いつつめ まだらに染まる血吸いの池
1.仇を討て
サイレンの音は、ひどく遠く聞こえていた。
あれから、数日。今日が何日なのかは実鷹の頭では判然としないが、少なくとも日数だけは過ぎている。あの日は警察がやってきてひどく慌ただしかったが、また学園内は
ただ、噂話だけが生徒の中を駆け抜けていく。知希の死について誰かが
七不思議のせいだ。七不思議を調べたせいだ。
ただじっと、知希のノートを前にして座り込む。それを開く気にもなれずに見ていると、ひょいとノートを奪い取る手があった。
「
「自殺……? そんな!」
そんなはずはない。
そもそも知希は実鷹に約束していたのだ。面白いことを見つけたと、それをテストが終わったら実鷹に教えると。そのためにこの『書き写しノート』を実鷹に渡して、そのノートは今もここにある。
確かに首を括っていた状況は、自殺のように見えるかもしれない。けれど、そんなはずはないのだ。
「トイレットペーパーもパフォーマンスだと、死ぬ前の」
「そんなはずない! 知希は殺されたんだ! 七不思議のよっつめに!」
知希は七不思議を調べていた。きっと七不思議について知ってはならない何かを知ってしまった。だから
竹村竣の次に殺された知希が、ふたつめではなくよっつめに殺された理由は知らない。知らないが、七不思議に理屈なんて求めるようなものではないだろう。
「違うな」
ぴしゃりと冷たい声が実鷹に突き刺さる。
ゆるりと顔を上げれば、蒼雪が冷たい視線を実鷹に向けていた。そうして彼はいつも通りに、七不思議の呪いを否定する。
「現実を見ろ、
違う。七不思議の呪いはある。
そうでなければ困るのだ。そうでなければならないのだ。そうでなければ、兄は。帰って来なかった兄は、七不思議でなければ自らいなくなったか、あるいは誰かに殺されたことになる。
それも、実鷹が七不思議についてもっと聞きたいなどと言ったせいで。
知希だってそうだ。七不思議でないのなら、本当に自殺か、あるいは誰かに殺されたことになってしまう。これもまた、実鷹が七不思議について彼に話したせいで。そのせいで、二人とも。
「君はいつまで、目を背けているつもりだ? それとも君の兄のことと同じように、渡瀬知希の件からも目を背けて、七不思議のせいだなどと世迷い事を言い続けるつもりか」
「お前に何が分かるって言うんだ!」
目を背けていたかった。あれもこれも自分のせいで、自分が余計なことを言ったせいで、そのせいで。そんなものと向き合いたかったはずがない。
それなのに蒼雪は、現実を見ろと実鷹に言ってくる。七不思議のことを否定して、呪いも幽霊も怪異も否定して、これが現実なのだと突き付けてくる。
「分かっていることは多いさ、少なくとも君よりは」
立ち上がって、蒼雪の襟首を掴みそうになった。けれどそれよりも前に、実鷹の行動を制するように隣の部屋から侑里が顔を出す。
中途半端なところで、手が止まった。その手に蒼雪から知希のノートを押し付けられて、思わず受け取る。
未だにこれの中身は見られていなかった。何が書いてあるのか確認をする気にもなれず、見たら後戻りができなくなるような気もして。
「おーい、ヒメ。サネをあんまり
「
自分の部屋から出てきた侑里が、実鷹の前に立つ。そうして彼に肩を下に押し付けるように力をかけられて、実鷹は再び床に座ることになった。
座った実鷹の前で侑里が屈みこんで、真っ直ぐに視線を合わせてくる。
「サネ」
侑里の顔以外が、ぼやける気がした。手にあるノートをぎゅうと握ってしまいそうになって、慌てて力を込めそうになった手の平を制止する。
「俺は七不思議だ何だはどうだっていい。ただ、このままトモが意味不明なことをして自殺したっていう扱いになるのは、俺は納得がいかない」
木の枝のところで、知希が揺れている。みしりと、ゆらりと、ぐらりと。
テレビドラマだったなら、発見者が悲鳴でも上げるのだろうか。けれど現実は悲鳴など上がることもなく、実鷹はそこからの記憶は曖昧で、蒼雪がどうしたのかも覚えていない。
「警察は、なんで自殺だなんて」
「……抵抗した様子がない。縄を外そうとした
「解剖とかって」
「日本における司法解剖は、予算と医師の不足でほとんどなされていない。そういう事情で、変死と思われる状況でも自殺や事故、心不全で片付けられるケースも多いんだ。それに、遺族が首を縦に振らなければ解剖は……一応、できる場合もあるけど」
