3.知希のシャープペンシル

 まんじりともせず一夜を明かし、けれど知希ともきが部屋に戻って来ることはなかった。

 俺のせいだ。七不思議に興味を持ったせいだ。トモは七不思議に呪われてしまった。だからお兄ちゃんと同じように帰ってこないんだ。

 ぐるりぐるりとそんなことばかりが頭の中を巡り続け、眠れるはずもない。こうなってしまったのはすべてなのだと、ならばその話題を出してしまった実鷹さねたかのせいなのだと、自分を責める言葉しか出てこなかった。

 のろのろと起き上がって、けれど教室には行きたくなかった。教室に行けば何もなかったような顔をして知希がいてくれれば良い、けれどいないのだろうとも思っている。おはようどうしたんだそんな顔で、そんな風に何事もなく挨拶されることがないことは分かっていた。

 行かなければ。

 行きたくない。

 共有スペースに続く扉が開いて、ちょっと友達の部屋に泊まっていたのだと顔を出してはくれないだろうか。そうすれば何だよ心配したじゃないかと言って、それで終わるのに。

 ごんごんと扉を叩く音に、一度は動こうとも思えなかった。けれど再び扉が壊れそうな勢いで叩かれて、のろのろとベッドから降りて共有スペースへ向かう。


「……あれ?」


 共有スペースの机の上に違和感を覚えて、首を傾げる。けれどそれはもう一度扉が叩かれることで霧散して、実鷹は鍵を開けて扉を開いた。


「お、出てきたな」

「ユーリ……」


 眉間に皺を寄せた侑里ゆうりがそこにいて、その後ろには難しい顔をした蒼雪そうせつもいる。

 侑里の入っても良いかという言葉に軽く頷いて、彼らが室内へと入れるように横へとずれる。侑里は気にすることなくずかずかと共有スペースに入ってきたが、蒼雪は一つ頭を下げて「邪魔をする」と告げて部屋へと入った。

 何を考えていたのだったかと思って、再び共有スペースの机を見る。机の上には何があったのだったか、面倒だし別に良いかとそう思ったはずなのだ。


「あ……」

「どうした?」


 どかりと何を気にすることなく床に胡坐をかいて座った侑里とは異なり、蒼雪は所在なさげに立っている。蒼雪も座るように促して、実鷹は定位置のクッションのところに腰を下ろした。

 机の上には何もない。床に転がったのかと見てみれば、床の上にも何もない。となると知希は一度寮の部屋に帰ってきてシャーペンを回収していったのか、けれど寮監は知希は朝出たきりで一度も戻って来ていないと言っていた。

 蒼雪はようやく座ったが、彼は背筋を伸ばして正座している。


「トモのシャーペンがなくて」

「シャーペン?」

「朝、机の上に忘れてたんだ。トモが朝、そこで書き写しノートを開いてて」


 そういえば、書き写しノートは実鷹が預かったままである。

 あの中に何が書かれているのか。知希はと言っていたが、その内容はやはり実鷹には予想もつかない。彼は何を図書館で調べて、そして知ったのか。

 七不思議を調べれば呪われる。七不思議を知れば殺される。その言葉にひやりと冷たい手が背筋を撫でて行ったかのような気持ちになったが、気付かなかった振りをした。


「トモ、一回戻って来たのか?」

「ううん。この部屋の鍵は俺が帰るより前は誰も取りに来てないって、寮監先生が」


 朝出たときに寮監に鍵を預け、帰ってきたら再び受け取る。掃除も自分たちのするべきことであって、誰かが立ち入るということもない。

 だから、誰も寮監のところに鍵を取りに来ていないということは、誰もこの部屋に立ち入っていないということでもある。


「……シャーペン」

「机の端にあったから落ちたのかもしれないけど、床にも落ちてないし」


 蒼雪の言葉に頷いてからもう一度机の下を見てみても、やはり知希のシャーペンは落ちていない。となれば一体シャーペンはどこに消えてしまったのだろうか。


渡瀬わたせは、何を知った?」

「七不思議を調べてて、とは、言ってたけど」


 知希は実鷹に何を伝えるつもりだったのだろうか。

 書き写しノートを見てみれば分かることもあるのかもしれないが、今は開く気にもなれなかった。知希が戻ってきて先に見ていることが分かったら、何だ気になったんじゃないかと彼は笑うだろうか。


「三十五年前の七不思議を調べたって……図書室に、古い学園新聞があって。今は新聞部はないけど、その当時はあったみたいだから。それで七不思議の取材をした記事があったみたいで」


 蒼雪は険しい顔をして、何事かを考え込んでいる。井場いばにも聞けるかもしれないと、知希は三十五年前の七不思議を調べていたはずだ。

 険しい顔のまま、こつりと蒼雪の指先が自分の膝を叩いていた。


「図書室か……むっつめだな」

「あー、なんか人皮の本? とかいうやつ?」


 七不思議のむっつめに、図書室のことが出てくる。図書室に眠る人皮の本、ある時図書室で本を探す生徒の前にごとりと落ちてきて、表紙の中心にある目をぎょろりと開けるのだ。

