3.見るな触るな

 真っ白い紙の上を、ボールペンが踊っていく。走り、跳ね、止まり、文字になる。

 知希ともきの文字には癖があるが、乱雑ではない。ただ綺麗な文字とも言えない。読めない文字ではないというのが、一番正しいのだろうか。


「よっつめは?」


 問われて、実鷹さねたかは一瞬口をつぐんだ。けれども実鷹の顔を見た知希に促されているような気になって、貝になることはできなかった。

 七不思議の、よっつめ。


「裏庭にある首くくりの木」

「裏庭?」


 月波見学園男子部において、裏庭と呼ばれる場所は二か所ある。


「旧校舎裏? 新校舎裏?」


 旧校舎と新校舎は入口で向かい合うようにして並んでおり、どちらも裏庭と呼べる場所がある。ただ日当たりが良いのは南にある新校舎の方で、旧校舎の方は北にあることから日が校舎でさえぎられている。

 こうして七不思議に語られるのは当然、旧校舎の方がだろう。


「旧校舎、だと思う。たぶん」

「七不思議なんて古くからのものだし、やっぱ旧校舎か。あのじめっと暗い方」


 ただそのどれが首括りの木であるのかというのは、分からない。似たような木は並んでいるし、これが首括りの木ですよというプレートがかかっているはずもない。

 あの中のどれかが、きっと。そう思ったところで実鷹は近寄ろうとも思えなかった。


「じゃ、次。いつつめ」


 ボールペンが走る、跳ねる。

 どくりと心臓は騒ぐけれど、落ち着けと押さえつけた。調べていない、ただ教えられただけだ。


「まだらに染まる血吸いの池」

「池?」


 ぴたりと知希の手が止まる。池という文字がさんずいへんだけで止まってしまった。


「池なんてあったか、うちの学校」


 きっと知希は脳内で男子部の敷地を思い描いていることだろう。新校舎と旧校舎、特別教室棟に体育館、それから武道場。校庭と裏庭もある。

 そのだだっ広い敷地の中、水を想起させるものはプールくらいだろうか。


「ないよ。池はどこにもない」

「ふうん」


 敷地内のどこにも、池と呼べるものはなかった。

 兄もまた「池なんてないんだけどね」と教えてくれたので、やはりその当時からどこにも池はない。けれど七不思議の中には池の存在が語られる。


「じゃあこれがさっきサネが言ってた『嘘』ってやつじゃないの。本当の中に嘘を混ぜるっていう」

「違うよトモ、嘘の中に本当を混ぜるんだよ」

「えー……どっちも似たようなもんだろ」


 全然違うと言いたかったが、呑み込んだ。嘘に本当を、本当に嘘を、考えているとよく分からなくなってしまう。

 それはきっと、隠したいのがどちらかということなのだろう。嘘を隠しておきたいのか、本当を隠しておきたいのか。

 蒼雪そうせつの語った不都合なものを隠したい場合、というのが脳裏を過ぎる。けれどそれに気付かなかったふりをして、実鷹はゆるくかぶりを振った。


「で、むっつめは」


 そんな実鷹の様子を知ってか知らずか、知希は続きを要求する。


「図書室に眠る人皮の本」

「うえ、想像したくないなそれ」


 言葉から何かを想像してしまったらしい知希が、横を向いて嫌そうに顔を歪めている。

 それを見ているとむくむくとつつきたいような気持ちが頭をもたげてしまって、つい要らぬことを口にした。


人皮装丁本にんぴそうていほんって実在するらしいけどね」

「あ、いらないそういうの……想像して夢に見るから。リアルなのほんと駄目、やめて」


 左手を振って、知希がいらないいらないと繰り返している。

 確かに想像すると怖いかもしれないが、実鷹にはよく分からなかった。七不思議に呪われるのは怖くないくせに、人皮装丁本は怖いらしい。


「ななつめは?」

「ななつめは、知らない」


 兄もそれは知らないと言っていた。ななつめを知れば七不思議に殺される、それだけ。それこそがまさに七不思議のひとつとして相応ふさわしいと思うくらいだが、実際はどうなのだろう。

 七不思議に呪われる。殺される。竹村たけむらしゅんはななつめを知ってしまったのか。


「知ったら死ぬってやつだな」


 知ってはならないのはななつめだけか。

 だとして、では兄はどうしていなくなってしまったのだろう。ななつめを知ったら殺されるなのであれば、死んでいるのかもしれない。けれど竹村竣のように遺体があるわけでもない。


「この中で簡単に調べられそうなのは、首括りの木と図書館の人皮の本かなあ。体育館は部活とかで使ってるし、旧校舎は今は開いてるけど、鍵閉めるだろうし」


 かちかちとボールペンを何度かノックさせてから、先の出ていないボールペンでとんとんと知希がノートの文字を叩く。

 裏庭のどれか分からない首括りの木。図書館の隅々まで探しても見つかるかは分からない人皮の本。


「池はそもそもないし」


 確かに調べようと思うのならば、その二か所が簡単ではある。

 けれども実鷹はやはりそんな気にはなれなくて、詰めていた息を吐き出した。


「あのさ、本当に調べる気?」

「何だよサネ、調べる気があるから聞いたに決まってるだろ?」


 あっけらかんと言う知希に閉口してしまって、その顔のまま実鷹は彼の顔を見た。自分ではどんな顔になっているか分からないが、きっと変な顔をしているのだろう。

 人皮の本は怖いと言ったくせに、呪われるのは怖くないのか。本気で竹刀しないがあれば何とかなると思っているのか。


「大丈夫だって、そんなもん。別にななつめを知ろうってわけじゃないし、調べるだけなら呪われるだけで死なないんだろ?」


 七不思議を調べると呪われる。七不思議を知れば殺される。

 確かに字面通り受け取ればそうなるのかもしれないが、本当に呪いなんて見えないものにそんな理屈が通るのか。


「そういう解釈する?」

「ユーリも言ってただろ? 調べたら呪われる、知ったら殺される。じゃあ竹村って中学部の生徒はななつめを知ったから、十三階段に殺されたのかな」


 彼に死ななければならない理由があったとすれば、何なのだろう。七不思議のななつめを知ってしまったことというのは、死ななければならない理由になるのか。

 事故であったのならば、足を滑らせただけ。けれど旧校舎は鍵がかかっていて、唯一の入口であるガラス戸以外のところから旧校舎は出入りができない。

 雨降りしきる早朝に、竹村竣はどうしてそこにいたのだろう。七不思議に誘われて、ふらふらと。そして呪いに殺されたのか。


「お前が嫌なら無理にやれとか言わないぞ、俺。俺は気になるから勝手に調べるけど」

「いや、そこはやめるって言えよ」


 ため息をけば、知希はからりと笑う。

 七不思議には呪われるのだ、七不思議には殺されるのだ。だから、決して近付いてはならないのに。


「だって気になるだろ? 駄目って言われたら余計にさ」


 閉ざされたものはパンドラの箱。決して開けるなというその箱を開けて、中からは悪いものだけが飛び出した。見るな触るなと禁じられたものに、人はどうしてだか近寄りたくなるものらしい。

 実鷹にはさっぱり、理解できない。そう言われたのなら、おとなしく従っておけば良いのに。

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