4.解は既に得られている

 放課後になって、結局足は4組へと向かってしまった。ただ向かったのは実鷹さねたか一人ではなく、侑里ゆうりも隣に並んでいる。一人で向かうよりは幾分か気が楽で、足取りはそれほど重くない。

 1年4組の教室の隅で、蒼雪そうせつは本を読んでいた。その本には本屋で貰える紙のブックカバーがかかっていてタイトルは分からない。だがその大きさから、文庫本だろうということだけは分かった。


「おーい、ヒメ!」


 教室の入口のところから侑里に呼ばれ、ゆるりと蒼雪が顔を上げる。蒼雪は若干眉間にしわを寄せて、嫌そうな顔をしてから文庫本を鞄に突っ込んで立ち上がった。

 リュックサックを右肩だけにかけた蒼雪が、教室を出てくる。彼は侑里の隣にいる実鷹の顔を見て、小さく口元に笑みを浮かべた。


「やっぱり気になるんじゃないか」


 黙り込んでしまったのは、どうせ彼には分かってしまうと思ったからだ。人間観察が癖と言っていた蒼雪がどこまで人のことを分かるのか知らないが、違うと否定したところで伝わってしまうような気がする。


「七不思議調べてるんだってな、ヒメ」

「ヒメと呼ぶな、三砂みさご

「お前が俺を名前で呼んだら考えてやるよ、ヒメちゃん」


 揶揄からかうような侑里の言葉に、蒼雪は嫌そうな顔をした。けれどそれ以上何かを言うことを諦めたのか、その代わりに深々と息を吐き出して蒼雪はあごをしゃくる。

 しゃくったその先は、玄関へと向かう階段だ。


「三砂も来るのか?」

「まあな」


 階段を降りながら、つい段数を数えてしまった。

 竹村竣を殺したは、階段だ。雨降りに泣く十三階段、その階段から竹村竣は落ちて頭を強打し、そして物言わぬ遺体となった。


「なあヒメ、本当に調べてるのか? 呪われるんだぞ?」

「だから、俺はそれを信じていない。そもそもひとつめは……まあ、いい。あの階段のところで説明する」


 実鷹はやはり蒼雪の考えていることが分からない。七不思議を調べてはならない、呪われて殺されてしまうから。そうでなければならないのだ。

 

 うつむけば、自分の上履きが見える。

 何も言えなくなってしまった実鷹のことなど気付かないように、蒼雪は階段を先に降りていく。その隣に、頭の後ろで手を組んだ侑里が並ぶ。


「そういえば何読んでたんだ、さっき」

「ああ、あれか。一色いっしき栄永さかえの『怪異異聞録かいいいぶんろく』」

「面白いか?」

「それなりに。読みたければ貸すが」

「じゃ、後で貸してくれ。ちょっと気になる。お前の本棚か?」

「二段目に並んでる。五冊あるけど『柱と神』が最初だな、それから読むのをすすめておく」


 彼らの会話は随分と親し気で、同室であるという侑里の言葉は嘘ではなかったらしい――そもそも、疑っていたわけではないけれど。ただ、侑里と蒼雪の会話というのが実鷹には想像できなかっただけだ。

 思えば侑里は時折本を読んでいて、その辺り彼らは気が合うのかもしれない。


「あ、三笠みかささん」


 下履きに履き替えて玄関を出たところで、旧校舎の前で箒と塵取りを持って掃除をしている初老の男が目に入った。実鷹が思わず声を上げて足を止めれば、同じように蒼雪と侑里の足が止まる。

 三笠慶次郎けいじろうは月波見学園男子部の用務員であり、そして竹村竣の遺体を発見した第一発見者である。年齢は六十五と聞いた、というのは今年で三笠が定年を迎えるという話を四月に本人がしていたからだ。


「第一発見者の用務員か?」

「そう、三笠慶次郎さん。この男子部が綺麗なのも電球が切れてたらいつの間にか直ってるのも、全部三笠さんのおかげらしいよ」

「ふうん」


 中学部と高校部があることもあり、月波見学園男子部の敷地は広い。けれど用務員は三笠一人しかおらず、彼はたった一人でこの男子部の維持をしている。

 通り過ぎる生徒たちは、次々と三笠に挨拶をしている。旧校舎の階段は、三笠のいる向こう側だ。


「学園の隅々まで見てくれてるんだ、感謝しないとな」

「隅々まで、か」


 侑里の言葉に、蒼雪が何かが歯に挟まったような物言いをした。


「あの人、寮の部屋の鍵だって預かってるくらいだぞ? 部屋の電気が切れたとか、すぐに対応できるように」


 そんな三笠の定年が三月となれば、男子部は誰が維持するようになるのだろう。既に次の用務員を雇う準備はしているのだろうが、果たしてその人は三笠と同じようにできるのだろうか。