 人皮というだけでも気味が悪いのに、それが目を開ける。知希はそれを怖がっていた。


「余程、図書室に近付けたくないとみえる」


 それきり蒼雪は黙り込んでしまい、またこつこつと膝を指で叩いている。これは駄目だなと侑里が肩を竦めて、彼は実鷹の顔を見た。


「とりあえずサネ、教室行けるか? どうする?」


 行きたくはない。行って知希の席が空白なのを見たら、またぐるぐると考え込んでしまうかもしれない。

 けれど、ここで一人でいても同じことなのだ。知希が戻ってこないのならば、ひょっこりと顔を出すことがないのなら、結局実鷹はぐるぐると七不思議のことを考え続けることになる。


「……行く。行くよ。どうせここで一人でいたって、ぐるぐる嫌なこと考えるだけなんだ。授業受けた方がマシかも」

「じゃあ準備してこいよ。待っててやるから」


 ゆらりと立ち上がった実鷹を見上げて、蒼雪も立ち上がる。


三砂みさご、俺は先に行く」

「何だよ、お前も待ってろよな」


 いや、と蒼雪は首を横に振った。

 そもそも実鷹は蒼雪と仲が良いわけでもないし、彼は同室である侑里に連れて来られた形だろう。自発的にここへ来たとは考えにくい。


「調べたいことがある。思えば竹村たけむらしゅんについて、話を聞いていない」

「おいおい、ヒメ。探偵ごっこでもするつもりか?」

「誰がそんなくだらないことをするか。竹村竣については少し違和感があるんだ。だからその人となりを知りたい。文芸部の部長にでも聞けば分かるはずだろうから」


 彼らの言葉を背中で聞きながら、自分の部屋へと足を踏み入れる。なんとなく蒼雪と侑里の会話が気になって、部屋の扉は閉めずにおいた。

 竹村竣は中学部の二年生で、文芸部。旧校舎入ってすぐの階段のところで、後頭部から血を流して死んでいた。知っていることなどそれくらいで、彼がどのような人物であるかなど知るはずもない。


「違和感? なんだそれ」

「竹村竣は一般生だ、俺やお前とは違う」

「それがどうかしたか? そんなんごろごろいるだろ」

「じゃあ、竹村竣の家は」

「はあ? そんなもん知るかよ。興味もない」

「普通はそうだろうな」


 特奨生や外部生の方が圧倒的に数が少なく、多数いるのは一般生だ。彼らの家はつまり月波見学園の六年間にかかる費用を支払うことができる家ということでもある。

 だからといって、他人の家がどうとか、そんなものは詮索するようなものでもない。中にはそういう詮索が好きな生徒もいるようだが、実鷹とて侑里と同じように興味はなかった。


「竹村竣の家は、竹村医院だ」

「医者か? そういうのもいっぱいいるだろ。医者ならここの費用くらい払えるだろうし」


 どこかで聞いたことがあるような気がして、着替えながら頭の中を探ってみる。

 竹村医院、医者なのは確かだ。けれど、それを一体どこで聞いたのだろう。聞き馴染みがあるような気がして、シャツのボタンを留めながら実鷹は少し首を傾げる。


「そこじゃない」


 着替えを終えて鞄を持って共有スペースに戻れば、蒼雪が溜息をついたところであった。


「まあ、ここで長々その話をしても仕方がないな。今日はまだ雨が降り続きそうだ。傘は持って行けよ」


 それだけを告げると、蒼雪は部屋を出て行った。仕方がないなとでも言うように肩を竦めた侑里に「準備はできたのか」と問われ、首を縦に振る。

 行くのも気が重ければ、ここにいるのも気が重い。結局のところ、何も考えないのは無理な話だ。


「竹村医院って聞いたことがる気がするけど」

「だな……ああ、あれか。月波見の生徒が病気とかすると連れて行かれるでっかい病院。なら竹村竣っていうのはか」


 嫌味のように侑里は口の端を吊り上げている。

 医者の子供はたくさんいるが、その中でも大病院となれば相当だ。実鷹の家は医者ではなくただの建築業であるので、彼らとは比べるまでもないことだろう。


姫烏頭ひめうずは何でそんなものを気にするんだろうな」

「さあ? あいつの考えてることはよく分からないからなあ。ま、俺らにはどうでもよくても、あいつにとってはどうでもよくない何かなんだろ」


 竹村竣の家が大病院であろうが何だろうが、結局月波見にいる以上は生徒の一人でしかない。もちろんそう思わない者も中にはいるが、少なくとも実鷹はそうとしか思っていなかった。

 部屋を出て、鍵をかける。がちゃんとかかった音が、どうにも重たい。


「トモ、見付かるといいけど……」

「下手な慰めの言葉が欲しいか?」

「それくらいの方が気休めになるかも」


 廊下を歩きながらいっそと思ったが、その言葉を実鷹はすぐに後悔した。


「そのうちひょっこり顔出すだろ、腹減ったりしたら。だから気にするな」


 侑里のその言葉は棒読みで、気持ちがこもっていないのは丸分かりだった。彼は知希がいなくなったことを、どう思っているのだろう。


「ほんと、下手だな」

「だから言っただろ、下手な慰めの言葉だって」


 寮を出たところでふと、地面を見た。

 そこに落ちていたシャーペンに見覚えがあって、実鷹は近付いて拾い上げた。雨に濡れたそれは間違いなく、机の上にあった知希のものと同じだ。

 どこにでもあるシャーペンで、それが絶対に知希のものである確証はない。けれどやはり知希のものである気がして、実鷹はそれをハンカチに包んでポケットに入れることにした。

 知希が戻ってきたら、彼のものかどうかを聞いてみればいい。違っていたら、その時はその時だ。

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