2.代々を重ねて

 翌日、実鷹さねたかは自分の部屋に戻ることに決めた。そこに知希ともきがいないという現実は変わらない。けれどそれとも向き合わなければならない。

 戻って来た部屋の共有スペースの机の上には、知希のシャーペンが転がっている。正しくは彼のものであるかは分からないが、そうかもしれないと外で拾ったものである。

 着替えて、鞄を掴んで外に出た。


佐々木ささき


 出たところで、蒼雪そうせつに声をかけられた。侑里ゆうりはいなかったが、彼らは一緒に行動をしているわけでもない。


「文芸部の部長に話を聞きに行くが、君も行くか?」

竹村たけむら君のこと?」

「そうだ」


 竹村たけむらしゅんは小説の題材にするために、七不思議を取材していたはずだ。だからこそ彼の死は十三階段によるものだと噂されたし、七不思議の呪いであると実鷹は考えていた。

 けれどもそうでないのならば、彼が知った何かの中に理由があるのかもしれない。


「……行く」

「分かった。なら、教室に鞄を置いたら出てきてくれ」


 空はどんよりと曇っている。どうやらまだ梅雨は明けないらしい。どうにもすっきりしない曇天の空の下を歩き、旧校舎の前も通り過ぎた。

 視線を投げてみても、旧校舎は何も変わらない。ただもう『KEEP OUT』のテープは外されていて、扉は閉ざされている。

 何を話すでもなく、それでも蒼雪と隣に並んで玄関へと入った。そこで一度彼とは別行動になって、下駄箱で上履きに履き替えて教室へと向かう。

 教室に鞄だけを置いて、そのまま教室の外へ出た。廊下で蒼雪を待っていれば、4組の方から彼が歩いてくる。


「文芸部の部長って何年生?」

「高校部の三年だよ。文化祭までは交代しないそうだから」


 5組の前で合流して、そのまま蒼雪に連れられるままに歩いて行く。

 三年ということは、教室は上の階だ。四階まで上がって辿り着いた先は、3年6組の教室。


「ああ、いた。先輩」


 教室の中にいた人物が、蒼雪の声に反応して顔を上げる。黒ぶちの眼鏡をかけたその人は、姿勢があまり良くはない。


姫烏頭ひめうず君に……そちらは?」

「佐々木です。渡瀬わたせと同室の」

「ああ……災難だったね、佐々木君も。僕も竹村君のことでは色々聞かれたけど」


 知希の死については、学園内を駆け巡った話だ。先輩は溜息を吐いて、首を横に振っていた。

 今のところ誰も、実鷹に知希のことを聞こうとはしてこない。ただどこか腫れ物に触るかのような、そんな対応をされている気はする。


「そんな先輩に申し訳ないのですが、竹村竣のことが聞きたいんです」

「七不思議の話?」

「それです」

「……呪われるからって、僕は止めたんだけれどね。彼はとか言い張っていたよ。自分が新しい七不思議を作るつもりで小説を書くと意気込んでいてね。超大作になるとか、そんなことを」


 蒼雪に問われて、先輩は特に渋ることもなく竹村竣のことを教えてくれた。

 自分は絶対大丈夫とは、どういうことなのだろうか。七不思議に呪われるとか、七不思議に殺されるとか、先輩が竹村竣を止めたのは間違いなくそれが理由なのだろうけれど、ならばどうして竹村竣は大丈夫などと言いきることができたのだろう。

 信じていないからか。そんなものはないと高を括っていたのか。


「その小説は?」

「……意気込みは立派だったのだけれど、その、書けていなかったようでね」


 蒼雪はただじっと、先輩の顔を見ていた。どこか言いづらそうに言葉を紡ぐ先輩の顔に、蒼雪は何を見ているのだろう。実鷹には何も分からないが、蒼雪には何か分かるものがあるのかもしれない。

 超大作を書くと意気込んで、結局一文字も書けない。そんなこともままあることだろう。何かすごいものを見て、これくらい自分だってやってやると思うとか。

 上手な人ほど簡単そうにやっているように見えて、自分でもできるように思えてしまう。それがどれほどの修練の上に成り立つかも考えることなく。そうして実際にやってみれば難しさを知ることになり、それを受け入れられれば成長に繋がる。もちろん、不貞腐ふてくされて投げ捨ててしまう人もいるけれど。


