むっつめ 図書室に眠る人皮の本
1.見ルナノ禁
食堂で夕飯を終えて戻ったところで、侑里が部屋に姿を見せた。彼も夕飯を終えたということで、共有スペースで三人顔を突き合わせる形になる。
そういえばまだこの話をしていなかったと、
「
「そうだな。それだけどうにも書き方が違うから、違和感が拭えない。それに、今のむっつめでは全部並べた時に意味が通じないんだ」
蒼雪の言う意味が通じないがどういう意味なのか、考えてみても実鷹には分からなかった。ひとつひとつのものは、意味が成立している。むっつめは確かに意味がよく分からない部分はあるが、だからといって通じないということもない。
とはいえ蒼雪の言葉に従えば、すべてを並べた時ということだ。となればひとつめからむっつめまですべてを並べることになる。
「ひとつひとつに物語がくっついてるとか、ほんと変な七不思議だよな、うちのって」
「この物語が必要だったんだろう。ひとつひとつというよりも、全部まとめて」
侑里の言うことはもっともだ。
確かに七不思議というものに物語はつきものなのかもしれないが、それはもっと単純なものである気がする。例えばトイレの花子さんだったら、何番目のトイレをノックすると現れるとか。
「二十年前に
「……これか」
知希のノートの上を、蒼雪の視線が滑っていく。彼は指先で知希の書き写した『七不思議事件録』のむっつめを指し示した。
とん、と彼はその文章の頭のところを軽く叩く。
「ああ、やっぱりそうか。これなら意味が通じる」
「意味?」
「何も
暗号と言われても、実鷹にはさっぱりである。けれど蒼雪は一人得心がいった顔をしていた。
七不思議に暗号が隠されている、というのはどこかにありそうな話だ。一色栄永が暗号を入れたかったのか、それとも一緒に七不思議を作ったという
「開かずの扉って言われると、
「そうだな」
「でも今はその開かずの扉は消えて、人皮の本になってる」
「そうだ。誰かにとって、むっつめが都合が悪かった。だから入れ替えなければならなかった……そんなところだろう」
実鷹もそこは侑里と同意見だ。この学園で、この男子部で『開かず』となれば、どうしても一番最初に御鈴廊下のことを思い出す。
あの廊下の扉は開かない。女子部へ繋がる廊下を通ったことのある人は誰もいない。
江戸時代、将軍のいた江戸城。生活の場であった
開かないから、御鈴廊下。誰が呼び始めたのか知らないが、ある意味で
「ふうん、なんで入れ替えようと思ったのかな。開かずの扉が人の口に上るのすら嫌だったとか?」
「……
「だってそうだろ? 二十年前に作られてから、一度も開いてないんだぜ?」
御鈴廊下という名前を、男子部の誰もが知っている。女子部というある種夢のような場所へと続く、旧校舎から伸びる開かずの廊下。
それは、あまりにも分かりやすすぎるのか。
「むっつめが開かずの扉だと、それが御鈴廊下の扉だと明白すぎるから入れ替えたとか?」
「開かない扉だろ? 別に何かあるわけでもなし、明白すぎると何が駄目だ?」
実鷹の考えには、侑里が異を唱えた。
別に御鈴廊下でも構いはしないのではないかと言われれば、それはその通りなのだ。あれが七不思議のひとつだよと言われても、「確かに開かないもんな」と、それで終わりそうでもある。
「見ルナノ禁というものがある。これはヘブライ神話、ギリシア神話、日本神話など、世界各地の神話に見られるものなんだ。例えば日本神話なら、
蒼雪が当たり前のように紡いだ言葉は、実鷹の頭の中になかなか入ってこない。
侑里もさして興味がなさそうに「へえ」とだけ返事をしていた。
「他にも聖書ではソドムとゴモラが滅ぼされる時に、ロトの家族に決して町の方を振り返るなと神の使いが告げている。けれどロトの妻は振り返り、塩の柱となった。あと有名なのはパンドラの箱か? この一色栄永が書いた七不思議のむっつめだと、パンドラの箱に似ている気はする。
「なんだっけ、鶴の恩返しとか?」
「そうだな、あれはまさに異種婚姻譚で見ルナノ禁を破った事例になる」