 そもそも年数というものがある。最初から三笠と同じようにできるはずもないが、そうなると不便が待っていたりするのだろうか。


「どうしたんだ、君たち」


 玄関を出てすぐ、旧校舎に近寄ったところで三人で足を止めていたものだから、それに気付いたらしい三笠が顔を上げた。


「あ、いや……」

「この辺で落とし物をしたんです。見かけませんでしたか、ウサギのマスコットがついた鍵なんですけど」


 何か言い訳をしようとした実鷹の言葉をさえぎって、蒼雪が三笠に近寄っていく。思わず実鷹は侑里と顔を見合わせたが、黙って蒼雪について行くことにした。

 三笠は蒼雪の言葉に手を止めて、少しばかり首を傾げている。


「鍵? なんでまたそんなものを」

「間違えて家の鍵を持ってきてしまって。見てませんか?」


 全寮制である月波見学園において、鍵というものは基本的には必要がない。寮の部屋にも鍵はあるが、それは部屋を後に出た方がかけて、寮を出るところにある寮監のところに預けて出ることになっている。

 蒼雪の言葉は本当なのか、それとももっともらしい嘘なのか、それは実鷹には判断がつかなかった。


「いや……見てないな。見かけたら伝えるよ、何年何組の子だ?」

「1年4組の姫烏頭ひめうず蒼雪です」

「ああ、外部生の?」

「はい」


 名前を聞いただけで三笠も蒼雪が外部生であるということが分かったらしい。そもそも珍しい外部生で、それに珍しい名前がくっついている。分からないということの方がまれだろう。


「ウサギさん、何色だ?」

「薄青です。胸のところに13っていう刺繍ししゅうがあって」


 蒼雪は何かを観察するように、三笠の顔をじっと見ていた。三笠はそれを知ってか知らずか、常と変わらず柔らかく微笑んでいる。

 皺のある顔に、さらに深い皺が刻まれる。


「探しておくよ」

「ありがとうございます。自分でも探したいんですけど、この辺を探しても良いですか? もしかすると誰かが蹴って旧校舎の中に入ったかも……」

「旧校舎は……まあ、良いよ。ただ、気をつけてな」


 分かりましたと告げた蒼雪が、するりと三笠の隣を通り過ぎていく。実鷹と侑里もそれを追いかけるようにして、三笠に頭を下げてから彼の隣を通り過ぎた。

 蒼雪は何の躊躇ためらいもなく、立ち入り禁止のテープを乗り越えていく。入ったその真正面に、大きな階段。


「これが雨降りに泣く十三階段か?」


 侑里の問いに、実鷹は首を縦に振る。

 現代文の時間に見たときと、階段は何も変わっていない。しとしとと降っていた雨は止んだけれども、雨が降っていてもいなくても、同じものであるように見える。


「竹村竣はここで死んでいた、早朝に旧校舎に入り込んで、階段から足を滑らせて落ちた……と、そういうことになっている」

「そういうことも何も、そうだろ?」


 侑里の言葉に、はは、と蒼雪が乾いた声で笑う。

 竹村竣は鍵の開いていない旧校舎の中で、この階段から落ちて死んでいた。旧校舎に他に入口はなく、そして鍵を借りた人もいない。


「竹村竣は七不思議のひとつめに殺されたから?」

「七不思議を調べれば呪われる。ななつめを知れば死ぬ。竹村竣はななつめを知ったのかもしれないだろ」


 あざけるような蒼雪の物言いに、つい口を挟んでしまった。

 本当は、七不思議を調べてはならない。調べてはならないものを調べたから、彼らは呪われて死んだのだ。

 だって、。そうでなければ、実鷹は。

 七不思議が来る。七不思議に殺される。


「月波見学園の七不思議は呪うんだ、だってそうじゃなきゃ――」

「ひとつめが、この階段でないとしても?」


 実鷹の言葉を遮った蒼雪の言葉に、実鷹は「え」と思わず声を上げる。

 七不思議のひとつめは、雨降りに泣く十三階段。竹村竣が死んだ日は早朝からバケツを引っくり返したような土砂降りだった。

 だった。


「おい、ヒメ。いきなり何を言い出すんだ」


 侑里の問いにも蒼雪は薄く笑って、下履きのまま旧校舎の玄関から一段上がった。彼は何も気にした様子はなく、階段に右足をかけた。

 右、左、交互に足を動かして、一段飛ばすようなこともせずに蒼雪は階段の一番上へ。


「……雨降りに泣く


 一番上の段に、蒼雪の左足がかかる。そうして踊り場まで上がったかれは、くるりと振り返った。

 この階段の一番下で、竹村竣は頭から血を流して死んでいた。


「竹村竣は七不思議に殺されてなんかいない。その理由は単純だ。この解はすでに得られている」


 片方の肩にリュックサックを負ったまま、蒼雪は階段の一番上で笑う。呪いも何もかも信じないと、その七不思議によって殺された人がいる現場のてっぺんで。


「なぜならこの階段は――からだ」

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