解剖をして何が分かるのか、実鷹には分からない。けれど不自然な死に方をしたのならば、すべて解剖されるものだと思い込んでいた。
息を吸って、吐き出す。心臓のところに手を当てて、自分を落ち着けようとした。
「七不思議の呪いなんてものはない。怪異も幽霊も存在しない」
蒼雪はまた、否定する。
七不思議の呪いがないのならば、何故兄は帰って来なかった。何故竹村竣は階段のところで死んでいた。何故知希は裏庭で首を括られていた。
「能楽においてシテ、つまり主役たる幽霊を見ることができるのは、生身の人間であるワキの目を通しているからだ。この場合のワキというのは単なる脇役ではなく、物語のはじめに出てきて案内をする人間でもある。彼らは僧侶であったり
それは以前も、蒼雪が言っていたことだ。
そんなものは見えやしないのだと。ワキの目を通さなければ、
最初から彼は言っていた――殺されたかもしれない人間を放置するのかと。
「現実において、そのワキは存在しない。ならば怪異も幽霊もない。死んだ人間が何も語らないのなら、誰もその語りを聞くことができないのなら、生きている間にばら
生きている間にばら
知希はとにかく、忘れないように何もかもを書き写す癖があった。ならばこの中には、必ず彼が知ってしまった真実が隠されている。
開かなければ。このノートを開いて、そして、何を知ったのかを実鷹も知らなければ。
「君がそのまま現実から目を背けると言うのなら、好きにしろ。俺は知らない。けれど君が少しでも兄や渡瀬のことを思うのならば、君しか知らないことを、君しかできないことをするべきだ」
「……俺にしか、できないこと」
ここにあるのは、知希のノート。これは、実鷹に託されたもの。知希は先に見ても良いと言っていた。ならばこれを実鷹が開いても、きっと彼は笑うだけだ。
そして、兄に聞いた七不思議のこともある。思い出さないようにしていた兄の言葉の中にも、何か繋がるものはあるのかもしれない。
「仇討ちとは、
兄はどこに消えてしまったのだろう。行方不明という言葉で片付けられてしまっていても、今もこの学園のどこかで眠っているのか。
生きているのならば、どこで。死んでいるのならば、どこに。見付けて真実を知らなければ、実鷹は前には進んでいけない。
七歳の自分が叫んでいる。僕のせいだと叫んでいる。
「
違うよと、君のせいではないと。
七歳の実鷹に告げたのは、蒼雪だった。
「……俺は」
本当に知らないままでいたかったのならば、月波見学園に来る必要はなかった。そもそも受験が必要なこの場所だ、わざわざ受験しなければそのまま公立へと進んだだけだ。
けれど実鷹は、ここへ来ることを選んだのだ。父にも母にも本当に良いのかと問われながらも。
七歳の自分が泣いている。背を向けて、閉ざして、泣いている。全部七不思議のせいにしてしまえば自分のせいだなんて自分を責めなくて良いのだと、そんなことを叫びながら。
「お兄ちゃんがどうして帰って来なかったのか、知りたい」
僕のせいだ。
けれど、実鷹が行方不明にしたわけではない。確かに七不思議のことを実鷹は知りたがったかもしれないが、誰かが何かをしたのでなければ、兄はそのまま夏休みに家へ帰ってきたはずなのだ。
けれど、兄は帰ってこなかった。約束は果たされることなく、実鷹の腹の底に澱みだけを残していった。
「トモがどうして死ななければならなかったのか、知りたい」
俺のせいだ。
けれど、実鷹が殺したわけではない。七不思議のことに知希が興味を持ってしまったのは実鷹のせいかもしれないが、それでも彼が自殺でないのなら、彼は誰かに殺されたことになる。
そうでなければ、知希は今でも生きていた。そうしてきっと、彼の気付いた面白いことを実鷹に教えてくれていたはずなのだ。
「
振り絞るように、叫ぶように、言葉を紡いだ。
七不思議の呪いがないのなら、怪異や幽霊がないのなら。ならば、誰かが兄を隠した。ならば、誰かが知希を殺した。竹村竣だって、そうなのだ。
彼らを殺した誰かが、どこかにいる。兄は行方不明ではない。竹村竣は事故ではない。知希は自殺ではない。そう思うのなら、それを
それをした誰かの口から、真実を告げさせねばならないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます