2.閉ざされた御鈴廊下

 分かっていることは、と蒼雪そうせつはブレザーの胸ポケットから小さな手帳をひとつ取り出した。グレーの皮と思しきカバーのかけられた小さな手帳を開き、また階段へと振り返る。

 五日前、ざあざあと雨が降っていた。


「死んだ中学部二年生の名前は竹村たけむらしゅん。文芸部の部員で、文化祭に出す部誌に取りかかっていた。文芸部の部長には七不思議を題材にしたいと話をしていて、部長は止めたが七不思議を調べていた」


 手帳の中身を音読するかのように蒼雪が紡いだのは、この階段で死んでいた生徒の話である。

 七不思議を調べてはいけない。七不思議を知ってはいけない。それはまことしやかに月波見学園に流れる噂話であり、それはセットで実際に呪われた生徒や教師の話がついてくる。自分もそうなりたくなければ近寄るな、と。


「五日前、五月の十八日木曜日。明け方から突然降り始めた雨はバケツを引っくり返したかのような土砂降りで、寮でも雨音がひどかった。朝のホームルームにも竹村は姿を見せず担任がルームメイトに確認したところ、早朝に出て行ったきりだと発覚し、用務員に捜索を依頼。そして朝九時過ぎになって竹村がここで死んでいるのが発見された」


 あの日は雨の音がうるさくて、早くに目を覚ました覚えがある。実鷹さねたかはそのまま布団を被って二度寝を決め込んだが、竹村竣はその雨の中寮から姿を消した。

 私服でどこかに出かけたのならばいざ知らず、制服であったのならば寮を出たところで何らとがめられるようなこともない。同室の生徒も何か用事があるのだろう、くらいにしか思わなかったという。


「その頃には、雨が止んでいた。旧校舎には鍵がかかってるけど、この階段は入口を少し覗き込めば見える。そこで人が倒れているから用務員は慌てて事務室に鍵を借りに行ったわけだ」


 本来旧校舎には入れない。大きなガラス張りの扉はいつも閉ざされていて、自由に出入りできるようにはなっていない。

 けれども竹村竣は、その中にいた。


「用務員よりも前に鍵を借りた人間はいたが、それは一ヶ月以上前の入学式の前日のこと。竹村がどこから旧校舎に入ったかも不明。そもそも旧校舎の出入り口は一か所しかない」


 窓も開いていない、入る場所はどこにもない。

 だから、彼はひとつめの七不思議に殺されたのだ。入れるはずのない場所で、雨の降る日に泣くという階段で殺された。


「死因は平らなもので後頭部を強打したこと。階段で足を滑らせて落ちたことが原因と考えられる。と、こんなところだな、ひとつめの七不思議に殺された竹村竣の話は」


 ぱたりと手帳を閉じて、蒼雪はそれを胸ポケットに再びしまう。そして彼は右足を竹村竣が死んだ階段の一段目にかけた。

 右、左と、一段ずつ彼は階段をのぼっていく。左足で一番上に到達し、くるりと蒼雪は実鷹の方を振り返った。


「た、多分……」


 蒼雪はどこからその話を集めてきたのだろうか。ささやくように月波見学園の生徒たちの間に流れる話はあれども、それらはどこからが嘘でどこまでが真実なのかも分からない。

 所詮しょせんは噂話と言ってしまえばそれまでだ。この五日間で蒼雪はどこをどうやって調べていたのか。


「詳しすぎるとでも言いたげな顔だな?」


 とんとんと蒼雪は階段を降りて来る。

 先ほどから彼は実鷹の思っていることを言い当てているようであり、どうにも良い気分はしない。心の中で思ったことを言い当てられているような、得体が知れないような、そんな感覚だ。


