ふたつめ 旧校舎音楽室の人喰いピアノ

1.ささきしゅうや

 夕食も終えて、月波見学園の生徒は自室へと引っ込んでいく。二人一部屋の白雲寮はくうんりょうは、何事もなければ六年間同室者が変わることはない。クラスは一年ごとに変わるので、同室でも同じクラスになったりならなかったりと様々だ。

 宿題を終えて、ぐいと実鷹さねたかは伸びをして固まった体をほぐす。机の上に転がったシャープペンシルは止まらずに、ぽとりと机から落ちてしまった。


「サネ、宿題終わったかー?」

「終わったよ。何、トモ。どうかした?」


 共有スペースのところからひょっこりと知希が顔を出して、実鷹の部屋を覗き込んでいた。今更覗かれて困るようなものは何もなく、入ってくれても構わないのだが、知希は許可なく入ってくるようなことをしない。

 知希は部活があったので帰って来るのが実鷹よりも遅かったが、宿題は終わったのだろうか。


「これこれ」


 ひらりと知希は一冊のノートを振っていた。何の変哲もない青色のキャンパスノートである。

 実鷹は椅子から立ち上がり、共有スペースの方へと足を進めた。実鷹が移動したのを見たからか、知希もまた出していた顔を引っ込めて共有スペースのクッションに腰を下ろす。

 共有スペースには背の低いテーブルとクッションと、あとは本棚があるだけだ。テレビだとかそういうものもない寮の部屋では、娯楽というと読書になる。


「出たよ、トモの書き写しノート」

「だって俺、書かないと忘れるし。気になるものは全部丸ごと書き写しとかないと落ち着かない」


 テーブルの上に広げられたノートには、びっしりと細かな文字が書き連ねられている。読んだ本の内容、調べた生き物のこと、何とも雑多な中身のノートを知希はぺらりぺらりとめくっていく。

 そうして片側が白紙のところにやってきて、ようやくその手が止まった。


「……七不思議?」

「そ、体育の時間にサネ言ってただろ? 気になったから知ってること書いてみた」


 月波見学園の七不思議。

 けれど知希はそれほどたくさんのことを知らないのか、七不思議もみっつめまでしか書いていない。


「ひとつめ、雨降りに泣く十三階段。ふたつめ、旧校舎音楽室の人喰いピアノ。みっつめ、体育館のステージで踊り続ける少女の亡霊」


 知希がノートに書いてあった七不思議を読み上げていく。あとよっつあるはずのそれだが、残りはそこにない。ただ、ななつめを知ると七不思議に殺されると、それだけは書かれていた。

 竹村竣はどこまで知っていたのだろう。蒼雪そうせつは竹村竣が死んだ階段が七不思議のひとつめではないと否定していたけれど、やはり実鷹は七不思議の呪いがないとは否定ができないのだ。


「人喰いピアノって何だろうな。がばっと開くのか?」

「そんなまさか」


 旧校舎音楽室の人喰いピアノ。旧校舎の三階には音楽室があり、そこにはグランドピアノが置かれている。男子校で弾く人間がどれほどいたのかは分からないが、七不思議のふたつめはそのピアノにまつわる話だ。

