5.その階段は此処ではなく
その階段は、泣き
ぴちゃりぴちゃりと音を立てて、すすり泣く。
きゅうきゅうと音を立てて泣き
雨の降る日にその階段に近寄ってはならない。
一歩でも足を踏み入れれば最後、奈落の底まで落ちていく。
――月波見学園七不思議 ひとつめ【雨降りに泣く十三階段】
階段の上で
最初に実鷹が彼と出会った時、しとしとと雨が降っていた。蒼雪は熱心に階段のところを見ていて、あの時も確か階段を
「ひとつめじゃないって?」
「そう。七不思議のひとつめ、雨降りに泣く十三階段。そもそもここはその階段じゃない」
蒼雪は再び階段を下りて来る。右、左、右、交互に足で階段を踏んでいく。一段飛ばすこともなく、両足で一段に立つこともなく。
そうして最後、左足で階段の下まで降りて来た。
「人間はそう思い込むと、気付かなくなるものだ。『ここが十三階段だ』となったのも、ここで竹村竣が死んだからだ。竹村竣は七不思議を調べていた。七不思議を調べれば呪われる。七不思議を知れば殺される。だから竹村竣は七不思議に殺された。だからここが七不思議のひとつめの階段なのだ」
この階段の下で、竹村竣は死んでいた。平らなもので頭を強く打って、血を流して死んでいた。
階段から落ちて頭を打って彼が死んだということは、ひとつめの七不思議に殺されたということだ。なぜならば、竹村竣は七不思議を調べていたから。文芸部の部長が止めるにも関わらず七不思議を調べて、七不思議に呪われ殺された。
「すべては竹村竣がここで死んだという結果から来る思い込みでしかない。明白に違うものがあるのに、多分誰もそれに気付かない。元々鍵がかかっていて自由に出入りできる場所ではないから、仕方のないことだろうけれど」
旧校舎の中を目にする機会は多くはない。イベントごとで貸し出していれば鍵は開くが、普通は勝手に入ることができないように入口は鍵がかけられて閉ざされている。
だから見えるのは、大きなガラスの扉から見える範囲だけ。その向こうがどうなっているかは、ほとんど誰も知らないだろう。
「旧校舎の前を通って一番最初に目に入るのはこの階段だ。多分それも一因だろう。ひとつめ、一番最初。旧校舎を見て一番最初に目に入る――ああつまり、これがひとつめなのかと」
ガラス越しに見える大きな階段。どうしたってそれは印象に残るものだ。
ふと見た旧校舎に階段があり、まことしやかに流れる七不思議の話がある。七不思議はななつめを知れば死ぬけれど、ひとつめであれば知っている生徒も多くいる。
ひとつめは、雨降りに泣く十三階段。旧校舎入ってすぐに、階段がある。
「さて、怪異や怪談というものは、どうしてそこにあると思う?」
蒼雪に問われて、実鷹と侑里は思わず顔を見合わせた。
怪異や怪談というものは、
それこそ都市伝説というものだって、この『こわいはなし』というものの一種だろう。
「どうしてって……」
「なあ」
互いに首を傾げてしまった。
誰かから聞くのだ、これは友達から聞いた話だけれども、と。あるいは兄弟から聞いた話なのだけれども、と。その見ず知らずの誰かから聞いた話は伝わって広がって、けれどその一番最初など誰も知らない。
「そこに幽霊が出たから?」
想像をしてみて、実鷹はひとつの答えになりそうなものを口にした。
けれどそれは絶対に間違っているだろうと、実鷹であっても思うのだ。多分一番最初は、そんなものではない。けれどそれ以上のことは何も思い浮かばなかった。
「幽霊なんてこの世にはいない。いたとしても、もう誰の目にも映らない。よしんば見える人間がいたとして、それは多分俺たちと視ている世界が違うんだ。普通の人間の目に幽霊は映らない。能楽において、ワキの目を通さなければ亡霊が視えないのと同じように」
ゆるりと口角を吊り上げて、蒼雪が人差し指を顔の前に立てる。
ワキの目というのは、先にも聞いた。それが何の話なのかその時実鷹にはさっぱり分からなかったが、なるほど彼は能楽の話をしていたらしい。
「怪異や怪談が発生する条件として、ひとつ。その現象に、当時の人間が理由をつけられなかった。たとえば雷鳴、電気というものの理解がなかった時代であれば、それが何かなど分かりもしない。あれは何だ、理解のできないものだ、きっと怪異だ。そうして生まれてくる怪異はつまり、自然現象を怪異として語ったものだ。誰も彼もが理解できなかったからだ。
空はどうして青いのか。海はどうして青いのか。霧はどうして、雲はどうして。
それは科学の発達した今だからこそ分かっていることで、それがなかった時代に、まだ知識を持たなかった時代に、人々はどのようにしてそこに理由を付けたのか。
「ふたつ」
蒼雪が今度は中指を立てる。人差し指と中指と、二本並んだ。
「自分が何か不可解なものに遭遇し、それを人に説明する場合にあれはきっと妖怪のしわざだと伝えた場合。正直言えばこれはひとつめのものとほぼ同じだけれど。たとえばかまいたち、
ひとつめと同じだ。やはり理解ができないから、それは恐怖となる。
何一つとして分からないから、正体不明のものに理由を求めた。知識とは力である、無知とは恐怖である。その当時の人々に知識があったのならば、そこに怪異は生まれていない。
