第5話 - 遅咲きの胸花

 鸞翔らんしょう高校の生徒が実家への帰省を許される、年末年始の長い休みが明けて暫く。各寮の玄関脇に置かれたカレンダーのバツ印は、二月の第二週目に差し掛かっていた。電車に吊られた百貨店の広告には赤いリボンのイラストが多用されており、来週に差し迫った製菓業界の一大イベントを喧伝けんでんしている。男女平等、ジェンダーフリーが叫ばれて長い今日こんにちにあっても、「女性から男性にチョコレートを贈る」習慣が根強く残った日本特有の催事では、例年一月の半ばを過ぎた頃には、全国のデパートが揃って開戦の狼煙のろしを上げる。今年は火曜日となる二月十四日までの売上高によっては、三月以降の販売戦略だけではなく、経営如何そのものが左右される、業者にとっては極めて重要な書き入れ時だ。


 目にも鼻にも甘い香りが漂う街中で、東日本旅客鉄道——通称、JR東日本が運行する電車の三両目に足を踏み入れた飛鳥と戌月が抱える袋へ詰め込まれた品々は、カカオが主成分として練り込まれた菓子でもなければ、食べ物ですらない。学校行事の受付が生涯唯一の出番となる使い捨てのボールペンや、ドット模様が続くテープ式の接着剤といったありふれた安価な事務用品たちが、ポリエステルで作られた狭い空間の中を、車両の振動に合わせて泳いでいた。


――――――


「だからさ。後半組は特に、玄関の所でもたつくんじゃないかなって」

「靴箱で絶対ごちゃつくっスよねー。いっそ持たせて上がらせる?」

「ビニール袋のスタンドをいくつか設置して、教室まで連れて行ってもらおうか。あすちゃん、このルートはどうかな」

「……あ、ごめんなさい。もう一回いいかしら」

「卒業生が大講堂から出た後、教室までの流れをどうしようかって話っス。御涙頂戴した直後にもたつくのは締まらないんで、いっそ今年からやり方を変えてみましょうよーってのを、二年のメンツに提案しようかと」

「そうね……うん、いいと思う。正面玄関前は大講堂に入りきらなかったマスコミが構えているはずだから、留まらないようにできれば最良ね」

「……随分、疲れが溜まっているように見えるけど」

「まさか! そんなことないわ。平気よ」


 寮鳥会りょうちょうかいやクラスの話し合いの席において、参加者のどんな小さな呟きも聞き逃さなかった特待生の集中は、狐塚こづかのもとへ打ち合わせに赴いた日を契機として、脈絡なく途切れることが多くなった。座学や実技といった、成績に影響する学業全般については、これまで通りにそつなくこなしている。飛鳥あすかの視座においては名前と顔が一致する程度の認識に留まる同級生たちから、羨望と嫉妬が入り混じる七色の眼差しを注がれ続けているのが、その証拠だ。


「でも、なんかさぁ」


 飛鳥あすかの頬の上側、黒々とした両目のすぐ下には、薄い灰色の隈が滲んでいる。冬期休暇中も一人でからす寮に残ることを選んだ彼女の異変は、もはや明らかな症状として表皮に顕れていた。


 電車に乗り込む三日前、ぼんやりと遠くを見つめるようになった少女は、親しい間柄にある上級生の命によって、炎天下でも筆跡が消えない一本の油性ボールペンを握ることとなった。彼に言われるがまま筆を動かし、五分もせずに欄の全てが埋まった紙片の正体は、週末の日付が指定された、二枚の外出届だ。寮鳥会りょうちょうかいが保有する備品の在庫数を確認させずに後輩を連れ出した戌月いづきは、老若男女でごった返す電車の中、立っている彼と向かい合って座る少女の膝の上にまとめられた荷物よりも自身の手持ち分が重くなるよう、会計後に詰める物品を調整してあった。


