5.隠匿の怨
ずっと水面を見ていると、池がおかしな風に見えてくるんだ。
池の水の色が、どうしてか二色に染まって見えてくる。
気のせいなのかもしれないって言うけれど、多分それって気のせいじゃないんだ。
あの池は血を吸っている。
誰かがぼちゃんとそこに落ちて、真っ白になって浮かんだんだって。
――月波見学園七不思議 いつつめ【まだらに染まる血吸いの池】
寮監に親に連絡を取りたいと告げれば、預けていた携帯電話はあっさりと返ってきた。基本的に長期休暇の間しか持つことのないそれは、あまり手に馴染まない。
急に電話がかかってきた父は驚いていたが、「友達が図面を見たいと言っている」と告げれば、二つ返事で了承してくれた。そして聞いていないのに「
父や母の口から、兄の名前を聞いたのは久しぶりだ。ただ
メールで届いた図面を寮監室の印刷機を借りて印刷し、寮監に携帯を返却する。図面を手に
「どうだった?」
「図面、コピーしてきた。あと、お兄ちゃんも図面をお父さんに送って貰ってた」
「なるほど」
顔を上げた蒼雪が手にしていた本は、ブックカバーがかかっていない。つるりとした文庫本のカバーは、それが新品であることを示しているようだった。
蛍光灯の白い光が、カバーに丸く映っている。
「それ、
「そうだ。そして、まさかこれに手掛かりがあるとは俺も思わなかった」
ぱたりと蒼雪が本を閉じる。机の上に置かれた本の表紙は、一つの丸い種と、そこから出てきた芽の写真だった。
黒い背景に伸びた緑色の芽は、どこかおどろおどろしくも見えるのは実鷹だけなのか。
「手掛かり?」
「この本のあとがきに、月波見学園の七不思議のことが触れられているんだよ。もっとも、学園名が出ているわけではなくて、一色栄永が学生時代に作った七不思議の話というだけではあるけど……とりあえず先に、図面を見よう。まだらの池の場所が分かると良いけど」
蒼雪に
「……これが、設立当初の図面」
父がスキャナで取り込んだのだろう図面は、少し古ぼけている。設立当初ということは五十年前、教室棟と特別教室棟、講堂、体育館。今も名前が同じ建物はあるが、場所が異なるものもある。
今体育館がある場所は、この時は講堂だ。
「それからこれが、二十年前。女子部ができた時の図面」
新校舎はまだなく、教室棟は今旧校舎となっている場所だ。そこから
これより前に講堂は建て替えられており、当然ながらこの図面の講堂と体育館の位置は今と同じだ。
「で、これが新校舎を作る時の」
最後の一枚が、今の月波見学園だ。新校舎である今の教室棟に、旧校舎。
「これは全部佐々木の家が?」
「うん、一応」
「設立当初の校舎が、今で言う『旧校舎』だな。池……池、ああ、あった」
一番古い図面を指で
最初何のために池を作ったのかは分からない。けれど今はもう埋められてしまってないのだから、理由などなかったのかもしれない。
「裏庭、だね」
「裏庭だな……だからか。あの場所、雨が降るとぬかるんでぐちゃぐちゃだろ。元々池があったくらいだ、水はけが悪いんだ」
かつてそこに、池があった。大雨が降ると、池は再び姿を見せているのかもしれない。
「
「すこし、は……」
「あれが首括りの木かを確認したい。まだ若い木だった気がするんだ」
「若い木だと何か違うのか?」
「
旧校舎の裏庭にある木は、卒業生が植えた木である。すでに設立から五十年経っていて、すべてが残っているとは限らないものの、それなりの本数だ。
知希の遺体があったのは、そのうちの一本。七不思議の首括りの木がどれであるのかは分からないが、知希が吊るされていた木は果たして七不思議の首括りの木であったのか。
「でも、実際に首を括った話なんて聞いたことがないけど」
「沈めてしまえば分からない。全員が口を噤んでしまえば、誰にも」
