4.――のせいだ

 知ってるか? 首括りの木の噂。

 風もないのに木の枝から、何かがぶらりゆらりと揺れているんだ。

 きしきしと木の枝は軋んで、太くない枝は折れそうにたわんでいる。

 どうせ、折れたりしないんだけどさ。

 だって最後には首括りの木にぶら下がってたものは、忽然こつぜんと消えてしまうんだ。

  ――月波見学園七不思議 よっつめ【裏庭にある首括くびくくりの木】



 雨が降り止んだのは、二日後のことだった。その間部屋で待っていても、知希ともきが戻ってくることはなかった。テストが終わった日曜日だというのに、実鷹さねたかはずっと腹の底に淀んだものが吐き出せないままになっている。

 声をかけに来た侑里ゆうりの誘いを断って、寮から外に出た。どこへ行くというあてもないが、それでも部屋にいるよりはとふらりと歩く。


佐々木ささき?」

姫烏頭ひめうず……」


 旧校舎の方まで歩いてきたところで、蒼雪そうせつに声をかけられて振り返る。彼は険しい顔をして、じっと実鷹の顔を見ていた。

 それがどうにも落ち着かないが、それでも彼の顔を見ていると言いたくなることがある。


「七不思議の呪いは、あっただろ」

「何の話だ」

「……トモが、帰ってこないんだ。七不思議を調べてたせいだ、そうなんだろ。なあ」


 未だに知希は戻らない。一人きりの寮の部屋には、ただ雨の音だけが聞こえてきた。

 まだ起きてるかと声をかけてくる知希がいない。侑里は気にして何度か部屋に顔を出してくれてはいたが、夜になれば自分の部屋に戻っていく。

 七不思議のせいだ。七不思議を調べていたせいだ。

 だから知希も、兄と同じようにどこかへ消えてしまったのだ。


「そんなもの、あってたまるか」

「じゃあ何で、トモは帰ってこない!」


 八つ当たりのような言葉を吐き出せば、蒼雪はじっと実鷹の顔を見ていた。けれど視線を外すこともできずに、実鷹は彼の顔を睨むような形になった。

 蒼雪の表情は険しいままで、そして眉間の皺は深くなる。何度か考えるように口を開いては閉じてを繰り返した後に彼は溜息を吐き、ゆるりと首を横に振った。


「……


 僕のせいだ。

 俺のせいだ。

 幼い実鷹が責め立てる声がする。甲高い子供の声がわんわんと頭の中に響くようで、気付けば実鷹は声を荒げていた。


「姫烏頭に何が分かるって言うんだ!」


 七不思議を蒼雪は否定する。

 蒼雪のせいだと思うのは、実鷹のただの八つ当たりなのか。蒼雪が竹村たけむらしゅんの死を調べたりしなければ、あの日に旧校舎へ入っていくのを見てしまわなければ、蒼雪を追いかけなければ。

 そうすれば、知希がいなくなることもなかったのか。そうすれば、こんな思いを抱くこともなかったのか。


「八年前の行方不明者、佐々木鷲也しゅうや


 ただ蒼雪の顔を睨んでいれば、彼は兄の名前を口にした。

 八年前のゴールデンウィークに、帰ってきた兄から七不思議の話を聞いた。本当は駄目だけれど調べていると言った兄に、もっと聞かせて欲しいとねだったのは実鷹だった。

 じゃあまた調べてきて、教えてあげよう。

 記憶にある兄との最後の約束は、そんな他愛もないものだった。そしてそれを最後にして、兄は二度と家には帰って来なかった。

 七不思議に呪われた。七不思議のせいでいなくなってしまった。もし、そうでないのなら。


「君の、血縁者か」


 唇を引き結んで、何も答えずに蒼雪を睨む。彼はただじっと実鷹を見て、再び溜息を吐き出した。


「血縁者だな。兄か従兄いとこか……ああ、兄か」

「なんで」

「心なんて読んでないからな。君は本当に分かりやすいんだ」


 そうとしか思えないようなことを言うくせに、蒼雪は否定する。分かりやすいと言われたところで、実鷹自身にはそんなことは分からない。

 分からないけれど、言い当てられて気分が良いものではない。ただじっとこちらを見透かすようにして見てくる蒼雪の目が、どうしようもなく気味が悪くて、そしておそろしいものにも見えた。


「八年前の行方不明者のことなんて、どうして姫烏頭が知ってるんだ」

「調べたからだ。三十五年前に卒業を前にして高校三年の生徒が一人、行方不明になった。それから八年前にも高校三年の生徒がもう一人。そして二人とも、未だ見付からないまま」