「都心まで遠出をしなくても、学校近辺で揃いそうな物ばかりでしたが」

「はは、バレたか。勉強は嫌いじゃないが、俺にだって喧騒けんそうが恋しい時もある」


 吊り革に右手をかける戌月いづきは、二月末に第一志望である東京大学の第二次学力試験を控えている。警視総監を務める父を敬愛する彼は、世襲せしゅう制ではない実力勝負の世界に身を投じるべく、最高峰の法学部を有する文科一類への出願を済ませてあった。七十越えの偏差値をキープする当該の高等教育機関の卒業生の中には、法曹ほうそう界の狭き門を叩く者もあれば、官僚や警視総監への道を選ぶ顔ぶれも多い。歴代総監の出身大学として、常に一位へランクインする所以である。


 そして、戌月いづきの志望先の現在はといえば、大学入学共通テストの結果に基づいた一回目の審査の真っ只中だ。第一段階選抜の合否結果の告知は、しくもバレンタインの前日に行われる予定である。次の試験に進めるか否かも確約されていない、受験生にとっては決して無駄にできないインターバルのうち、丸一日を戯れに費やしているのは、妹から最近の飛鳥あすかの様子を耳にした、戌月いづきの独断によるものだった。


「少し目立つな。着替えてくればよかったか」

「私服をあまり持っていないので、もし制服以外を指定されていたら、きっと困っていたと思います」

「そうなのか? 今日はいつもと違う髪型だから、何か合わせたい服でもあったのかと」

「これは……戌月いづき先輩と買い出しに行くって言ったら、夜猫よねこが勝手に……」


 いつも通りのポニーテールを作ろうとしていたくしを取り上げられた代わりに、丁寧な編み込みが加えられたハーフアップがルームメイトの手によって仕上げられた終点には、自他共に見慣れた赤いリボンが蝶々結びで飾られている。


「やっぱり、変ですよね」


 視線を落とし、胸元に垂らされた髪のひと房を指で扱く少女の上へ、にわかに淡い影がかかった。


「可愛いよ」


 手を差し込むための空洞をもつ三角形のプラスチックは、銀色のパイプとの接合部をきしませて、たった一言のために身を乗り出した戌月いづきの姿勢を元に戻す。


「中学までのヨネは、髪を切ったり伸ばしたり、忙しなかったからな。手先は器用なはずだ」


 滑らかに停車した電車は、進行方向の左側に位置する扉を一斉に開く。出口近くで足踏みをしていた客が吐き出されるのを待ってから、入れ替わって我先にと乗車する人々の様子は、白泡が立つ波にも似ている。戌月いづきのせいで視線を上げられなくなった飛鳥あすかは、逃げるように目を遣ったしおの中に、角が削られた薄桃色のハートマークとかぶせて、瞼を閉じて微笑む顔が二つ描かれたストラップを見付けた。優先席は既に埋まっており、所在なさげに肩を縮める彼女と視線が交わった少女は、頭で考えるよりも先に立ち上がっていた。


「あの! よければ、座ってください」


 マタニティマークを提げた二十代後半と思しき女性は、肩を一度跳ねさせてから、左右をきょろきょろと見渡している。その一方で、少年少女の席に近い場所でイヤホンから音漏れさせている青年が、飛鳥あすかが空けたばかりの座席へ向かおうとする不遜ふそんな歩みを、戌月いづきが左手で阻んだ。人型の障害物を睨む彼は、微笑みで制する子どもが纏っているものが鸞翔らんしょう高校の制服であることに目を留めた途端、わざとらしく眉根を寄せる。舌打ちをしてから別車両へ移っていく男の背中を見送る戌月いづきの傍らで、妊婦との意思の疎通に成功した飛鳥あすかは、粛々しゅくしゅくと居所の交換を済ませていた。


「ごめんなさいね、ありがとう。荷物も沢山あるみたいなのに」

「平気です。次で降りるので」

「学生さんに席を譲ってもらえるなんて、久しぶりだわ」


 緩やかに発車した鉄の箱は、動き出してから七分後に、定刻通りの一時停止を迎える。膨らんだ腹部へ手をあてる女性と互いに会釈をした飛鳥あすかと、前を行く後輩の足取りを追った戌月いづきは、人がまばらになったホームの中ほどで立ち止まった。


