3.七不思議に呪われる

 慌てて着替えを済ませて体育館に走り込んだところで、チャイムが鳴った。ギリギリセーフと安堵の息を吐き出してから、実鷹さねたかは1年5組の列に体を滑り込ませた。間に合ったなと知希ともきに笑われて、ほんの少し肩をすくめて見せる。

 体育教師の井場いばの「遅刻者はいないか、いたら走らせるぞ!」という大きな声がした。そして反応も待たず、確認もせずにすぐ「授業を始めるぞ!」と再度ただ叫んでいるような大きな声を上げる。

 1年6組の列にも生徒が並び、遅刻者は誰もいない。したがって、今日は体育館を走らされる生徒はいなかった。

 2クラス分の生徒が詰め込まれた体育館は、それでも十分に広さがある。何を話しているかも拾い切れないのに、ただその数だけざわつきは大きくなって耳につく。

 体育倉庫からバレーボール用の支柱を運びながら、つい先ほどのことを考えてしまった。蒼雪そうせつはそのまま授業へ行ったのだろうか。それとも別の七不思議を調べに行ったのか。そういえば体育館にも七不思議のひとつがあったなと、ステージの方を見る。


 躍り続ける少女の亡霊。

 そもそも男子部なのにとはどういうことなのか。月波見学園は元々は男子校で、今は女子部があるとは言っても、この体育館で女生徒が授業を受けたことは一度もない。

 ネットを張り終えれば、体育館にコートが二つできる。各クラスで四チームに分かれているが、当然試合をしなければコートの外で待つことになる。

 なんとも暇な授業であるが、部活動でもないのでこんなものかもしれない。立っているのも疲れるので、壁にもたれて床に座ることにした。

 実鷹の隣に、同じように暇を持て余すことになった知希が腰を下ろす。


「間に合って良かったな、サネ」

「ギリギリセーフだった」


 あと少し遅かったら、間違いなく遅刻だった。そうなったら体育館を一人でぐるぐると走ることになる。そもそも走るのが好きなわけではないし、正直に言えば遅刻するくらいなら体育もサボりを決め込んだ方がましだ。

 そんな実鷹の考えを知ってか知らずか、知希はからりと笑う。


「ま、いいじゃん、間に合ったんだから」

「井場先生遅刻に厳しすぎるんだよ」


 日に焼けた肌の黒と白のまだら頭の井場は、今日も黒いジャージに身をつつんでいた。いわゆる典型的な体育教師と言えば良いのだろうか、この人は何の教科を教えているでしょうかと道行く人に問えば、十人中八人か九人が「体育」と答えるであろう風貌である。

 それは偏見というものなのかもしれないが、そうとしか言いようがないというのも事実だった。


「月波見の後輩をたるませるわけにはいかん! ってよく言ってるよな、井場先生」

「先輩だっけ、あの人」

「そうそう、三十五年前くらいの卒業生」


 月波見学園の卒業生が教師として月波見学園に戻って来るのは珍しいことではない。他にもそういった教師はいるし、余程この学園に愛着でもあるのだろうか。

 その中でも井場は並々ならぬ思いがこの学園にあるようで、自主的に学園内をパトロールしていると本人が豪語していた。


「その頃にもあったのかな、七不思議」


 つるりと実鷹の口から言葉が滑り落ちていく。


「さあ? ってお前、七不思議なんて興味あったのか? 今まで聞いても『考えたくない』とか言ってたくせに」


 落ちた言葉は戻らない。当然ながら知希に忘れろと言えるはずもない。

 興味があると言ったことはない。考えたくなかったのは嘘ではない。どうしたって、考えてしまえばぐるぐると回る。

 どうしての。どうしての。

 恨み言にも似た思考を断ち切るためには、考えないをするしかなかった。目を背けておくしかなかった。

 七不思議を調べてはいけない。七不思議を知ってはいけない。調べれば呪われる、知れば殺される。他の学校ではどうか知らないが、少なくとも月波見学園における七不思議とはそういうものだ。