「みっつ」
次は、薬指。これにて、三本。
「何かしら語り部にとって不都合なことを隠したい場合。その場所から人を遠ざけたい場合。
「いや、それの何が今関係あるんだよ、ヒメ」
「前座だよ、大事な。
突然クモの話が始まって、侑里は困惑の表情を浮かべている。きっと実鷹も侑里と同じような顔をしているだろうが、蒼雪はそんなものお構いなしだ。
「水銀というのは財産だ。大和朝廷に従わなくとも生きていけるくらいの財になる。大和朝廷はその財が欲しくて仕方ない。となれば当然彼らを討伐するだろう? 土蜘蛛討伐、大いに結構。でもそれは正しくは大和朝廷に従わなかったまつろわぬ民の討伐で、断じて異形の蜘蛛などではなく人間の形をしていただろう」
水銀と言われてもぴんと来なかった。常温で液体の金属、体温計に使われていたもの。今となっては人体に有害であることが分かったからか、身の回りにあるかと言われてもぱっと思い浮かばない。
けれどそれも、かつては違ったのだろうか。水銀は有毒であるという知識のなかった人々は、それを使っていたのかもしれない。
「でもそんなの、不都合がすぎる。だから異形にした、化け物とした、怪異とした。そうして不都合を覆い隠すのも、近寄らせないのも、また一つの怪異となるんだ」
人間を殺して財を奪いました、それは立派な強盗殺人だ。
けれどもその相手が人間ではなく、異形で、そして人々に害をなしていたのだとすれば。それは褒め称えられるべきものとなり、そこにため込まれていた財も、きっと誰かから奪ったものだろう、と、そうなるのだ。
都合が悪ければ、怪異としてしまえ。何とも言えない話である。
「さて、ここで雨降りに泣く十三階段だ。このひとつめ、なぜわざわざ天候を指定する? 泣くのならば別に雨降りでなくとも良いだろう?」
「雨の日にしか泣かないから、余計に不気味なんだろうと思うけど?」
「そう――雨の日」
晴れの日には泣かない、十三階段。雨の日だけぴちゃりぴちゃりと、きゅうきゅうと、音を立てる。
それはまるで足音のようだなと、実鷹はぼんやりと考える。足音のような泣き声で、階段が泣く。
「雨の日にこそ、その階段に近寄らせたくなかったわけだ。一歩足を踏み入れれば最後、奈落の底へと落ちていく。これがひとつめの七不思議にまつわる話の締めくくりだろう?」
蒼雪は笑って、顔の前に出していた指を下ろした。それまで彼の顔へと向かう視線を遮っていた指がなくなり、笑っている顔がよく見える。
「雨降りの階段と言えば単純な話だ、滑って転んで頭を打って――奈落の底へ」
滑って、転んで、奈落の底。
それはつまり、竹村竣のような。けれど誰しもに起こり得る話。足を滑らせて踏み外して、真っ逆さまに落ちていく。運が悪ければ、頭を打てば、それは確かに奈落の底だ。もう二度と起き上がることもなく、もう二度とこの世に戻れない。
真っ逆さまに落ちていく。ならば、竹村竣は?
「でも、この階段じゃない。その理屈はものすごく簡単だ」
再び蒼雪が階段を上っていく。右、左、右。そして一番上に、左足。
そうして階段のてっぺんに立った蒼雪は実鷹たちの方を振り返り、自分の足元を指し示す。その階段は決して変わらない、段数が増えることも減ることもない。
「だってこの階段、十四段あるだろう?」
雨降りに泣く十三階段。
「あ」
「え」
思わず声を上げたのは実鷹だけではなく、侑里も同じだった。侑里は階段を見上げて、それからまた「は?」と声を上げている。
一段、二段。階段は変わらずそこにある。
「え? あ、数える、待って。いち、に……十四? え、あれ?」
「ほら、これが思い込みというものだ。そして真実近寄らせたくないのはこの階段ではない。まあ、実際にはどの階段も気を付けろってことだろうけれど。なんともおやさしい怪異だろう?」
それがひとつめの階段であると思い込んだから、誰も段数なんて数えてはいなかった。十三階段なのだから、この階段は十三段なのである。
そもそも鍵がかかっていて近寄ることもできなかったというのは事実だが、それでも竹村竣が死んだ後にその段数を数えた人はいたのだろうか。
「じゃあ、竹村竣は」
「だから最初から言っているだろうが、俺は」
蒼雪が階段を下る。十四段の、階段を。
そうして一番下に降り立ってから、彼はまた笑みを浮かべた。この階段がひとつめの七不思議でないのなら、竹村竣は七不思議に殺されてなんかいないことになる。
「幽霊も呪いも存在しない。竹村竣は事故か他殺か、そのどちらかだ」
最初、蒼雪は否定した。けれど実鷹は七不思議の呪いを否定しきれない。竹村竣はそうだったかもしれない。ひとつめの階段はここではなかったかもしれない。
けれど、そうでないのなら。
それはつまり、実鷹が今まで信じてきて、そして呑み込んで諦めたものが、全部崩れる。それが存在しないのならばなぜ、どうして。
どうして、約束を守ってくれなかったの。
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