「……すみません、見栄を張りました」

「はは、気持ちは分かる。伊東屋でも覗きに行こう」


 JR中央線中央特快、東京駅から立川駅まで乗り換えなしの高尾行きで予定外の途中下車と相成った二人は、買い込んだ荷物をコインロッカーへ詰め込んでから、新宿駅の安田口へと足を向けた。


――――――


 赤いゼムクリップが添えられた看板が目印となる、全国各地に支店をもつ文房具店の本拠地を一通り冷やかした二人は、昭和の風情が色濃く残る喫茶店で食事を済ませてから帰路にいた。シロップ漬けの真っ赤なさくらんぼ、氷の粒が大きい手作りバニラアイスの下で弾ける緑の炭酸に目を輝かせる少女のいとけない写真が収められているのは、戌月いづきの愛用するスマートフォンの中だ。この画像は、ピーマンやサラミ、スライスされたミニトマトといった鮮やかな具材の上に、たっぷりのケチャップとチーズがとろけた焼きたてのピザトーストの一口分を戌月いづき飛鳥あすかへ献上した結果、辛うじて保存を許された希少な一枚である。昼前よりも格段に空席が増えたオレンジ帯の車両には、うたた寝を始めた後輩と並んで座り、軽食の写真を見返しながら肩を貸す、卒業まで残り二ヶ月を切った最上級生の姿があった。


 自習室として開放されている東棟とは対照的に、寮鳥会りょうちょうかい室を内包する西棟には、土曜日らしく人気がない。電気のスイッチを入れなくても手元は見えると進言する飛鳥あすかの意をんだ戌月いづきは、カーテンを開け放った窓から差し込む陽光へ仕事を与えることにした。長机に着陸させた買い出し品を引き出しの隙間に詰める作業へ従事する特待生は、窓辺の席へと目を向ける。


「机、殺風景になりましたね。言ってくれれば、皆も手伝ったのに」

「引継ぎも終わったんだ。後輩たちの邪魔はできないさ」


 他の会員とは切り離された会長用の特別席は、数ヶ月前とは見違えるほどに物が減った。山積していた書類はもちろんのこと、業務に関する覚書が蓄積されていた手帳やペンケース、装飾がほとんどない月曜始まりの置き型カレンダーといった戌月いづきの私物は、彼が寮鳥会りょうちょうかい室から足が遠のき始めた頃から少しずつ姿を消していった。二月の開幕と同時に自由登校期間へ突入した三年生たちは、受験勉強の合間にそれぞれの部室から自分の持ち物を引き上げ、四月からやってくる新入生のために場所を空ける。色紙や花束で量が増えることも多い回収作業は、後輩たちと思い出を語らいながら行う生徒と、誰もいない隙を狙って完遂する生徒のおおよそ二通りに分けられる。文武両道を体現した実績と端正な顔立ち、大人顔負けの堂々とした振る舞いで絶大な人気を博した今年度の会長は、このうち後者に属していた。


 会長が管理を行うよう定められている鍵によって開錠された、南側の戸棚へ新しいファイルの収納を終えた飛鳥あすかは、左に並んだワードローブが視界に入った。水拭きとから拭きを駆使して磨かれたガラス製の抜き窓は、閉じ込められたトンビコートの毛足の長さまでよく見える。


『平成二十七年度二月、寮鳥会室で兎未と』


 一着の上着を通して少女の瞼に映るのは、屈託のない笑みでファインダーを覗く、若かりし頃の母の姿だった。


――ちょっと、漢字が違っただけ。それだけなのに、どうしてこんなに寂しくて、胸騒ぎがするの。


 一期生の卒業式から今日まで受け継がれてきた外套がいとうは、少女の声なき問いかけに答えない。衣装箱の前から動くことを忘れた飛鳥あすかの横に、残った備品の収納を終えた戌月いづきが並んだ。