蒼雪は一度言葉を切って、机の上に置いていた日記帳を手に取った。心底忌々しそうな顔をしながら、彼は日記帳の表紙を開く。
「この日記を書いたのは、
ぺらぺらと
そのページを開いたまま、蒼雪は日記帳を机の上に乗せた。決して綺麗とは言えない、少しばかり読みにくい文字がそこには並んでいる。日付は一月十日、月波見学園で言えば、ちょうど冬の長期休暇が終わる辺りだ。
「冬になると思い出すこととして、雪の降る中で首を括って自殺した同級生の話を書いている。そして俺たちは悪くないと。この日記帳は三年分あるが、毎年言い訳のようなことを書いているよ」
「あいつが勝手に首を括ったのに、俺たちが悪者にされる可能性があった。だから早々に埋め立て予定の池に埋めた。俺たちの仲間が先に見付けたのは助かった――これって」
日記に書かれていた内容を読み上げて、実鷹は思わず眉を
書き方からすれば、首を括った誰かは自害だ。けれど、悪者にされる可能性、先に見付けたのは助かった、その言葉からして、明らかにその死にこの安東たちは関わっている。
「沈み果て、浮かばない」
沈んだもの。浮かばせなければ。
何度となく蒼雪が繰り返していた言葉を思い出す。つまり彼はこの日記を読んで、首を括った誰かのことを知った。彼の動機が安東への復讐なのかどうかは分からないが、少なくとも沈んだままにしておくつもりはなかったということか。
「じゃあ
「そうだよ。未解決事件を調べて、行方不明者に行き当たった。君の兄についてもそこで知った。それから少しでも噂話がないか探った時に七不思議に行き当たり、よっつめといつつめがあまりにもこの日記の内容に似ていたから調べたんだ」
首括りの木。まだらの池。
誰かがそこで首を括った、誰かがそこに沈められた。まるでその死を示唆するような七不思議を、一体誰が作り上げたのか。
「そして更に
最初に蒼雪と会ったのは、旧校舎だった。竹村竣が死んでいた場所、旧校舎入ってすぐの階段。泣く十三階段ではないと彼が断言したその階段のところで、彼は何かを熱心に見ていた。
蒼雪が七不思議の呪いはないと断言したのは、彼が幽霊や怪異を見たことがないから信じていないからという以外に、この日記の内容を知っていたからなのだろう。安東とその仲間がしたことを、知っていたから。
「なあ、隠してしまえばその罪は消えるのか? 殺し続ければ赦されるのか? 俺はそんな風には思わない。これは俺のくだらない正義感とか、そういうやつだと思うか?」
「それは……」
「猿は今でも、隠しておきたいんだ。だけど、猿には竹村竣を殺す理由がない。多分竹村竣は最初から知っていて、その上で新しい七不思議を作ろうとした」
自分は絶対に大丈夫だと言った竹村竣の真意は、どこにあったのだろう。絶対にみっつめ以降は変えるなどと豪語して、新しい七不思議を作るとして。
「そうだ、七不思議。一色栄永の本は?」
「そうだった、これの話もしなければ。あとがきのところ……今回の『
「人と?」
「そう、人と。その相手は、雇用されたばかりの用務員だそうだ」
一色栄永がこの学園にいたのは、二十年前。御鈴廊下が作られた頃。
女子部ができるとして、男子部のベテラン用務員はそちらへ異動になった。そして男子部では新しく用務員が雇われた。
「……
「そういうことだ。さて、どうして三笠さんは一色栄永と七不思議を作ろうと思ったんだろうな?」
三笠が首を括って沈められた生徒を知っていたのだとすれば、どうして彼は七不思議の中にそれを入れようと思ったのか。それとも、知っていたのは一色栄永の方なのか。けれど一色栄永であったのならば、三笠と共に七不思議を作るような理由はない。
ぱたりと安東の日記は閉じられた。ぱらぱらと窓の外から音が聞こえてくる。どうやらまた、雨が降り始めたようだった。
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