「……姫烏頭は未解決事件とか調べてるって、ユーリが言ってた。その一環か?」

「あいつ……人のことをべらべらと」


 口が軽いなと蒼雪は呆れ果てたように言葉を紡ぎ、そうして胸ポケットから以前も見た灰色の手帳を取り出す。それをぱらぱらとめくり、おそらくは目的のページだろうところで手が止まった。


「二人とも七年以上経過しているが、失踪宣告はされていない。未だ生死不明で失踪状態となっている。当初は警察も動いていたようだが、結局見付からなかった。君が七不思議の呪いを信じるのは、兄のことが原因だな?」


 何も答えない実鷹の顔を見ることをやめたのか、蒼雪が視線を動かす。そうして視線を彷徨さまよわせた蒼雪は、訝し気な顔をしてある一点で視線を止めた。


「……佐々木」

「何?」

「あれは、何だ」


 旧校舎の裏庭まで、あと少し。校舎に隠れて裏庭そのものは見えないが、ぬかるんだ地面だけは見えている。

 蒼雪が指を差した先に、ひらひらと何か白いものが踊っていた。ようやく雨が止んだと言っても曇天の下、晴れ渡っているわけではない。少しばかり薄暗く思える昼下がりに、奇妙なものが踊っていた。


「……なんだ、あれ」


 裏庭の方へと足を踏み出せば、ぐちゃりとぬかるんだ地面が音を立てた。まるで大きな水たまりか池のようになっていそうな地面の様子に少し躊躇ためらったが、その白いものはどうにも気になる。


「トイレットペーパー……なんで、こんな……」


 旧校舎の裏庭には、何本も木が植えられている。卒業生が植えた木が多いと、知希も言っていた。何本も立ち並ぶ木々を彩るようにして、トイレットペーパーが巻き付けられている。その切れ端が風に流されて、ひらひらと揺れていた。

 首括りの木。それをふと思い出す。ぶらり、ゆらり、けれど七不思議で揺れるものはトイレットペーパーではない。

 ほとんどの木にトイレットペーパーが巻かれているのに、一本だけトイレットペーパーが巻かれていないものがある。その木が気にかかったが、地面のぬかるみのせいで一歩を踏み出すのはやはり躊躇ちゅうちょした。


「佐々木」


 硬い声音で、蒼雪が実鷹の名前を呼ぶ。


「アレは、渡瀬わたせか」

「……え?」


 蒼雪が、指を差した先。

 だらりと足が下がっている。何かが木にぶら下げられて揺れている。縄で首を括られて、手足を重力に引かれるままに下げている。

 だらり、ぐらり、みしり、ゆらり。

 その、顔は。


「な、なんで! トモ!」


 ぬかるみすらも気にせずに駆け寄ろうとして、けれどそれは蒼雪に腕を引っ張られて止められた。前に進むことができなくなり、振り払ってでも無理に進もうとする。

 蒼雪の力は強く、ぎりぎりと指先が二の腕に食い込むようだった。


「待て、寄るな! 触るな!」

「七不思議だ! 七不思議に殺されたんだ! 七不思議の呪いだ、そうだろう! これを見てもまだ否定するのか、姫烏頭! トモが! なあ!」

「落ち着け! そんなものはない! 君のそれは、ただだろうが!」


 ぶつりと何かが切れるような音がした。地面がぐにゃりと歪むような気がして、膝から力が抜けてしまう。ただがくりと膝を付くようにして、それでも視線を目の前の光景から逸らせない。

 七不思議に呪われる。七不思議に殺される。

 竹村竣はひとつめの七不思議に殺された。

 ならば、これは。知希のこれは。

 渡瀬知希は、よっつめの七不思議に殺されたとでもいうのか。そうだとすれば、まただ。また実鷹が七不思議を気にかけたせいだ。

 蒼雪の指先から力が抜けた。ずるりと実鷹の腕が落ちて、地面に座り込む。

 目の前で、知希の体が揺れている。まるでよっつめの七不思議に書かれているように。真っ白なトイレットペーパーが巻き付けられた木のところで、ゆらりゆらりと揺れている。


「……何としてでも、解を得る。が誰なのかは分かっているんだ、あとは」


 蒼雪が奥歯を噛み締める音が、やけに大きく聞こえた。

 猿が笑う。少女は踊る。知希の体は揺れている。七不思議のみっつめにしか猿は出てこないというのに、よっつめもまた猿のせいだとでも言いたいのか。


「だが、どうして……よっつめなんだ?」


 これを見てもまだ、七不思議の呪いを否定するのか。

 これを見てもまだ、七不思議の呪いを信じるのか。

 どうしてと、それだけが実鷹の口から零れて落ちていく。蒼雪からの答えはなく、その言葉はただ落ちて砕けて消えてしまった。

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