 体育館のステージ上は、何もない。踊り続ける少女の亡霊、どうしてそんなものがあるのだろう。月波見学園にいる女性は教員のみで、どう見積もってもという年齢ではないのに。


「いや別に……」

「何を深刻そうな顔してしゃべってんだ、二人とも」

「あ、ユーリ、って、うわっ」


 届いた声に反応したところで、目の前にバレーボールが飛んできた。壁に激突したボールは跳ね返って、何度か体育館の床でバウンドしてからころりと転がる。

 頭に当たらなかったのは幸いだが、あと数センチでもずれていたらボールは実鷹の顔面に激突していたことだろう。


「ごめん佐々木ささき!」

「いいよ、大丈夫!」


 立ち上がってから転がったボールを掴み、試合中のクラスメイトに投げ返してやる。

 ユーリこと三砂みさご侑里ゆうりは、ぶつからなくて良かったなと言いながら実鷹の隣に腰を下ろす。知希と侑里という背の高い二人に挟まれる形になり、きっとはたから見れば実鷹のところだけへこんで見えるのだろうと思うと少し落ち込んだ。

 大丈夫、まだ成長期のはずだ。まだ実鷹の身長の伸長しんちょうは止まっていないはずだ。


「サネが七不思議が三十五年前にもあったのかって言うからさ」

「は? なんだそんなこと話してたのか?」


 七不思議というものがいつからあったかなど、分からない。全国各地の学校にどれほどあるものなのかは知らないが、小学校ではまことしやかにささやかれるたぐいの学校の怪談だろう。

 月波見学園ができたその時から、七不思議があったとは思えない。となればいつからかその話が流れ始めて、そして今に至るということだ。


「ユーリはどうだ、信じてるのか?」

「七不思議なあ」


 侑里は少し考え込むような素振りを見せてから、ゆるく首を横に振った。それから肩を竦めて、小さく笑う。

 こんなことを考えてしまうのはきっと、蒼雪のせいだ。1年4組の外部生が、死んだ竹村たけむらしゅんのことを調べたりしていたせいだ。

 そんなどうしようもない責任転嫁てんかをしてしまうくらいには、七不思議のことが頭の中を回っている。

 いつもは考えないようにしているのに。考えたくもないのに。


「どうでもいいな」

「ユーリって何でもそうやって言うよな」

「いやだって、俺が何か言ったところでなんか変わるか? 信じてると言えば信じてるし、信じてないと言えば信じてない」


 随分と無責任な言葉のようではあるが、それが真理なのかもしれない。積極的に信じるわけでも、積極的に信じないわけでもない。そんなもの嘘だと思いながら、けれど近寄らないようにする。そういうものだ。

 蒼雪は何をあの階段で確認していたのだろう。竹村竣の死が七不思議の呪いでないというのなら、あれは事故なのか他殺なのか。他殺であったのならば、この月波見学園の中で殺人が起きたということになる。


「何だお前ら、七不思議の話か?」

「え? ああうん、そうだよ」


 知希と侑里の会話を聞いていたのか、近くにいたクラスメイトに声をかけられた。名前こそ知っていても、別に友人だとかそういうわけではない。

 声をかけられれば話をする、その程度だ。


「あれだろ、中学部の二年生! 災難だよな、七不思議に殺されるなんて」


 笑って、なんでもない噂のように。

 吸い込んだ息が重苦しいこごりになるような気がして、つとめてゆっくりと息を吐き出す。

 信じてもいないくせに、あっけらかんと共通の笑える噂話のように口にするのだ。何も知らない他人の言葉に耳をふさいで目をそむけたくても、実鷹にそんなことができるはずもない。

