2.ごとりと落ちて、ぎょろりと見る
翌日、昨晩降り始めた雨は止んでいなかった。しとしとと降る雨はどこか冷たくて、七月が近付いてきているというような気温でもない。少し肌寒いくらいの中、それでも教室の中は生徒がいるからか寒いほどでもない。
1年5組の
兄のときはどうだったのだろう。兄は行方不明で、未だ死んだという確定もない。生きているのか死んでいるのか、
ぼんやりと降り続く雨を見ていた。先生の話をきちんと聞かなければと思うのに、右から左へと通り抜けて行く。雨は徐々に激しさを増して、やがて窓ガラスを叩くまでになった。
「サネ」
ホームルームが終わり、放課後。
教室の中はざわついていて、少しうるさい。知希の机の周りには誰もおらず、机の上の花だけがその存在を主張していた。
「なあ、お前ら
「いや俺らは何も。なあ、サネ?」
突然声をかけてきたクラスメイトは、何のつもりで実鷹たちに知希のことを聞こうと思ったのだろう。あれから何日か経過して、けれど知希はどこにもいなくて、机の上の花だけが彼の死を伝えているようで。
担任から
「えー、だって
裏庭の木にトイレットペーパーを巻き付けて。
首を括って。
それは奇妙な死に方だったのだろう。自殺であったとするのならば、尚のこと。あのトイレットペーパーは一体どこから来たのだろう、トイレには個室に二個くらいしか置いていないのに。
木々にトイレットペーパーを巻き付けるのならば、近くにあったトイレのものだけでは足りないはずだ。その辺りを
「いつも通りだったよ。死ぬなんて思えないくらいに」
「へえ、自殺ってそんなもんなのかねー」
自殺ではないから、きっといつも通りだった。知希だって、自分が死ぬとは思っていなかった。だからきっと、実鷹と先の約束をしたのだ。考査が終わったら知希が辿り着いた面白いことを教えると。
多分それは、兄だって同じ。兄だって自分が消えてしまうと思わなかったから、夏休みの約束を実鷹としたのだ。
ざわざわとした教室の中、興味を失ったかのようなクラスメイトは離れていく。実鷹たちが何も知らないのならば用はないと、そういうことなのだろう。むしろ何か知っていたとしても、やっぱりそうだったんだとかそんな言葉で終わったのかもしれない。
「……すっかり、自殺ってことになってるな」
「うちって娯楽も少ないし、噂が回るのなんて一瞬だよね」
「案外平気か?」
「平気じゃないよ。平気じゃないけど、真実がどこかにあるのは分かってるから。だから、前より平気」
七不思議のせいだ。
七不思議に呪われたからだ。
けれどそれは蒼雪によって否定された。彼の言葉すべてを
「おーい、佐々木! 4組の外部生が呼んでるぞー!」
別のクラスメイトに呼ばれて教室の入口を見れば、蒼雪が背筋を伸ばして立っていた。
舞台に立てなくなったと言っていた彼は、つまり月波見に来る前までは舞台に立っていたのだろう。能舞台としか聞いていないが、その立ち姿から確かにそうだったのだろうと想像はつく。
鞄を手にして教室を出れば、侑里もついてきた。
「よう、ヒメ」
「
「部活だよ。お前はどうせサネを付き合わせるんだろ? 夜にまた話聞くから、よろしく」
話を聞く気がある侑里の言葉が意外で、実鷹は首を傾げた。こきりと首が鳴ったのは、授業中ずっと同じ姿勢で窓の外を見ていたせいかもしれない。
廊下の窓ガラスにも、雨の筋がついていた。雨粒がぶつかって、砕けて、滑り落ちていく。
「あれ、どうでもいいじゃないんだ?」
「馬鹿かお前。友達が死んでるんだ、そこは『どうでもいい』じゃない」
侑里は「七不思議とかはどうでも良いけどな」と肩を
なんとなく悪いことを言ってしまったような気がする。侑里は気にした様子はないが、これでは先ほどのクラスメイトと何ら変わらないかもしれない。そんな風に思って、実鷹は密かに内心反省してしまった。