「あのさ……」

「ああ、すまない。気持ち悪がらせたか」


 しまったなと蒼雪は自分の顔を片手で覆った。肩を落として溜息ためいきいた彼は、申し訳なさそうな顔を振り払うように首を横に振った。


「癖なんだ、人間観察。あと、君はすごく分かりやすい。すぐに顔に出る。嘘が下手だって言われないか?」


 きんこんかんこんとチャイムの音が鳴り響く。そういえばトイレに行くと言って教室を出て来たきりで、結局現代文の授業が終わってしまった。

 蒼雪もチャイムの音に、あ、と声を上げている。休み時間になれば移動教室で外に出てくる生徒もいるだろうし、こんなところにいるのを見られれば何を言われるか分からない。


「とりあえず、俺は引き続き七不思議を調べる。もし興味があるなら、放課後4組まで」


 するりと実鷹の横をすり抜けて、彼は実鷹の耳に言葉を残していく。しとしとと降る雨のにおいだけを残して、蒼雪は立ち入り禁止のテープを乗り越えて行った。

 七不思議を調べてはいけない。七不思議を知ってはいけない。

 ああもう、とむしゃくしゃした気持ちになって外へ出て空を見上げれば、雨を降らせる灰色の雲。それでもこれくらいの雨ならば傘は要らない。

 ふと旧校舎を振り返れば、二階部分から長く伸びる渡り廊下がある。


「おいサネ! 何やってるんだそんなところで」

「あ」


 しとしと降る雨も気にせずに廊下を見ていたら、聞き慣れた声に呼ばれた。

 体操服姿の友人が、実鷹のいるところに寄って来る。


「腹痛いんじゃなかったのか? 次体育だぞ?」

「あ、いや……ちょっとあまりにお腹が痛くて外の空気に……」


 どう誤魔化したものか分からず、我ながらなんともへたくそな言い訳になってしまった。お腹が痛くて外の空気を吸いに出る、どう考えてもおかしい。

 これでは先ほどの蒼雪の言葉を何も否定ができない。


「いやお前、サボったんだろ。嘘つくならもっとまともな嘘つけよな」

「いっ、いひゃいいひゃい! トモ! いひゃいって!」


 渡瀬わたせ知希ともきは大きな手を実鷹の頬に伸ばし、そして容赦も遠慮もなく力任せにそれを引っ張った。力加減というものを知らないのかと思う痛みに、実鷹は知希の腕をばしばしと叩く。

 それでもがっしりとした腕は彼が離すまで緩まなかった。剣道部めと恨み言のようなものを口にして、ひりひりと痛む頬をさする。

 頬の温度が上がっているような気がして、けれど怒れば良いのか呆れれば良いのか、結局決まらないまま。


「何見てたんだ?」

「へ? ああ、御鈴おすず廊下ろうか

「ああ、あれか。このむさっくるしい男子部と女子部を繋ぐ唯一の廊下」

「そうそう。女子部創立から二十年、一度も扉が開かれてないやつ」


 月波見学園は全寮制の中高一貫校である。そして男子部と女子部があるが、その交流は一切ない。旧校舎から伸びる渡り廊下が唯一男子部と女子部を繋いでいるが、その扉は閉ざされたまま。

 ゆえに、誰が呼んだか御鈴おすず廊下ろうかなのである。


「はー、あれ、鍵開くのかね」

「さあ?」


 そもそも旧校舎そのものが鍵がかかっている上、渡り廊下へと続く鉄扉は重くて冷たい、らしい。実鷹は実物を見たことがないが、話でそう聞いた。

 この男子部、教頭に言わせると「虫の純粋じゅんすい培養ばいよう」である。蝶よ花よと大事にされている女子部の生徒に近付く虫を純粋培養しているなどと失礼な話とは思うのだが、あながち間違いでもないので完全な否定はできない。

 はーい虫でーす、と。そんな風におどける生徒たちと同じことをする気にもなれないが。


「というか無駄話してる暇ないって、着替え!」

「あ、そうだ体育!」

「俺行くからな、サネも遅れるなよー。井場いばのおっちゃんに走らされるぞ!」

「うわ、それは嫌だ。すぐ行く!」


 知希に促されるようにして、実鷹も駆け出した。まだ雨はしとしとと降っていて、少し冷たい。

 土砂降りの雨の中、旧校舎では何があったというのだろう。竹村竣は本当に七不思議に殺されてしまったのか、それとも蒼雪が言ったように他殺であるのか。

 けれども竹村竣が他殺であったのならば、七不思議の呪いなどないのであれば――それは、きっと実鷹の足元を崩してしまうものだ。

 体操服姿のクラスメイトとすれ違う。とにかくさっさと着替えて体育館へ行かなければ、確実に遅刻になる。

 井場は遅刻をした生徒に必ず、どんな理由であれ体調不良でなければまずは三周走れと言うのだ。それだけは避けたいと、実鷹は一段飛ばしで階段を駆け上る。

 階段の一番上で雨に濡れた上履きの底がずるりと滑って、ひやりときもが冷えた。

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