3.声の大きい体育教師

 六限目終わりのホームルームの後、教室の外で蒼雪そうせつが待っていた。井場いば先生に確認したいことがあるが来るかと問う彼にうなずいたところで、侑里ゆうりもそこへやって来る。

 片方の肩にだけ鞄を引っかけた侑里は、にやにやと笑っていた。


「なんだお前ら、仲良くなったのか」

「元々俺は嫌っていない」

「ヒメはそうでも、サネはヒメのこと苦手だったろ?」


 侑里が笑いながら実鷹さねたかを見る。苦手だったかと言われれば、それは確かにその通りだ。苦手と言うべきか、嫌いと言うべきか。

 ちらりと蒼雪の方をうかがえば、彼は気にした様子もなくそこに立っていた。


「ユーリお前……本人を目の前にして言うことかそれ」

「ヒメは気にしないって、どうせこいつは分かってるんだから」


 なあ、と侑里に水を向けられて、蒼雪は溜息を吐いていた。

 侑里の言う通り、蒼雪は人の顔を見ておおよその予測を立てている。だから実鷹が何を思っていたのかも、何となく分かってはいたのだろう。


三砂みさご、性格が悪い」

「何を今更。俺は部活あるし、仲良くな二人とも」


 じゃあなとひらりと手を振って去って行こうとする侑里の背中を、蒼雪の声が呼び止めた。


「三砂」

「まだなんかあったか?」


 侑里は足を止めて、振り返る。蒼雪は少し考えるような素振りを見せてから、真っ直ぐに侑里を見ていた。

 何を考えているのか、蒼雪の表情からは読み取れない。蒼雪が蒼雪の顔を見たら、何か分かることでもあるのだろうか。と、そんな有り得ないことを考えてしまった。


「夜、君の意見も聞きたい」

「あんま遅くならないなら別にいいけど。じゃ、後でな」


 今度こそ侑里は去って行って、後には蒼雪と実鷹だけが残される。そこでずっと立ち話をしているわけにもいかず、行くか、という蒼雪の言葉に従って、実鷹も足を動かすことにした。

 階段を降りて、玄関へ向かう。井場がいるであろう体育教官室は、そう遠くはない。


「ユーリに聞きたいことって?」

「三砂は『どうでもいい』だから、見方が俺とは違うんだ。だから、三砂からどう見えるのか聞きたいことがある」

「どう見えるのか……」

竹村たけむらしゅんの件が、どうにも引っかかっているんだ。渡瀬わたせの件とは、少し違う気がする」


 蒼雪は「猿が彼を殺せるはずがない」と言っていた。彼がそう断言する理由は実鷹には分からないが、それが彼にとっての引っかかりなのだろうことは分かる。

 殺せるはずがないのに、竹村竣は死んでいる。本当に事故であったのか、それとも殺したのが猿ではないのか、猿が殺せるはずのない竹村竣を殺したのか。そのどれであるのか、蒼雪の中に答えはあるのだろうか。

 靴を履き替えて体育館のところに行けば、教官室へ続く扉は少しだけ隙間が空いていた。ノックをすれば、中から先生の「どうぞ」という声がする。

 その声に従って、少し開いていた扉を広く開ける。けれど、教官室の中には入らなかった。


「すみません、井場先生は……」

「井場先生? 井場先生なら、見回りついでに図書室に本を返しに行くって出て行ったぞ。井場先生はあんまり教官室にいないからなあ」


 扉を開けてすぐのところの机が、井場のものであるはずだ。知希が来たときには机の上に図書室の本があったようだが、今は見当たらない。

 その代わり、机の上には白い紙の袋がひとつ乗っていた。


「あれ……井場先生、どこか悪いんですか?」

「何がだ?」

「机の上に、薬の袋があるので」


 実鷹と同じものを蒼雪も目に留めたようだった。彼は見ただけでそれが薬の袋であると予測したらしい。先生が隣の机に首を伸ばすようにして、ああ、と声を上げた。


「これか? ないと眠れないんだって言ってたから、別に病気とかじゃないと思うぞ」

「そうですか。ありがとうございます」


 では図書室に行ってみますと告げて、蒼雪が頭を下げた。実鷹も彼にならうようにして、慌てて頭を下げる。

 教官室の扉を閉めて、けれど少しだけ隙間は空けて、蒼雪は教官室に背を向ける。実鷹も同じように背を向けて、歩き出していた彼の隣に並んだ。


「なあ、図書室に行ってみないか? トモのノートに書いてあったことも気になるから」


 そうだな、と蒼雪は歩きながら考え込むような声を上げた。とはいえ図書室に行くことに異論はないのか、その足は特別棟の方に向かっている。

 知希は図書室で新聞や部誌、それに卒業アルバムを見付けていた。彼のノートを疑うわけではないが、自分の目で確かめた方が良いこともある。それに、知希が見落としたこともあるかもしれない。


「佐々木、夜の予定は?」

「夜? 特には」

「渡瀬のノートを見せて欲しい。俺も、自分の知っている情報を佐々木に伝えるべきか」


 蒼雪はおそらく、実鷹の知らないことを知っている。だから彼は猿のことを口にするし、猿が竹村竣を殺せないとも言ったのだろう。

 そもそも彼は、どうして月波見の外部生試験を受けようと思ったのか。そして、どうして高校になってから月波見に来ようと思ったのか。彼なら他の学校の選択肢もあっただろうに。