「じゃーな、サネ、ヒメ。また後で」
「うん、後で」
「後でな」
さっさと部活へ行くらしい侑里の背中を見送ってから、歩き出した蒼雪の隣に並ぶ。
「今日はどこへ?」
「図書室へ行ってから、事務室。
先日図書室へ行ったときは
知希のノートによれば、芳治もまた月波見の卒業生らしい。そして彼もまた七不思議を知っていたが、それはむっつめが入れ替わる前のものだった。
つまり彼のいた当時は蒼雪が言っていたことが正しいとするのならば、別に御鈴廊下を認識させておいても良かったということになるのか。
「図書室は卒業アルバムとかも貸し出ししてるらしい。そうそう借りる生徒はいないらしいけど」
「
「三十五年前の卒業アルバムと、卒業文集、寮生名簿。二十年前の文芸部の部誌――これは
「八年前……お兄ちゃんの?」
「そうだ。少し確認したいことがあってね。あとそうだ、三十五年前と八年前に発行された保護者向けの月波見年報」
三十五年前、二十年前、八年前、そして今。
首を括って沈められた生徒の話から、何がどのように繋がっているのだろう。未だに沈んだままの生徒は、土の中で浮かぶときを待っているのだろうか。
「今日は井場先生いないかな」
「さっさと借りてさっさと寮に行くさ。また邪魔をされると面倒だし」
確かに先日は、井場に邪魔をされたような形ではあった。それが意図してのものかそうでないのかは分からないが、少なくとも実鷹と蒼雪が目的を果たせたかと言えばそうではない。
「芳治さんには、何が聞きたいの?」
「鍵の管理についてかな。あとは……寮生名簿と月波見年報を見てから決める」
図書室には、人皮の本。
隠しておきたいのは、卒業アルバムなどがある奥の一画。そう蒼雪は言っていたが、ではあの中の何を本当に隠しておきたかったのだろう。
ごとりと落ちる、ぎょろりと見る。まるでそこに来た生徒を、監視でもするかのように。
「図書室の隠しておきたいものって本?」
「さあ、どうだろう。本の形はしているだろうけれど」
「隠したいなら持ち出せば良かったんじゃないか?」
「図書室の本の管理はそんなに
パソコンを使って貸出状態かを確認できるシステムがある現状、貸出可能であるのにそこにないとなれば、誰かが持ち出したことは明白になる。
まして卒業アルバムのようなものであれば、年度もあるのだ。その年度だけが欠けていたとすれば、明らかに誰かが意図して持ち出したと分かることだろう。
「だからそれだけを隠すより、図書室に人を近付けない方を選んだんだろうな、猿は」
「むっつめを入れ替えたのは猿だと?」
「おそらく。確認してみないと分からないが、あまりにも文章が下手だから」
ひとつめからいつつめまでの文章に対して、確かにむっつめだけはお
猿はいつ、それを入れ替えたのか。開かずの扉を――御鈴廊下を、誰にも触れさせたくないと、そう思ったのか。
「小さいものは隠しやすい。なくなっても困らないものならば隠しておいても必死で探したりはしない。そういうものでない限り、手元に置いて隠しておくのは避けた方が良いんだろう」
「本なら、燃やすとか」
「確かに完全に消してしまうのはひとつの手だが」
蒼雪はそこで言葉を切った。
図書室はもうすぐそこで、足音だけが響いている。特別棟を通る生徒はおらず、やけに足音と息遣いだけが耳についた。
「そこまではさすがにできなかったんだろうな。人は殺せるくせに」
人は殺して、転がして、吊って。けれども本は燃やせなかった。
吐き捨てるように落とされた蒼雪の声が、やけに大きく廊下に響く。けれどそれもすぐに雨のにおいのする廊下の空気に溶けて消えてしまって、何も残らない。
図書室の中に入れば、先日も見た司書の先生がカウンターに座っていた。今日も、他の生徒はいなかった。
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