5.藻にすむ蟲のわれからと
にやにやと、けたけたと、猿は笑った。
体育館のステージで少女が踊る。身をくねらせて、身をよじらせて。
涙を流していやいやと首を横に振って、それでも踊る。
見ろや見ろやと猿は囃し立てた。
泣きながらでもずっと踊り続けるんだ、あの女。
――月波見学園七不思議 みっつめ【体育館のステージで踊り続ける少女の亡霊】
黙り込んでしまった
七不思議には呪われる。呪われなければならない。
「
関係があるのかないのかも分からないのに、好きに喋っていろと
「そうして進み出て来た者が、盛綱に殺された漁師の母だった。さめざめと泣きながら漁師の母は盛綱の前に立ち、我が子を海に沈められた恨みを述べる。ただこの母、恨みを呑み込もうとはしているんだ。仕方のないことだったとして。身分の高い者に身分の低い者が殺された、権力者には逆らえない、我が子は前世の報いを受けたのだと、有り得ない理由を付けて自分を納得させるしかない。それでも余りに無常ではないかと、
盛綱は武士だ、それも源氏の。勝者となり、その土地を支配する権利を得た者だった。ならばそこに住んでいる者が、逆らえるはずもない。
身分が上の者に、身分が下の者は逆らえない。そういう時代であったと、言ってしまうだけなら簡単だ。それが現代にはないのかと言えば、実鷹の答えは「あるのかもしれない」だ。
教師と生徒、先輩と後輩、あるいは同級生であってもないとは言えないだろう。この人には逆らえないと、そう思う瞬間が絶対にないとは言い切れない。
恨まなかったはずがない、けれど、きっと恨めなかった。恨んではならないものだと、そう言い聞かせた。それでも恨まずにはいられなかった。
考えるだけで息苦しくて、腹の底が淀む気がする。
「海士の刈る藻にすむ蟲のわれからと。音こそ泣かめ世をば恨みじ――この歌にすべて詰まっていると思わないか。人を恨まないようにしようと、そう言うのだから」
誰かを恨みたくなどない。
認めてしまえば、恨まなければならなくなる。責めなければならなくなる。呑み込みきれなくなる。
きっと漁師の母は呑み込もうとしたのだ。けれど盛綱が目の前に現れて訴訟を聞くなどと言ったから、呑み込みきれない恨み言が溢れて落ちたのだ。
「盛綱は最初、まったく知らないと突っぱねるんだ。それでも母は藤戸の海の道を教えて命を取られてしまったのは、まさしく私の子であると告げる。人は知らないと思っているのかと、まだ隠すつもりかと。悪事とはいつか人の口の端に上る。それが良心の呵責であるのか、知ってしまった誰かによるものか、そんなものは知らないが」
悪事千里を走ると言うだろうと、蒼雪は何でもないことのように言った。
ニュースになるのは、いつだって悪い話だ。良い話なんてほとんどなくて、嫌になってしまうほど。もっと楽しい話を人に知らせればいいのに、悪い話ばかりを繰り返す。
「この母は何も、盛綱を責め立てようというわけではないんだ。悲しみは深く残り、来世になろうと来々世になろうと執着の根となり苦しみの海に沈んでしまう。だからせめて沈めてしまった我が子を弔ってくれと、母の願いはそれだけなんだ」
その考えは、実鷹には分からない。多分仏教なのだろうと思うけれども、そういうものにはとんと縁がなかった。年末に除夜の鐘を聞くことはあっても、それだけでしかない。
苦しんで、苦しんで、それを引きずる。根になってしまえば、それはどうなるものだろう。
「諦めと、当時の当たり前と。盛綱自身はそもそも、この母が自分に何かをできるはずもない、お前も殺してやるなどとできはしない。そう思っているわけだ。仇討ちというものは確かに認められていたかもしれないが、これは武士の血族意識によるものでしかない。平民がやれ仇討ちだなんだとできるわけではなく、まして尊属、つまり両親や兄姉が殺された場合のみしか適用されない。卑属、つまり子や弟妹が殺された場合はそもそも認められないものだ。そもそも仇討ちの許可は士族にしか出ないのだからこの母には土台無理な話だな」
彼女はただの漁師の母親だ。つまりは平民で、仇討ちを赦される階級にはない。
蒼雪が言葉を切って、しばし黙り込んだ。吹き抜けた風には、雨のにおいが残っている。
「七不思議のみっつめを、どう思う?」
「どうって……」
「体育館の少女の亡霊。おかしいと思わないか?」
実鷹だってそれは、引っかかっている。絶対にいないはずの少女が、七不思議には登場している。亡霊だからと言ってしまえばそれまでなのだろうが、それでもやはりおかしく思えるのだ。
まして、踊るだけ。踊り続けている少女の亡霊は、どこからやってきたのだろう。
「おかしい、とは思うけど。そもそもここは男子部だし」
「そう。そして、猿だ。このみっつめにだけ語られる、猿だ」
他の七不思議には出てこない、少女の亡霊にだけ言及される猿というもの。にやにやと、けたけたと、少女の亡霊を
この猿が、どうにも嫌な感じがするのだ。舞台でも見るかのように、しかも喜劇を見るかのように、手すら叩いていそうなほどに。
「ここは別に山の中じゃない。山も近くない、近いのは海だ。山が近いなら猿が出ようと猪が出ようとおかしくはないが、この月波見学園の中でそんなものを見かけたという話は聞いたことがない」
田舎の学校であれば、校庭に鹿が出たとか、どこかで熊が出たという校内放送がかかるとか、そういうこともあるだろう。実際に実鷹は通っていた小学校の校庭を鹿やイタチが走っていくのを見たこともある。
けれど、月波見学園はそんな場所にはないのだ。少し行けば海があるような場所にあり、山にいる獣が現れるようなこともない。
「考えるべきはきっと、猿の方なんだ。笑って、囃し立てて、踊りを見る猿。さあ、猿は何を隠した? あるいは、猿には何が隠されている? 水銀の在処を知るものを
蒼雪は蜘蛛というものは人間であったと言っていた。蛙とて人間だったのだろう。
ならば、猿は。
「猿、とは、何だ?」
にやにやと猿は笑っている。囃し立て、
踊る少女はどうして、そんな風に猿に笑われているのだろう。嫌々ながらもどうしてか踊りを止められないせいか。ならば、彼女を踊らせているのは何なのか。
今頃体育館ではきっと、バレー部かバスケ部が部活動をしていることだろう。
猿は動物園でも、山でもなく、この学園にいたのか。それともその猿すらも、七不思議の怪異の一つであるのか。みっつめはただ踊るだけ、笑われるだけ。
なんだかとても嫌な気持ちになって、腹の底が落ち着かない。実鷹は深呼吸をして、その淀みに気付かなかったふりをした。
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