2.少女はどこからやって来たのか

 ベージュ色のプレートの上に、グラム数が規定通りの白飯。ぐるりと渦を巻くとワカメとネギの味噌汁は、実鷹さねたかが家で食べていたものより色が薄い。家の味噌汁は赤味噌であったので、きっとこれは合わせ味噌なのだろうと思っているが、確かめたことはなかった。

 どのメニューを選んでも、ここまでは同じだ。あとのおかずだけが、どれを選んだかによって違っている。

 実鷹さねたかのプレートには白くて丸い皿があり、甘酢ダレとタルタルソースの色彩がチキン南蛮の衣の上で踊っている。キャベツの千切りが多くないのもチキン南蛮が大きくないのも、そこは食堂でたくさんの生徒に提供するためのものだから仕方ないことだろう。

 食堂の開いている席を選んで、侑里ゆうりとは向かい合わせに座る。

 今日の授業がどうの、誰かが気に入らないだの、そんなざわめきの中にはやはり竹村たけむらしゅんのこともある。

 ざわめきを振り払うかのように、箸を手にした。


「食堂のチキン南蛮ってさ、ちょっとパサついてて苦手なんだよな」

「そう?」


 侑里は丁寧な箸さばきで、サバの味噌煮のサバを摘まんでいる。とろりとした煮汁が滴り落ちて、鉢の中に落ちていく。

 実鷹としてはこんなものだろうと思っているが、侑里にとってはそうではないらしい。甘酢タレとタルタルソースを乗せた一切れを口に入れて、もぐもぐと口を動かした。いつも通りの味である。


「で、さっきの話な」


 サバの味噌煮を白飯の上にのせて、侑里はそれから白飯ごとそれを口に放り込む。何度か咀嚼そしゃくしてごくりと飲み込んでから、彼は箸を一度味噌汁の椀に渡すようにして置いた。


「ひとつめとふたつめは、広く見ればよくある話かもしれない。階段と、ピアノ。要素としては七不思議によくあるものだから」


 思わず口に入っていたチキン南蛮を飲み込んでしまった。まだあまり噛めていなかった大きなかたまりが喉に詰まりそうで、実鷹は慌ててお茶のコップに手を伸ばす。

 ごくりと茶色の麦茶を流し込み、一息つく。なんとかチキン南蛮は食道を滑り落ちて行った、気がする。


「その話、今する?」

「むしろ今だからする。こんなん人の少ないとこでしてたら辛気臭くなるだけだろ」


 そういうものだろうか。むしろ余計な誰かに声をかけられて、面白おかしく言われる方が実鷹としては嫌な気持ちになるけれど。

 侑里は実鷹の細かい事情など知らないが、彼に対しては気にならない。けれど、他の誰かに口を挟まれると、腹の底が淀んでいくような気持ちになってしまう。


「みっつめ以降に違和感があるんだ。俺だけかな」


 みっつめは、体育館だ。

 体育館というだけならば、何も珍しいことはない。けれど実鷹も引っかかっているのは、ステージという場所と、そしてだという亡霊。その部分が、妙に引っかかるのは確かだった。


「具体的に言えば、みっつめは体育館で、しかもステージという場所の限定。しかもこの男子部なのにときた。少女なんてどっから入り込む余地があるんだ? こんな男だらけで、若い女の先生がいるわけでもない場所だろ?」


 どうやら侑里も実鷹と同じところで引っかかったようで、実鷹の疑問と同じことを口にしている。体育館全体というわけでもない、ステージの上で踊るだけ。しかも命を取られるとか、そういう話もないのだ。

 ひとつめは奈落の底へ。ふたつめは魂を取られる。けれどみっつめは、本当になのだ。


「そこは俺も思うけど」

「だろ」


 少年ならば、百歩譲って納得できる部分はある。もちろんそれでステージだとか踊るだとか、その部分が解消されるわけではない。けれど、少年であれば月波見学園男子部の生徒だったのだろうなと、そう思うだけだ。