 それは、ピアニストの夢破れた生徒の呪い。グランドピアノにかじり付いてでも夢を叶えようとした、けれども叶えられなかった悲しい亡霊だ。


「ピアノから離れられなくなるんだってさ。死ぬまでピアノを弾き続けることになる」


 その人喰いピアノに魅入みいられたが最後、そこから離れられなくなる。寝食も忘れてピアノを弾き続け、そして最後にはピアノに命まで吸い取られてしまうのだ。

 だからこそグランドピアノは美しい音色で響き続ける。その音色で人を誘い続ける。


「サネ、詳しいな?」

「……教えて貰ったんだよ」


 実鷹自身が調べたわけではなく、これは内緒だよと教えられた話でしかない。

 七歳の頃、もう随分と昔のことのようにも思える。もっと聞かせて欲しいとせがんで、続きはまた今度と約束をした。

 ななつめを内緒で教えてあげようと言っていたけれど、本当にななつめを知ってしまったのだろうか。


「へえ、誰に?」


 悪気無く聞いた知希に、実鷹は思わず口をつぐんでしまった。

 七不思議の呪いはあるのだ。呪いも、亡霊も、そこにある。月波見学園の男子部の中にそれはただよっていて、知ってしまった誰かを殺すのだ。


「悪い、聞かない方が良かったか?」

「ううん、いいよ別に」


 一度だけ、目を閉じた。

 あの頃の彼と、実鷹はほとんど変わらない年齢になってしまった。追いかけるように月波見学園に来て、自分は何がしたかったのだろう。

 思い描ける姿は、七つの頃から変わらない。あの人の時間は止まり、実鷹の時間だけが進んでいく。


「お兄ちゃんに聞いたんだ。月波見の生徒だったから」

「なんだ、お兄さん卒業生なのか。なら色々と聞けるよな」

「違う」


 ゴールデンウィークに帰ってきた兄が、本当は駄目だけれど調べていると言ったもの。聞かせてくれと怖いもの見たさでせがんだ話。

 もし実鷹がせがむようなことをしなければ、何も起きなかったのだろうか。せがんでしまったからさらに調べようとして、だからいなくなってしまったのかもしれない。



 卒業は、できなかった。

 十八になるその年度の三月に、彼は月波見学園にはいなかった。


「やめたのか?」

「やめてない」


 ゆるりと首を横に振れば、知希がいぶかし気な顔をする。

 知希がそんな顔をするのも分からなくもないのだ。実鷹だって会話している相手がそんなことを言おうものなら、眉間みけんしわを寄せるだろう。

 けれども、それが事実なのだ。やめていない、けれど卒業もしていない。


「それ、どういう……」


 兄の姿は、高校三年生の時のまま。実鷹より十歳年上の兄は、その年のゴールデンウィークを最後に二度と家に帰って来ることはなかった。

 夏休みに帰って来ると約束したのに、その約束は果たされなかった。

 いなくなりましたと連絡が来たのは七月で、夏休み直前のことだった。実鷹はプールバッグを手にして家へと帰ってきたところで聞いてしまって、つるりとプールバッグが手から滑り落ちて行ったのを今でも覚えている。

 七不思議に呪われる。七不思議に殺される。

 蒼雪が否定しようとも、実鷹はそれを否定できない。だってそれがないのなら、どうして兄はいなくなってしまったのだ。生きているか死んでいるかも分からないまま、実鷹も高校生になってしまった。


、お兄ちゃんは。七不思議を調べてて、七不思議に呪われて、行方不明になった」


 兄は生きているのか。もう死んでしまっているのか。それすらも分からない。

 いっそ死んでいると分かれば想いの着地点も見付けられるのかもしれないのに、それすらもできないままに実鷹は月波見学園に来てしまった。


「七不思議は人を呪うんだ、本当なんだ。そうでないと、俺は……どうしたらいいか分からない」


 クッションの上、胡坐あぐらをかいた足のところで手の指を組む。俯けば自分の手が見えて、けれども指の一本すらも動かすような気にはなれない。

 兄は確かにここにいた。けれどいなくなってしまった。本当は駄目だけど調べていると言った七不思議、実鷹がもっと聞かせて欲しいとねだったもの。


「サネのお兄さんの名前は?」

「お兄ちゃん? 佐々木鷲也しゅうやだ」


 ふうん、と知希は言って、ノートにささきしゅうやとひらがなで名前を書いている。

 七不思議の隣に、兄の名前。実鷹が知る、いちばん最初の七不思議の犠牲者だ。


「いっそ調べてみたら良いんじゃないか? お前の兄さんのこと」


 え、と声を上げてしまった。知希は良い考えだとばかりに笑っているけれど、実鷹はそんな風には思えない。

 呪いも何もかもを踏み付けて兄のことを調べられるほど、実鷹は勇気があるわけでもない。怖いものは怖いし、近寄りたくないものは近寄りたくない。

 けれど、この心の行き場がないことも事実ではある。


「七不思議について調べたら、何か分かるかもしれないだろ?」


 実鷹は何一つとして、返答ができなかった。

 兄のことは確かに知りたい。けれど実際に七不思議の呪いで兄がいなくなったのならば、それに近付くのは恐怖が勝る。

 ぱたりとノートは閉じられて、兄の名前は見えなくなった。

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