2.嘘の中に真実を混ぜる

 兄のことを忘れたことはないけれど、かといっていつでも思い出すわけではない。薄情なことかもしれないが、もう何年も前のことなのだ。

 どうして帰って来てくれないの。行方不明ってどういうことなの。だって僕と約束をしたのに。

 落としどころのないものはぐるぐると渦を巻いて、呑み込んだつもりでも腹の底に石のようにこごった重苦しい感情がわだかまっている。


「サネって家族の話全然しないもんな」

「そうかな」


 確かに知希ともきとは三年以上同室としての付き合いがあるが、兄のことを話したことはなかったかもしれない。別に自分から言うようなことではなかったし、聞かれなければ答えることでもなかったせいだろう。

 実鷹さねたかにとって兄の鷲也しゅうやは、時々帰って来るお兄ちゃんという認識だったのは事実だ。十歳離れた兄が月波見学園に入学したのは実鷹が三歳になる年のことで、当然それより前のことなどおぼろげなものでしかない。それでもゴールデンウィークや夏休みといった長期休暇に帰って来る兄を心待ちにして、次の休みを指折り数えて待っていたのは事実だった。


「トモだってしないだろ」

「だって俺一人っ子だもん。お父さんもお母さんも特別何があるわけでもないし」


 中学部の一年生であれば親が恋しいと思うこともあるのかもしれない。けれどそれを誰かに言うのはちっぽけなプライドのようなものが邪魔をする。親がいなくてせいせいするねなどと強がってみせることだっていくらでもあるのだろう。

 実鷹がどうであったのかと言えば、少し心細くはあった。そして兄がかつていたはずのそこで、思うことがなかったわけではない。


「……なあ、本当に調べないのか?」


 七不思議に呪われた。だから兄は行方不明になった。本当は調べてはいけないものを、調べたから。

 そうして今でも兄は帰って来ることはなく、けれど家では誰もそのことを口にしない。部屋はそのまま存在しているのに、そこには誰の気配もない。


「俺は」

「笑わないぞ、俺。そんなものないとか言わないし」

「違う、そこじゃない」


 知りたくないのかと言われれば、その答えに実鷹は困る。

 どうして兄はいなくなった。このままそっとしておいてくれ。俺の中ではもう終わっているんだ。でも、どうして。ぐるりぐるりとまとまらない言葉たちが頭の中で渦巻いている。


「そこじゃないけど……」


 月波見学園男子部の七不思議は人を呪う、人を殺す。そのことをきっと、実鷹は誰よりも知っている。実際に兄は姿を消して、二度と帰って来なかったのだから。

 生きているのか、死んでいるのか。遺体すらもないのだから、本当に何も分からない。


「とりあえずさー、サネの知ってる話を教えてくれよ。お兄さんから聞いたやつ」


 知希がくるりと右手でボールペンを回した。びしりと実鷹に突き付けられたのは、ボールペンのノックをする方。


「呪われるにせよなんにせよ、やってみなきゃ分からないだろ? 俺も一緒に調べるし」

「あのさ、それトモが知りたいだけじゃないの」

「それはそう」


 あっけらかんと笑って、知希は先ほど閉じたノートを再び開く。月波見学園男子部の七不思議、そのみっつめまで。それから、ささきしゅうやの文字。

 蝉の声、プールバッグの落ちる音。あの、夏の日。

 じゃあ手伝ってくれと簡単に言えるのならば、実鷹の頭の中で言葉たちは回らない。けれど口をつぐんでしまうわけにもいかなくて、実鷹はからからに乾いた口の中から言葉を何とか吐き出した。


「トモになんかあったら、困る。実際に竹村たけむら君は死んでるんだ」


 竹村しゅんは鍵のかかった旧校舎の中で死んでいた。それは実鷹たちの前に事実として横たわっているものである。

 蒼雪そうせつは呪いではなく、事故か他殺であると言っていた。けれど実鷹は蒼雪のその言葉をやはり信じきれないでいる。


「大丈夫大丈夫、俺は強い。近寄ったら呪われるのかもしれないけどさ、でも、サネの話聞いたら余計気になるし」

「何それ」

竹刀しないがあったら幽霊にも勝てる気がする! 多分!」


 おどけたように笑っているが、実際にそういうものなのだろうか。幽霊なんてものに遭遇したことはないが、果たして竹刀一本で何とかなるものなのか。

 けれど知希のその笑顔で、少しだけ口が軽くなった。だから、ひとつめを口にする。


「……ひとつめ。雨降りに泣く十三階段。竹村君を殺した……でも、4組の外部生が否定してた」

「否定?」


 旧校舎入ってすぐの大きな階段。何度かのぼって下りてを繰り返した蒼雪の言った通り、あの階段は十三段ではなくて十四段だった。

 だから竹村竣は七不思議に殺されてなんかいない。それが蒼雪のことばではあったが、やはり実鷹は疑いを持っている。


「竹村君が死んだあの階段は、十三階段じゃなかった。そもそもひとつめは雨の日に階段から滑って落ちるから気を付けろという警告なんだって、言ってたよ」


 蒼雪は小難しいことを何やら言っていたが、要するにそういうことなのだろう。

 滑って転んで、奈落の底へ。それこそあの日の竹村竣と同じように。平らなものに後頭部を強打して。


「ふうん。じゃあ、他のもそうなのかもよ?」

「全部に意味があるとは思えないけど」

「そうか?」


 七不思議というからにはななつある。実鷹はむっつめまでしか知らないが、ななつめも当然存在するのだろう。知れば死ぬとされている、何かが。

 では蒼雪の言うような理由がすべてにあるのかと言われれば、首を傾げるしかない。全部が全部意味を持っている、そんなことはあるのだろうか。


「嘘には少しの本当を混ぜると、信憑性しんぴょうせいが増すんだって」

「なんだそれ」

「前に、お兄ちゃんが言ってた」


 これはかつて兄が言っていたことの受け売りだ。上手な嘘というのはもっともらしくすることなんだと笑い、どうしたら上手な嘘になるのかをまだ幼い実鷹に教えたのだ。そんなもの幼稚園児に教えるものではないだろうに、結局実鷹はそれだけは明瞭に覚えている。

 すべて作り話ではいけない。本当のことを混ぜてそれらしく見せれば、人はだまされる。


「じゃあ、七不思議の中に本当が紛れてるかもしれないだろ? ほら、俺書くし、書いたら何か分かるかも。だから教えてくれ。ひとつめはとりあえず雨降りに泣く十三階段、だな」


 ひとつめ。雨降りに泣く十三階段。

 ざあざあと雨の降る中で、竹村竣は死んでいた。蒼雪は否定をしたけれど、実鷹の中ではやはりぬぐい去れないものがある。


「それからふたつめが人喰いピアノ」

「うん」

「みっつめが、体育館の少女の亡霊」


 知希のノートに書かれているのは、そこまでだ。よっつめから先は、そこには並んでいない。

 どこまでを彼に伝えれば良いのだろうか。七不思議の呪いは、知希にまで牙をいたりはしないのだろうか。けれど知っている実鷹には今のところ何もない。

 調べようとしなければ、呪われることはないのだろうか。

 ぐるりぐるりとことばが回る。しばらく黙り込んでうつむいて、そうしてようやく実鷹は顔を上げた。

 蒼雪のせいだ。蒼雪が否定なんてするから、こんな風にぐるぐると考え込まなければならなくなったのだ。それが八つ当たりのようなものだと分かっていたけれど、そんなことを思わずにはいられなかった。

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