4.とがもためしも波の底に
これは、聞いた話なんだけどさ。
練習室から放課後になると聞こえてくるピアノの音があるだろ?
昔ピアニストになりたくてなりたくてピアノに向き合い続けた生徒がいて。
その生徒、そのピアノのところで死んじゃったんだって。
今でもそのピアノには亡霊がいて、触れたら最後離れられなくなるんだってさ。
狂ったように弾き続けて、ピアノに魂を喰われるんだ。
――月波見学園七不思議 ふたつめ【旧校舎音楽室の人喰いピアノ】
翌日、またしとしとと雨が降っていた。なんだかすっきりしない天気の中、傘を差すか差さないかすらも迷う天気である。
七不思議のことは、ぐるぐると頭の中で渦を巻いている。
兄は行方不明で、生きているのか死んでいるのかも分からない。竹村竣のように遺体があったわけでもなく、ただ帰って来なかっただけ。
生きているかもしれないという希望は、けれど死んでいるだろうという諦めと
止まっていたはずのものが動き出してしまったようで、気持ちが悪い。ぐるぐると、かちこちと、止めていたはずの時計の針が進んでいくようで。
「あ……」
「ああ、おはよう」
玄関のところで、下履きと上履きとを履き替えている蒼雪に会ってしまった。思わず声を上げれば彼が気付き、何でもない顔で
右肩にだけ背負ったリュックサックは何が入っているのか、やけに重そうだ。
「あのさ……聞きたいことが、あるんだけど」
「いいよ、何? あ、いや、ちょっと待って。鞄だけ教室に置いて来ても良いか?」
口にしてしまってから、しまったと思う。
一体蒼雪に何を聞こうというのだろう。七不思議も呪いも否定した彼に、それを再び否定して欲しいのか。けれどその否定は、実鷹の中にあるものを崩すことにも繋がってしまうのに。
「分かった。俺もそうする」
「じゃあ、鞄置いたらそっち行くけど。何組?」
「俺は、5組」
実鷹が告げれば、蒼雪はふうんと声を上げる。
階段を上り、右手と左手に分かれていく。目の前には、特別教室棟へと続く渡り廊下。
「じゃあ、置いたら行くから」
蒼雪が声だけを残して去っていく。実鷹もまた自分のクラスへと向かい、鞄を机の横に引っかけた。特別何かすることがあるわけでもない。
知希は部活の朝練でまだ教室には姿がなく、
そのまま席に座っている気にもなれずに教室から外に出れば、ちょうど廊下の向こうからやってくる蒼雪と目が合った。どこで話をするべきか迷ったが、結局特別教室棟へと繋がる渡り廊下の入口前で二人並んだ。
「で、何が聞きたいの? 七不思議のこと?」
蒼雪が口にしたことは、実鷹が聞きたいことで何も間違ってはいない。
七不思議のことと言うのが正しいのかどうか、実鷹には分からない。ただそれでも、彼に問わなければいけない気がした。
「
「俺は別に竹村竣が死んだ件を調べようと思ってるわけじゃない。調べてることにたまたま竹村竣の死が絡んでいるだけだ。七不思議の件もその一環でしかない」
ならば何を蒼雪は調べたいのだろう。
彼は確かに七不思議を調べたいと言ったわけでもないし、竹村竣のことを調べたいと言ったわけでもない。気持ち悪いとか、解を得たいとか、そういうことは言っていたけれど。
「隠された真実は、つまびらかにするべきである。俺にとってはそれだけだ。正しく認識しなければ、忘れ去ってしまえば、殺し続けられなくなってしまう。いや違うな……俺はそうして殺し続けられているものを浮かばせたいんだ。沈んだままにはしておけない」
実鷹には蒼雪の言うことの半分も分からなかった。殺し続けるだとか、沈めるだとか、物騒な言葉が並んでいることだけは分かるけれど。
隠されたものを暴き立てることは、果たして正しいことなのか。それがただ蒼雪の正義感だというのならば、それはある種の暴走にも似ている。
「それは、その……興味本位、なのか」