姫烏頭ひめうずって、なんで月波見に来たんだ?」

「……舞台に立てなくなったから」

「舞台?」

「能舞台」


 どこか懐かしむようにそう告げて、図書室への道を歩いていく。玄関で再び靴を上履きに履き替えて、特別教室棟への廊下を進んでいく。


「母親の浮気で家庭が崩壊した。父が舞台に立てなくなって、俺に稽古をつける人もいなくなった。その母親の浮気相手が……いや、これについては夜に実際見せた方が早い」


 それきり蒼雪は黙り込んでしまって、沈黙したまま図書室へと向かった。

 聞くべきことではなかったのかもしれないが、口から出てしまった疑問が戻ることはない。蒼雪の答えに対して実鷹は何も言えず、ただ同じように沈黙を選んだ。

 図書室の中はカウンターに司書の先生がいるだけで、他の生徒の姿は見えなかった。考査前になれば勉強をする生徒もいたりするが、何もない放課後となればこんなものだろうか。


「トモが色々見付けたのは、図書室の奥のところのはず。人皮の本が出るとか言われてる辺り」

「むっつめか」

「卒業アルバムとか新聞とか部誌とか、そういうのがあるところだって」


 何事もなかったふりをして、実鷹は言葉を紡ぐ。蒼雪がどう思っているかは知らないが、彼はいつも通りのように見えた。

 知希は図書室の奥で、古い新聞や卒業アルバムを確認している。実鷹は足を踏み入れたことのない一画ではあったが、図書室の一番奥、まるで隠されるようにひっそりとあるその場所に、ずらりと卒業アルバムが並んでいた。

 蒼雪がざっと棚に並んだ卒業アルバムの背表紙を確認している。それ以外にも新聞だとか保護者や卒業生に送られる学園報であるとか、そんなものが棚にはぎっしりと詰め込まれていた。


「お! どうしたお前ら! 熱心だな!」


 そのうち一冊を蒼雪が手に取ろうとしたところで、図書室には似つかわしくない大きな声が響く。


「井場先生」

「そこには勉強のものはないだろ! なんか面白いものでもあったか?」

「ちょっと井場先生、声が大きいです」

「へ? あ、ああすみません……」


 井場の声に、蒼雪の手が止まる。あまりに大きな声だったせいか、ぴしゃりと司書の先生から井場への注意が飛んだ。

 蒼雪と実鷹のいるところに顔を出していた井場が一度顔を引っ込めて、謝罪をしている声がする。


「ちょっと探し……」


 探し物をと言おうとした実鷹の言葉を、蒼雪が手の平で制止する。

 井場は実鷹たちの方を向いているものの、せわしなく視線が動いているせいで、視線が合ったかと思えば逸れていく。


「文芸部の部長から、古い部誌を借りてきて欲しいと頼まれたんです。井場先生、月波見学園にいらっしゃるのも長いですよね。おすすめとかありますか?」

「え? あー……部誌のおすすめ、かあ?」


 なんてことのない顔をして、蒼雪はさらりと嘘をついた。文芸部の部長など、実鷹は朝に会ったきりである。そして蒼雪もまた、彼から何か頼まれたということはない。


「文芸部の部長は一色いっしき栄永さかえのファンだから、彼の書いたものが良いかなと思ったんですけど。彼、ここの卒業生ですよね」

「いっしきさかえ……あ、ああ! ん、んん……俺はそれより……んー、あったはずなんだが思い出せんな。部長はこの年のとか言っていなかったのか?」

「言っていなかったですね、古いの、としか」


 一色栄永は、今噂されている七不思議を作った人物である。井場もまた記憶にはあったようで、けれど少しばかり様子がおかしかった。

 蒼雪はじっと、井場の様子をうかがっている。実鷹ですらも様子がおかしいと思えるのだから、彼も当然そう思っていることだろう。


「じゃあきちんといつのか聞いてきた方が良いんじゃないのか! 二度手間だからな!」

「井場先生は、一色栄永の当時の部誌は読んだことはありますか? 俺、あの人の作品が好きで持っているんです、できれば読みたくて」

「あ、ああ……いや、ない、な!」


 より一層大きくなった声は、ひとつひとつ確かめるように吐き出された。蒼雪はまばたきをして、またじっと井場の顔を見ている。


「井場先生!」

「はい、すみません!」


 再び井場が司書の先生に注意をされて、学習しているのかいないのか、大きな声で謝罪をしてまた怒られていた。体育教師だからなのか、井場だからなのか、やはり図書室が似合わない。

 それでも井場はよく図書室に来て、本を借りているらしい。実は本が好きだとか、そういうことなのだろうか。


「とりあえず部長に聞いてこい、ほら、な?」

「そうですね、そうします」

「それがいいそれがいい! そんなとこにいると変な本が落ちてくるからな! 怖いからさっさと離れておけ!」

「井場先生!」

「すみません!」


 井場が司書の先生に怒られているのを尻目に、蒼雪と実鷹は顔を見合わせてから彼の横を通り過ぎて図書室を後にした。あのままあの場所にいても、何も調べることはできないだろう。

 井場は「変な本が落ちてくる」「怖い」と言っていた。それはつまり、彼が七不思議のむっつめを知っているということになる。


「……井場先生って、七不思議を信じてるんだな」


 蒼雪は何とも言えないような顔をして、また考え込んでいるようだった。

 生徒たちが噂をしているから、井場も七不思議のむっつめを知ったのだろうか。彼の通っていた三十五年前の七不思議と今の七不思議は変わっているが、井場は今の七不思議を把握しているらしい。

 このまま俺たちの部屋に来るかと問う蒼雪にうなずいて、実鷹は一旦井場についての疑問を頭の片隅に追いやることにした。

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