 けれど、だ。

 この男子部には、絶対にいないはずの存在なのだ。その名前の通りに。


「俺は別に詳しくないし近寄るつもりもあんまりないんだけど、なんでかなって考えてる」


 詳しくないと言いながら引っかかった部分を真剣に考えている様子に、実鷹はチキン南蛮を食べる手を止めた。チキン南蛮はまだ半分くらい残っている


「ほんと、ユーリって色々考えるね」

「引っかかると気になるんだ。そしてサネ、俺を何だと思ってるんだ。俺は一応特奨生とくしょうせいだぞ」


 さらっと紡がれた言葉に、実鷹は思わず「は?」と声を上げてしまった。

 月波見学園は私立で、入試の仕組みとして特別奨学生と特別待遇生を設けている。特別奨学生は入試も別で、入学金から寮費から学費から、すべてが無料になるという破格のものだ。当然ながら狭き門であり、一学年にその人数は数人しかいない。

 特別待遇生は通常の入試で認定され、こちらは学費が無料になるものだ。特待生は特奨生よりは数がいる。


「え、それ初めて聞いたんだけど。しかも特奨? 特待とくたいでもなく?」

「まあ、吹聴して回るようなことじゃないし。そうじゃなきゃ月波見は無理だぞ、俺の家。父さんはただの公務員だし」

「へー」

「興味なさそうだな、サネ」

「え、まあ別に……誰がどういう家とかどうでもいいし。そんなこと言ったら俺の家もただの建築業だし」


 サバの味噌煮を口に入れて、それから侑里は味噌汁を一口ごくりと飲む。白いシャツの襟の上、喉が動くのが見えた。


「その話は良いんだ。で、どう思う」

「どうって、体育館の話?」

「そうだよ」


 合間合間に食事は進んでいく。実鷹の皿の上にあったチキン南蛮はあと一切れになって、タルタルソースはもうほとんどなくなってしまった。これは少し配分を間違えたかもしれない。

 白飯を食べて、それから味噌汁。三年も食べ続ければ、すっかり家の赤味噌の味噌汁よりも食べ慣れた味になっている。


「少女って言っても年齢はまちまちだし、小学生かもしれないし、俺らくらいかもしれない。でも、そのはどこから来た? 誰か入り込んだのか? それともどこかから連れて来たのか? はたまた、女装した男か?」


 生徒としては有り得ない。男装して入り込むなどそんなものは物語の中だけのことであり、現実としては不可能だ。つまり男子部の生徒として女子生徒が紛れ込んでいるということはない。

 ならば、その少女はどこから来たのか。七不思議というもので、真実ではなくて、幽霊の話で、そういう理由を付けてしまえばいいのかもしれないが、それではやはり納得はできない。


「女子部の生徒かもしれないだろ?」

「女子部か……御鈴おすず廊下ろうかは閉ざされてるのに?」


 旧校舎と女子部の校舎を繋ぐ渡り廊下は、存在はしている。けれどそれは、誰一人として渡ったことのない廊下だ。


「作られてから一度も開いていないだろ、御鈴廊下は」


 女子部の生徒と男子部の生徒が交流することはない。そして男子部から女子部に行く渡り廊下が開かれていないということは、同時に女子部の生徒も男子部に足を踏み入れたことがないということだ。

 あの渡り廊下を何のために作ったのか知らないが、作った当初は交流をさせるつもりがあったのかもしれない。


「そういや、ないな。開かずの間」

「七不思議のこと?」

「そうだ。開かずの間って七不思議にはつきものじゃないのか。うちは御鈴廊下があるせいか?」


 人体模型とか銅像もないけどさ、と侑里は肩をすくめる。それからちらりと腕時計を見て、「あ、やばい」と声を上げた。

 実鷹も腕時計を見てみれば、昼休みが終わるまではあと十五分しかない。がちゃがちゃと食器を運ぶ音もしてきて、席を立つ生徒も多くいる。

 それきり二人して黙り込んで、あちらこちらから聞こえてくる椅子の音や喋り声を聞きながら、プレートの上を片付けることに注力することになった。

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