「そういえば。今年の卒業式では、俺が着ることになったぞ」

「……先輩を差し置く不届き者がいたら、女子たちが黙っていませんよ」


 顔を互いに前へ向けたまま、ガラスに反射する半透明以下の像で視線を交わす二人の輪郭を、雲一つない夕暮れが照らしている。


「君も、その抗議に加わってくれるのか?」


 からかっているのか、と返そうとした飛鳥あすかは、いつも通りの微笑みを浮かべながらも、どこか熱っぽい戌月いづきの眼差しで、つこうとしていた息が止まった。全身へ血液を巡らせる左胸のポンプが稼働を早め、頭ばかりが靄がかってゆく恥ずかしさから、ガラスの上で彼と交わっていた少女の視線が逃げを打った。


「あなたが相応しいとは、思ってます」


 後ろで組まれた少女の細い指が、返事に合わせて折りたたまれる。人知れず力がこめられた左右の手は、透明な板にも映らないまま、小さな一つの塊になっていた。詰襟つめえりの左胸に縫い付けられたポケットから古金の鍵を取り出した戌月いづきは、姿見代わりの扉に埋められた白玉錠へそれを差し込み、厚さ二センチの中に詰められた機構を解く。


「おいで、飛鳥あすか


 開け放たれたワードローブからトンビコートを取り出した戌月いづきは、呼び声に従った飛鳥あすかの肩へ、手入れの行き届いたカシミヤを羽織らせた。来たるべき少女の晴れ姿を二年ほど先取りした彼は、布の下に入り込んだ黒髪へ指をかけて、外側へと流す。


 そして、戌月いづきは、勤勉でいじらしい二歳年下の後輩を、その両腕で抱きすくめることを選んだ。


「い、戌月いづき先輩?」


 突然に捕らえられた驚きで身じろいだものの、彼女の背と後頭部に回された戌月いづきの両手は緩まなかった。少年と青年との境界に身を置く彼は、成長期を終えた自身の広い肩口へと、飛鳥あすかの柔らかな頬を埋めさせている。


「……もっと早くに、こうしておけば良かった」


 隙間なく沿わされた戌月の身体で脈打つ心臓が、自分と同じか、あるいはそれ以上の早鐘を打っていることに気付いた少女は、苦しいまでの胸の痛みで吐息が震えた。甘やかな拘束によって逃げ場を絶たれた飛鳥あすかの脳裏には、彼と出会ってから初めて知った感情を深く考えまいとしてきた、一年足らずの高校生活が駆け巡っている。認めてはいけない、と無自覚にブレーキを踏んできた白い殻には、布越しに伝わるもう一つの体温によって、今、確かな亀裂が入れられた。


――乱されたくなんて、なかったのに。


 ゆっくりと瞼を閉じた飛鳥あすかは、ためらいが残る掌で、ついに戌月いづきに触れることを選んだ。気付くまでがあまりに遅く、幼かった少女の初恋を受け止めた少年は、己の背へ伸ばされた温度にきつく目を瞑る。触れるだけの口付けはどちらからのものだったのか、首の裏まで熱い二人には分からなかった。


「……顔。赤いですね」

「そっちこそ、人のことは言えないだろう」

「ふふ。だって、珍しいから」


 息がかかるほどの近くで囁き合っていた飛鳥あすかの耳へ、不意に室外からの物音が届いた。しかし、静謐せいひつな西棟にそれ以上の注意を払ってみても、続く異変は何もない。先ほどまでの堅牢な檻とは異なり、今度の強張りに対しては素直に開放を選んだ戌月いづきは、少女を閉じ込めていた腕の力を緩やかに抜いた。と、同時に、彼女の両肩から剥がれたトンビコートは、彼の持つ鍵によって元の居場所へと戻されていく。カチ、という軽い音と共に外套がいとうを封じた一本の鍵も、常からの定位置である会長の胸ポケットへとすみやかに仕舞われていった。