「先輩」


 蒼雪の呼びかけは静かで、けれど何の波紋もない静かな水面にぽとりと水滴を落とすようでもあった。


「竹村君のこと、好ましいと思っていましたか」

「……あまり、故人を悪く言いたくはないけれど」


 問いに対して、どこか先輩は言葉を選ぶようにしていた。

 竹村竣は死んでいて、何を言われても本人が弁明することはできない。だからこそ故人を好き勝手言う人もいるのだ。


「少なくとも僕は、苦手だったよ。彼はほら、竹村医院の息子だろう? 父親は井場いば先生と同級生だから、遅くにできた長男で、甘やかされて育ったのだろうなあとは思ってた。何か気に障ると、二言目には『俺は竹村医院の息子だぞ』って言うような子でね」


 月波見学園男子部には、裕福な家の子供たちが揃っている。他人をはかる尺度を、家の裕福さとする生徒も当然いる。

 竹村竣はそうした尺度の持ち主だったと、そういうことなのだろう。


「なるほど……三砂みさごの言うところのか」


 蒼雪が零した『上位様』という言葉は、実鷹も侑里の口から聞いたことがある。裕福さで他人をはかり、優位に立っているような顔をして、侑里の言う『上位様』に込められた意味は決して良いものではない。


「七不思議の秘密を知っているとか、そんなことも言っていたね」

「……彼は七不思議の内容を、どう変えようと?」

「さあ、そこまでは。ああでも、みっつめ以降は絶対に変えると言っていたよ」


 ひとつめは、十三階段。ふたつめは、人喰いピアノ。

 その二つはどうしてそのままで良いと竹村竣は思っていたのか。むしろみっつめ以降にでもあったのか。

 あれから、知希のノートを読んだ。たしかに七不思議のひとつめとふたつめは、ずっと前から変わっていない。みっつめ以降だけが二十年前に入れ替わり、そしてそこからむっつめだけが再び変わった。


「僕は一色いっしき栄永さかえ先生のファンだから、変えないで欲しいんだけれどね」

「一色栄永……『怪異かいい異聞録いぶんろく』の」

「あれ、知ってる?」

「知っています。全巻持っていますので」

「そっか! 彼はここの卒業生なんだよ。図書館にある古い部誌に作品も載っていてね、怪異異聞録の原点はここにあったかと感動していたくらいだ」


 ざわざわと教室の中が騒がしくなってきた。ホームルーム開始の十分前となれば、当然生徒たちも教室の中へと集まってくる。

 先輩にお礼を述べて、蒼雪と共に実鷹は二階への階段を降りて行く。


「トモのノートにもあったよ、七不思議の話。一色栄永の『七不思議事件録』についても」


 図書館で知希が見付けたという、七不思議の話。三十五年前の七不思議と、二十年前の七不思議の違い。知希の言っていたというのは、この七不思議の変遷へんせんのことだったのかもしれない。


「佐々木。問題がないのなら、渡瀬のノートを俺にも見せて欲しい」

「……良いよ。姫烏頭ひめうずが見た方が、分かることは多そうだ」


 知希はとにかく調べたことを全部書いていたはずだ。彼がいつもの通りにノートに書き写したのならば、そこに抜けや漏れはない。

 実鷹が見ても分からないことを、蒼雪ならば気付けるのかもしれない。きっと知希も彼に見せたところでとかく言ったりはしないだろうと、それは勝手な実鷹の決めつけかもしれないが、そう思った。


「それにしても、竹村竣はやはり違和感があるな」

「違和感?」

と言っていたのに、死んでいる。俺は彼の死は事故ではないと踏んでいるが、そもそもが彼を殺せるはずがないんだ。先ほどの先輩の話でそれは確信した」


 みっつめの七不思議で、猿が笑う。

 竹村竣は絶対に大丈夫と言っていた。けれど彼は死んでいて、大丈夫ではなかったということになる。

 彼の死が事故ではないのだとするのならば、そこには必ず犯人がいる。階段の下に転がった物言わぬ死体は、一体何のためにそこに在ったのか。


「なんでそう思う?」

「竹村竣がだから、だよ」


 答えになっているような、なっていないような。そんな蒼雪の言葉に、実鷹は思わず眉をひそめてしまった。

 蒼雪はきっと何かを知っているのだろうに、それを伏せている。それはきっと、確証がないとか、そういうものが理由なのだろう。

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