 だから、笑った。


「そうだね」

「でも気になるよなー、こういうの。俺もちょっと調べてみよっかなーとか思うしさ」


 ひどく、気楽に言葉を放られた。調と、笑った顔を思い出す。けれどその人は二度と帰って来ることはなかった。

 そんな単純なものではない。七不思議は呪うのだ、殺すのだ。だから竹村竣は死んでしまって、だから帰って来なくて――だから。


「そんっ……いや、そうだよね。気になるよな、こういうのって。どうせ足滑らせたとかってオチなんだろうけど」


 つい語気を荒げそうになって、無理矢理口を噤んで笑みを作った。

 何も知らないくせに。知希や侑里ならばさておいて、友人でもなんでもないただのクラスメイトに言われたいものではない。腹の底が落ち着かなくて、どろりと重い。


「そうそう。七不思議なんてくだらないの。本気にするやつなんていないよ」


 実鷹にとどめを刺すような言葉を投げつけて、彼は名前を呼ばれるままにそちらへと行ってしまった。ただぽつりとそこに実鷹が残されて、ざあっと音が遠くなる。

 今は体育の時間で、ボールの跳ねる音がして、暇を持て余している生徒たちのざわめきもあるはずで、それなのに。


「でも怖くないか? 呪われるんだぜ?」


 がしりと肩のところにしっかりとした腕がかかった。ずしりとかけられた重みで、実鷹の耳に音が戻って来る。

 重いと文句を言えば、顔の間近で知希が笑っていた。


「じゃあ近寄らなきゃ良いだろ。近寄らないのに呪うわけじゃないんだし」


 反対側で、侑里は溜息ためいきいている。

 知希と侑里の言うことは、きっと大多数が思っていることだろう。

 七不思議に呪われる。けれどそれは七不思議を調べたり知ったりした場合のものであり、自ら近寄らなければ避けられる。


「外部生がさ、調べてたんだよ」

「外部生? ヒメか? あいつ何でそんなことしてんだ」


 外部生と言っただけで誰なのか判断した侑里の口から飛び出してきたのは、蒼雪の愛称と思しきものだった。確かに彼は姫烏頭ひめうず蒼雪と名乗っていたので、ヒメと呼ばれていてもおかしくはない。

 けれども侑里と蒼雪が繋がらなかった。それは知希も同じだったようで、彼は実鷹よりも先に問いを口にする。


「あれ、ユーリ、知り合い?」

「知り合いも何も、俺と同室だ」


 そういえば昨年まで侑里と同室だった生徒は、外部受験をして高校から月波見を出て行ったはずだ。となればその空いたところに蒼雪が入っても何も不思議ではない。

 不思議ではないのだが、侑里と蒼雪が会話しているところが想像つかなかった。


「あいつ面白いんだよな。部屋の中本だらけにしてて、昨日なんてその山が崩れたとかって言って埋もれかけてた。なんか小難しい本ばっかだったぞ、能楽だとか民俗学だとか、神話とかもあったな」

「呪われるぞって言っといてやれよ、ユーリ」

「俺が言ったところで聞くとは思わねーよ。言いたけりゃトモが言えよな」


 言ったところできっと、蒼雪は聞かないだろう。そもそも実鷹がそれを告げた時、彼はということを何の躊躇ためらいもなく口にした。多分それは何一つとして偽りではない。

 あれは果たして興味本位というものなのか。そう判断するには、彼の目はあまりにも冷たく鋭すぎた気がする。気になるのならば放課後4組へ、そう言われたけれど。

 試合終了のホイッスルが鳴る。俺らの番だぞと知希に言われて、実鷹はそこで思考を切った。実際にどうするか決めるのは、放課後が近くなってからでいい。

 どうせ実鷹が何をしようと何を言おうとも、蒼雪は七不思議を調べるのだ。そうして彼も、竹村竣と同じように七不思議に殺されるのか。

 そうだとして、どの七不思議が彼を殺すのだろう。竹村竣を殺したのは、雨降りに泣く十三階段だったけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る