鶴の恩返しならば、実鷹でも分かる。決して布を織るところを見ないでくださいと妻が言ったのに、男は
「そこに興味を持たせたくなかった。見ルナノ禁を破らせたくなかった。つまり御鈴廊下については何かを隠すための七不思議すらも置いておきたくなかった……ということになるか。鍵がかかっていれば、開かないなで終わる話なのに」
「じゃあそこに見られたくないものでもしまい込んであるってことか?」
「どうだろう。しまい込むとしたら何だろうな」
一瞬実鷹の脳裏を過ぎったのは、遺体、というものだった。けれどそんなことがあり得るものかと、首を横に振ってその考えは霧散させる。
あまりにも安直すぎる上に、仮にあったとしても腐敗臭がすごそうだ。
「ところでヒメ、俺に聞きたいことって何だったんだ?」
「ああそうだ、忘れるところだった。
「ああ、階段の。あれ、十三階段じゃないんだろ?」
「そうだ。どう思う? 竹村竣は、自分は七不思議の呪いは絶対に大丈夫だと言っていたらしい」
「なんだそれ。なんか強い人でも後ろにいるのか? でも結局死んでるんだろ? 何かのはずみで七不思議が彼に牙を剥いたか、あるいは別の何かをつついたか?」
猿には竹村竣が殺せないと蒼雪は言っていた。けれど彼は猿が犯人であるとも言う。その矛盾点が解消できない限り、蒼雪は納得がいく答えを得られないのかもしれない。
猿は隠しておきたい――首を括って、沈んだ誰かを。けれど蒼雪の予測が正しいのならば、竹村竣はそれを最初から知っていたということになる。そもそも蒼雪のその前提が間違っていたのかもしれないけれど、そうだとすると竹村竣の「自分は大丈夫」という言葉が分からない。
「そもそも、竹村竣だけ別物って可能性はねーの?」
「別物? 猿が殺したのではなく?」
「猿が何か知らないけどさ。案外別の人間の
猿が殺した。
けれど、その前提がそもそも間違っているのだとしたら。
「あと、足滑らせて落ちたにしては変じゃん。竹村竣の死に方」
「変?」
「だって、後頭部をぶつけたんだろ? 仰向けってことじゃん。階段で足滑らせて落ちて後頭部ぶつけるって、どんな落ち方だ? そもそも上ってたのか? 下ってたのか? 下ってたとしたら有り得ないよな、体
竹村竣は、平たいもので頭を強打したことによる
けれど考えてみれば、確かに仰向けというのが分からない。横向きだった、うつ伏せだった、それならばともかくとして、わざわざ上を向いていた理由はどこにあるのか。
「で、お前はこれを聞いてどうしたいんだ、ヒメ」
「俺の疑問への解へ、取っ掛かりにしたかった」
蒼雪は難しい顔をしたまま、考え込んでいる。
窓の外では雨が降り、窓ガラスにまた水滴がぶつかっていく。その水滴を見ていて、蒼雪に会った日のことを思い出した。体育の授業に遅れそうになって、慌てて階段を上ったあの日。
足が、ずるりと滑った。
「でも確かに、上ってたとしても後ろに落ちるってなかなかないと思うな……俺、この前雨の日に階段で滑ったけど、前に倒れかかったし。階段に黒い足跡ついてうわって思った」
実鷹は幸いにして落ちることはなかったが、肝が冷えたのは事実だ。ずるりと滑って、前へ進もうと焦っていたせいで前に体が傾いで踏ん張った。
横に滑った足の下、上履きの裏の跡が線のように階段に残っていたのを覚えている。
「そうか。そうだよな……足跡がつくはずなんだ」
竹村竣が上っていたにせよ、下っていたにせよ。旧校舎に入るためには、どちらにせよ外を通ってくることになる。となればあの日の実鷹と同じように、そこには黒い跡が残るはずなのだ。
「でもあの階段、綺麗すぎた。何せ、
蒼雪が胸ポケットから、灰色のカバーがかかった手帳を取り出した。それは以前も見た、蒼雪が竹村竣のことを話していた時に手にしていたものでもある。
机の上に置かれた手帳の一ページ、几帳面そうな字で「階段が綺麗すぎる?」と並んでいた。
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