「隠し部屋の扉も、その鍵で開けられるんですか」


 かねてより考えていた仮説ではあったものの、このタイミングではあまりにも甘さの足りない疑問が口をついたことに自らも驚いた表情を見せる飛鳥あすかに、戌月いづきは思わず破顔した。平生よりも長引いた彼の笑い声が止み、ハーフリムを指の背で押し上げて目端を擦る頃には、すっかり機嫌を損ねた少女が出来上がっていた。


「悪い、悪い。いやな、『今それを聞くのか』と」

「……すみませんね、空気が読めなくて」


 笑いを堪えながら謝罪する彼からわざとらしく顔を背けた少女は、可笑しさが落ち着いたらしい戌月いづきに頭を撫でられて、ようやく眉間の力を抜いた。


「鍵のことは、飛鳥あすかが会長になってから確かめればいい」

「言いましたね。私、絶対に自力で上り詰めますから」


 挑戦的な眼差しで彼を見上げる少女の表情は、さっぱりとして明るい。物憂い陰が取り払われた飛鳥あすかに微笑んだ戌月いづきは、もう一度だけ彼女を腕に抱いてしまおうかと迷い、笑顔を保ったままよこしまな考えを振り払った。終わりが近すぎる慕情を言葉にしなかった聡明な男女は、迂闊にも再び情交を結んでしまえば、きっと各々の成すべきことを疎かにし、際限なく尾を引くであろうことを理解している。喉元を越え、舌の根までせり上がった言葉を飲み込んだ口付けを無碍むげにする行いは、この二人にだけは到底できようもなかった。


「よし、元気になったな。他の二人も、かなり心配していたぞ」

「ちょっと、色々あって……余裕がなかったんです。桜兎おとは特に気弱なのに、私、嫌な態度を取っていたかも」


 だいだいから藍に移り変わる空の上には、下弦の月が浮かんでいる。農村より薄く、都心よりも濃い輝きで姿を現し始めた星々をかしずいた箱庭の外の世界には、透明なから風が吹いていた。


「彼のことは、あまり信用しない方がいい」


 窓枠に後ろ手を付き、天然の色が混ざりゆく様子を横目で眺める戌月いづきは、穏やかな声色でそう言った。畳みそびれていた袋を片付けていた飛鳥あすかは、彼の呟きに手の動きを一度止めてから、振り返ることなく目の前の作業を再開した。


「して欲しくない、ではないんですね」

「どうだろうな」


 バラ売りの文房具を包んでいた紙袋を折り畳むかすかな音は、平均よりも体温が低い飛鳥あすかの耳で、やけに大きく木霊こだました。長さが足りずに一つ結びが解けたそれは、不十分な折り目がついたまま、ペダル式のゴミ箱へと投げ入れられる。一息に足を外したために、シンバルと同じ原理で騒音を奏でることとなった床上の家具を見返す幼い生徒は、夜に染まりつつある寮鳥会りょうちょうかい室の内側には存在しない。


「夕食は、ヨネたちと約束をしているんだったな。後はやっておくから、もう上がっていいぞ」

「なら、お言葉に甘えて」


 商品の抜け殻が未だ細々と残る長机から離れた飛鳥あすかは、背をまっすぐに伸ばして出入口へと向かう。滑らかに凹んだ取っ手へ桜色の爪が触れ、小さな静電気が指先で弾けた。


戌月いづき先輩」


 飛鳥あすかが振り向いた先に佇む彼の表情は、消えゆく逆光のせいで判然としない。少女を見つめる戌月いづきの視線に駆け出しそうになった両足を叱咤しったして、飛鳥あすかは上履きの靴裏をその場に縫い留めた。


「……卒業式で、また」

「ああ。また」


――――――


 抜けるような快晴が祝福する三月。遠目に見付けた少女へ振った戌月いづきの右手は、勝気な目元がほのかに赤く、柔らかな唇を真一文字に引き結んだ飛鳥あすかから、彼と同じ素振りでしかと応えられた。桜の花弁が舞い散る吉日、第百四十六回目を数える国立鸞翔らんしょう高等学校の巣立ちの式典は、耐え難きを耐え抜いた四十余名の生徒たちを、盛大な喝采かっさいでもって籠の外へと送り出した。

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