「まさか。そんなつまらないことで首を突っ込んだりするわけがないだろ? いくら解が得られなくて気持ち悪いとしても。しなければならないと俺が思ったから、そうしているだけだ」
蒼雪はじっと実鷹の顔を見ていて、また言い当てられるのかと思うと居心地は悪い。だからそっと視線を外したが、それでも蒼雪は視線を逸らしてはくれなかった。
見られているというのは分かっている。だから努めて無表情になろうとしたが、うまくいかない。
「君は、何か思っていることはある、かな。恐怖心、だけど多分それだけじゃない。本当は知りたいんじゃないのか」
何も思っていないわけではない。思うところがないわけではない。
知りたいのか、知りたくないのか。七不思議の呪いがないのならば、兄はどうして帰って来なかったのか。その現実から目を背けたいのかもしれない。
だってそうでないのなら、兄は自ら帰って来ないことを選んだのか、それとも誰かの手によるものなのか、そういうことになってしまう。
「俺は、何も……」
「嘘が下手だな、君は。顔に出る」
ぎりと奥歯を噛み締めた。
嘘が上手いことに何の意味があるのだろう。嘘をついてはいけませんと、人はしたり顔でもっともらしく言うではないか。
「忘れんと思
低く、重く。蒼雪が
忘れる。忘れることなんてできはしない。忘れたことなどない。果たされなかった約束と、どこか拗ねたような気持ちと、希望と絶望とどちらを抱けばいいのかも分からない迷子のような心を抱えて、前を向くことすらもできないままで。
七不思議のせいだ。七不思議の呪いだ。そうでなければならなかったのに。
「
蒼雪はそんな実鷹の考えを嘲笑うかのように、幽霊も怪異も何もかもを否定する。
けれども、ならば見たことがあるのかと問われれば、実鷹とて返答には
「ああ、そうそう。七不思議のふたつめは
「どうしてそんなことが言えるんだ」
「何もないからだ。隠すようなことすら、何も」
何をもって嘘とする。それは蒼雪の勝手な判断ではないのか。
けれどいもしないものを証明しろというのは、確かに不可能な話なのだ。実際にそうであると信じさせるためには、目の前で誰かが怪異によって死ぬしかない。
「呪いはない。いや、少し言い方が違うかもしれない。誰かを呪うのは怪異なんてものじゃない、人間だ」
「七不思議の呪いはある! 姫烏頭が知らないだけだ!」
「いいや、ないよ。それは七不思議を隠れ
実鷹が声を荒げたところで、蒼雪は淡々とそれを否定するのみだった。
人間か、怪異か、ただひたすらに平行線になるばかりで、感情的になった方が不利なのも分かっていた。分かってはいても、実鷹はどうしてもそれを認めるわけにはいかない。
「あるんだ、絶対に。そうじゃなきゃ……」
「そうでなければ、君は困るのか」
じっと、蒼雪は実鷹の顔を見ている。
分かっているんじゃないのかと思ってしまうのは、どうしてか。ただ彼は観察をしているだけで、実際に心が読めるなんてことはない。実鷹の感情をその表情から想像しているだけで、その視線が見透かして来るように思えて仕方がないだけで。
七不思議の呪いはある。七不思議に呪われる、七不思議に殺される。
「それ、は」
「君が真実を知りたいのなら、また放課後に。君が誰を失ったにせよ、そこに七不思議が絡んでいるのなら、俺の知りたいものの途上に君の知りたい真実はあると思うよ」
きんこんかんこんと遠くでチャイムが鳴っている気がした。ばたばたと誰かが走っていく足音もする。蒼雪は目を伏せて、実鷹から背を向けて行ってしまう。
サネ、と誰かが呼ぶ声がした。すぐ行くと返事は辛うじてできたけれども、ぐるぐると頭の中で渦巻くものがある。ぐるぐると、ただひたすらに、出口もなく。
否定しないでくれ。七不思議はあるのだと、言ってくれ。そうでなければ、そうしなければ――兄は、どうして。
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