4.沈むは浮かむ縁ならめ
寮へと戻り、寮監から鍵を受け取った。荷物が届いていると言われた
蒼雪は表情を変えることもなく、ただ一言礼を述べていた。
「そうか、発売日だ」
「発売日?」
「
その名前は、今日何度か聞いている。そして、
二十年前の月波見学園の生徒。文芸部の部誌に掲載した作品で七不思議を扱い、今もそれがこの学園の七不思議として噂されている。
それまでの七不思議とは違うもの。物語までつけて、どうして一色栄永は新しい七不思議を流そうと思ったのか。
「今の七不思議を作ったっていう……あ、でも、むっつめだけ違うんだ。トモのノートに書いてあった」
「そう、そのむっつめだ。多分今のむっつめは正しいものではなくて、誰かが入れ替えたんだ」
「入れ替えた……」
一色栄永の書いたむっつめは、開かずの扉だった。けれど今、七不思議のむっつめは異なるものになっている。
「図書室の、人皮の本。図書室に近付けたくなかった、とか?」
「十中八九。そしてその近付けたくない一画は、今日俺たちが行った古い卒業アルバムのところだろうな」
寮の廊下は人がおらず、静かだった。
人皮の本が落ちてくるのは図書室の奥の棚だと明言がある。つまり手前のところは別に構わないのだ。立ち入らせたくなかったのが奥なのだとすれば、そこに何を隠しているのだろう。
ごとりと落ちる。ぎょろりと見られる。それはまるで、誰かが監視しているかのようだ。
「どうする、一度部屋に戻るか?」
「迷惑じゃないなら、このまま行くよ。トモのノートは持ち歩いてるし」
「そうか。じゃあそうしてくれ」
蒼雪と
知希のノートは、何となく鞄に入れて持ち歩いていた。知希のものだと思われるシャーペンも、ずっと鞄に入れている。何か理由があるのかと言われれば、何となくでしかない。
がちゃりと蒼雪が部屋の鍵を開ける。扉を開いた彼は、鍵入れに鍵を放り込んでいた。
「共有スペースのところに鞄置いて、少し待っててくれ。日記を取って来る」
「日記?」
蒼雪もまた、知っている情報を共有すると言っていた。
けれどそれが日記とは思ってもおらず、
「……母親の浮気相手の日記」
蒼雪は振り返らなかった。
立っているのもどうかと考えて、実鷹は床に腰を下ろす。
母親の浮気で家庭が崩壊したのだと、先ほども彼は言っていた。けれど母親のものならばいざ知らず、何故彼は母親の浮気相手の日記なんてものを手にしたのか。
「いや、なんでそんなもの持ってるんだ」
「母親が奪ってきて、私は
当然疑問であったので、日記帳らしきものを手に戻って来た蒼雪に聞いてみる。返ってきた何とも言えない答えに、しばし実鷹は言葉を失った。
蒼雪の母親も、どうしてそんなものを奪ってきたのか。そして、返さなくて良いのか。
けれどそんな実鷹の考えをよそに、蒼雪は何でもない顔をして腰を下ろしている。放り投げられるようにして机の上に置かれた分厚い日記帳の表紙は、ただ『diary』と印字されているだけだ。
「あのさ、その、
「死んだよ」
何でもないことのように言われて、また実鷹は言葉を失う。
ご愁傷様と言えば良いのか、それとも他の言葉が
「別に自殺とかじゃないからな。ただの交通事故だ。あと、俺の母親のことなら別に気を遣わなくて良い。父の舞台を見に来ていた客と浮気して、そっちと一緒になるとか言って離婚したら捨てられて、この日記だけ俺に押し付けて死んだんだ。それで父が精神を病んで舞台に立てなくなったから、俺にとってあの女は考えたくもない相手だよ」
それは果たして、本当にそうなのだろうか。
どこか実鷹の「七不思議の呪いはある」と信じていたのと同じような理由ではないのかと思いはしたが、結局それは言葉にしなかった。
