね」
「雨だから、濡らさないように気を付けて。はい、ビニル袋。入るかな」
「ありがとうございます。気を付けます」
二人してビニル袋に入れてもらったアルバムや年報を抱えて歩く。上履きの底と廊下とが擦れる音が、雨の中で相変わらず響いていた。
手の中にあるものは、別に重いものではない。だというのに、どこかずしりとしている。
「このまま
「そうだな……佐々木、悪い。ちょっとこれ持っててくれるか」
廊下の途中で立ち止まり、蒼雪が抱えていたものを実鷹に渡す。それをおとなしく受け取れば、蒼雪はその中から薄い冊子を一冊引き抜いた。
表紙は薄い黄色、そこには黒で月波見学園男子部寮生名簿と印字されている。
「寮生名簿?」
「そうだ。八年前の四月だから、君の兄の名前もあるな」
「あ、そうか……そう、だね」
八年前の四月、兄はまだこの学園にいた。そして五月のゴールデンウィークに家へ帰ってきて、そして実鷹に七不思議の話を聞かせたのだ。
本当は駄目なんだけど、調べているんだよ。兄は駄目だと分かっていながら、調べたのだ。
「お兄ちゃんはどうして、七不思議を調べようと思ったのかな……」
「そういえば君は、兄にどこまで七不思議を聞いたんだ? むっつめは?」
「むっつめまで聞いたよ。それでななつめを内緒で教えてあげようって言って……」
「その時のむっつめ、どっちだったか覚えてるか?」
「え、あ……ごめんよく覚えてない。開かずの扉か人皮の本か、どっちだったんだろ」
七不思議のむっつめは、どこかで入れ替わっている。それがいつであるのかは分からないが、少なくとも二十年前に
どうして入れ替えなければならなかったのだろう。どうしても図書室にしたかったのか、それとも
「
「ごめん……」
「いいさ別に。その後に君のお兄さんは行方不明になってる。それにここへ来てから聞いたむっつめは、人皮の本だろう、分からなくなってもおかしくはない」
七月、蝉が鳴いていた。
学校のプールから帰ってきたところで、実鷹はその話を聞いた。ずるりと手からプールバッグは落ちていって、その音がやけに耳に大きかったのだけは覚えている。
「他には、何か聞いたか?」
「嘘には少しの真実を混ぜると、
「そうか」
「トモは嘘の中に本当を混ぜるって間違えてたけど」
何が嘘で、何が本当なのだろう。
七不思議がすべて嘘ではないのは、蒼雪の持っていた
ならばみっつめはどうなのだろう。体育館で踊る少女の亡霊。この学園には存在しないはずのもの。
「なあ、佐々木はお兄さんから同室者について聞いたことはあるか?」
「ええと……ヒロ、って呼んでた」
寮生名簿を捲り、蒼雪の指がその上を滑っていく。そしてある一箇所で彼は指を止め、そのページを実鷹にも見えるように大きく開く。
いくつも並んだ名前の中、ある一部屋のところ。
「これだ、佐々木
八年前の月波見学園。
寮生名簿に嘘があるはずもない。それはただの記録であって、誰かが書き換えるようなこともない。
「芳治さんが、お兄ちゃんの同室者?」
「そうなる。ありがとう佐々木、あとごめん、次年報」
言いながら蒼雪は寮生名簿をビニル袋のところに戻し、今度は光沢のある紙に印刷された年報を引っ張り出す。
年報は生徒にも毎年配られている。学園長のことばと、特奨生の名前、活躍している卒業生、そんなものが書かれているはずだが、実鷹はあまり興味がなくてきちんと読んだことはなかった。
「……
年報の中身を確認した蒼雪が、ぽつりと言葉を落とした。
薄暗い廊下の片隅、通りがかる人は誰もいない。ひっそりと静まり返った中で、雨の音だけが聞こえてくる。アルバムだとか卒業文集だとか、そんなものをすべて抱えていると少しだけ腕が痛い。
「放下僧?」
「放下とは、
仇を討つ。
どうしようもなく遠い話のように思える。けれど過去の日本では確かにそれがあって、
「
当時の武士というものが、どんなものであったかは分からない。けれど現代と異なり彼らは武器を持っていて、それは簡単に人の命を奪えたものでもある。
「牧野の子である
闇討ちされて殺された父の仇を追い、己の姿すらも変える。
まして当時は車も電車もない、移動手段ともなれば徒歩か馬だ。馬となれば武士が使っていそうなものであるし、おそらく彼らは徒歩だったのだろう。
仇である利根を探し、そのあてはあったのだろうか。なかったとしても日本全国を隅々まで歩き回るつもりだったのだろうか。
「
殺した相手のことを、忘れているとは思わない。となればその子に恨みを抱かれてもおかしくはないと、その自覚はあったのだろう。
自覚があるのならば最初から殺さねば良いのにと思ってしまうのは、ただの現代人の感覚なのか。
「
その
「ありがとう佐々木、半分持つ。どうやら解を得るのは近そうだ」
「俺にはさっぱり分からないんだけど?」
「きちんと教えるさ、後で。やはり『
手にしていた年報を、蒼雪が開く。どこかの黄門様の
高校部三年生のところに、一人。
「芳治さんは、
「月波見に愛着があった、とか」
「それなら事務員でなくても良い。教師で良いんだ。けれど教師ではなく、わざわざ事務員なんだ。しかも彼は月波見の特奨生で、他の職業だっていくらでも選べただろう。つまり、わざわざ選んでここの事務員になったということだ」
月波見学園に戻るだけならば、事務員でなくても良い。選択肢はあったはずなのに、芳治はわざわざ事務員として戻って来ている。
教師と事務員と、何が違うのだろう。どちらであっても月波見に戻ってくることに変わりはないのに。
蒼雪に「行こう」と
「芳治さんに話を聞くのはもう良いのか?」
「いい、大方の予想はついた。別に旧校舎の鍵なんて借りなくても良かったんだ」
教室棟を通り、階段を下り、下駄箱のところで上履きを下履きに履き替える。ばらばらと雨が降っていて、それでも蒼雪は旧校舎の前へと足をすすめていく。
旧校舎の入口は、大きなガラス扉。その向こう、竹村竣が死んでいた階段がある。
「そこ、閉まってるだろ?」
「俺はひとつめの十三階段の話をしたときに、言わなかったか」
持ってくれとビニル袋を再び渡されて、実鷹はそれに従う。ガラス扉はいつも見るものと変わりなく、外と旧校舎とを分断している。
蒼雪は何かを確認してから、「そうか」と言ってガラス扉に手をかけた。
「人間とは思い込むと、そうとしか思えなくなる生き物だ、と」
音を立てることなく、旧校舎の扉が開く。どこか埃っぽい空気が流れてきて、雨のにおいと混ざって消えていく。
そこは確かに、扉が閉まっているはずだった。そこは確かに、鍵がかかっているはずだった。
何故ならそこは、いつも閉まっていたからだ。
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