蒼雪もそれを、いつか考えるときが来るのだろうか。それとも一生そのまま考えずにおくのだろうか。
けれど今、そのことについて言及すべきではない。今目の前にあるのは蒼雪の母親の話ではなく、月波見学園の七不思議から始まる話だ。
「ただ、この日記がな……あの女が騙されたとかそれはともかく、そうじゃない部分の方が問題だった。少なくとも、俺にとっては」
「その日記を読んだことがすごいよ……」
「俺は俺の家を壊した男がどんな人間か知りたかったんだ。とんだクソ野郎だということが分かっただけだったけどな」
確かに日記は、その人の
「じゃあそのクソ野郎の罪を暴き立ててやろうと、俺はそう思ったから月波見学園に来た。この男の罪の証拠は、未だこの学園に沈んでいるから。そうして殺し続けたものを、浮かばせるんだ」
蒼雪は以前も、殺し続けられているものを浮かばせたいと言っていた。彼の言う沈むは、浮かぶは、どのような意味があるのだろう。
深く沈めて、水の底。けれどそれは、いつかは浮かぶのか。沈み果てて浮かばないものは、いつかその底で腐って消えてしまうのか。
「
「沈められた……」
舞台に立てなくなったと言った蒼雪は、きっと舞台に未練があるのだろう。未練など何もないのなら、こうして謡ったりするものか。
「まだらの池」
七不思議にある、沈めた話。まだらの池に、誰かが沈んだ。池は血を吸って、二色に染まる。誰かがそこに落ちて、白くなって浮かんだ。
七不思議では、浮かんだのだ。けれどその浮かんだものは、一体どこへ行ったのか。
「いつつめのまだらの池だ。でもその池がどこにあったのか判然としない」
「判然としない?」
「この学園ができた時に、池はあったんだ。だけど、埋め立てられた。多分いつつめのまだらの池は、その埋め立てられた池のことを言っている。埋められたから、二色なんだ。水の色と、土の色」
「誰かが、まだらの池に沈められたってこと?」
「そういうことだ。この日記にあった、埋め立てる池に沈めて隠したんだと」
誰かが死んだのか。その誰かは、殺されたのか。
蒼雪の持つ日記に何が書かれているのかは分からないが、埋め立て予定の池ならば、確かに隠すにはうってつけの場所だったのかもしれない。池の底に沈めて、そうして埋められてしまえば見付けられない。
池。
設立当初にはどこかにあった。
「池……あ、ちょっと待って。俺、寮監さんに携帯返して貰ってくる」
それを知る手立てを自分が持っていることに気付き、実鷹は立ち上がる。急に立ち上がった実鷹を、座っている蒼雪が見上げるようにしていた。
「携帯?」
「お父さんに聞いてみる」
「何でまた」
「うち、
会社ができたのが明治何年だか、という話は聞いたことがある。そろそろ百年になるかなあ、と父親が言っていた。
五十年ほど前、この月波見学園は作られた。佐々木設計はその時に関わっていて、だからこそ兄はこの学園を選んだのだ。
「月波見学園の設計したの、うちの祖父なんだ。だから多分、一番最初の図面があるはずで……父に頼んだら、図面の写真送ってもらえると思う」
行ってくると背を向けたところで、蒼雪の声が実鷹の背中を追ってきた。
「佐々木」
「何かまずい?」
「いや、違う。君のお父さんに、これも聞いてくれ。君の兄も図面を送ってくれと言わなかったかと」
兄は何を知ったのか。
もしも兄が父に図面を送ってくれと頼んでいたら、兄は池の場所を知ったことになる。その池に誰かが沈んで埋まっているのだとしたら――そこまで考えて、実鷹は思考を振り払うように首を横に振った。
蒼雪に「分かった」とだけ告げて、実鷹は部屋を出た。とにかく父親に聞いて、話はそれからだ。
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