第4話 - 爪先にスポットライトを
絶え間なくシャッター音が
モデルが薄着であっても鳥肌が立たないように、という配慮から暖房が点けられた一室は、制服を冬服に衣替えしてからひと月以上が経過した
「一回休憩入りまーす。あ、タオルも下さーい」
「水! 頂戴! 干からびちゃうわよ、もう」
「ねえアナタ。あっちに置いといた花束知らない? これくらいのヤツで、小道具の生花なんだけど」
「あちゃー、予定より押しちゃってるわ。誰かマネさん呼んできてぇ」
「は、はい! ただいま!」
少年少女が運んでいる荷物の一つ、ペットボトルの飲み口へ取り付けられているストロー付きのキャップには、パリのランウェイを毎年のように歩くトップモデルの名もあれば、新進気鋭のアイドル、お茶の間を沸かせて長いベテラン俳優といった、モデルとは別の
「
振り仰いで泣き言を叫んだ
――――――
荒事を隠し通した学園祭から、はや二ヶ月。
若葉マーク付きの雛鳥は、オープンキャンパスで来校者へ配布する予定の、学校史と校内図をまとめたリーフレットを巻三つ折りにする機械と化していた。彼らに単純作業を任せた二年生たちは、当日に校内を歩きながら行う説明の事前練習をするべく、一時間ほど前に
「来月の講演だが、OBとの調整を君たちに任せようと思っている」
「いいんですか? そんな大役、一年生だけに任せて」
「もうすぐ二年になるだろう。俺もしばらく顔を出せなくなるし、頃合いかと思ってな」
高校三年生の冬、第一志望の大学受験を目と鼻の先に控えているのは、
「在籍時は会長を務めていた人だから、向こうも勝手は分かっているはずだ。三人の仕事は、今週末の事前打ち合わせと、当日の司会進行役だな」
――この人。平成二十七年度の、首席卒業生だわ。
虹彩が小さいために
――母さんの、同級生。
本当に、母は、ここに存在していたのか。
深く昏い方へと沈んでいくばかりの
「うわ、うわうわ! えっ、
黄色を越えて蛍光色にでもなりそうな声を上げた
「
「だ、大丈夫よ。少しびっくりしただけ」
他の一年生たちの反応が薄いことに気付くやいなや、人気バーチャルアイドルとしての顔をもつ少女は、
「急に取ったのはゴメン! でも、本当に世界単位で引っ張りだこのお人なんス! 歌手に俳優に司会にモデル、なんでもござれなマルチタレントなのは大前提として、芸能事務所の社長としての腕も頭一つ飛びぬけてる大天才! 事務所の設立記念日に毎年やる、所属タレント大放出なライブのチケットは十数秒で即完売。
「学生証と一緒に保管しているのね」
「うん! 界隈の身分証明書っスよん」
「広告がラッピングされたトラックにかざしてる人は、ぼくも渋谷の交差点で見たことあるな。どこかのブラックカードかと思って、何してるんだろうなと」
「アドトラックはイベント近くにしかやらないプチお祭りだから、スゲーその子の気持ち分かるっス。黒と金が大人っぽくて、何合わせてもシックに映えるし」
どんどんと喋りが早くなっていくにも関わらず、一度も噛まない活舌に感心すら見せる周囲の様子にはお構いなしの少女は、万感の思いを籠めた一拍の溜めの後、噛みしめるようにしながら、締めの言葉を絞り出した。
「芸能界のレジェンド、生けるエポックメーカー……! ここ数年は海外での活動が主なのに、学校行事が初参戦の国内リアイベになるなんて、ラッキーどころの騒ぎじゃない!」
「ん、ヨネは二回目だろう」
身振り手振りを加えながら大騒ぎしていた様子から一転、きょとんとした目付きで兄を見つめる
「五歳の時の七五三。覚えてないか? 自分で選んだドレスを着たくせに、誰も手がつけられないくらい大泣きするヨネをあやしたのは、
一年生たちの眼前に差し出された端末の液晶画面には、フリルたっぷりの水色のドレスに身を包んだ幼い
「えー、っと……そんなにすごい芸能人と、警視総監がいらっしゃる堅めな
フリーズした
「彼は、日本の全極道を統率する一家の頭領が、どこかから養子にとった人間だ。本人は構成員ではないが、俺の家系には警察の幹部が多い都合上、その手の組織とは切っても切れない縁がある。父と
妻との晩酌を楽しむ父親から友人との交流模様を聞かされ、二年前の帰国に合わせて開催された講演の調整役を任命された
「競合他社も、下手に妨害できない訳だ。この事務所を潰したかったら、ヒットチャートとか、タレントの育成とか、正攻法で喧嘩を売るしかない」
「でも、実力勝負でも通用しすぎるくらい、彼には華と商才があったのね」
「
「知識が
放心状態から帰ってきた
――物語が詰まっているものが好きっていうの、人間にも当てはまるのね。
先日、
――この人なら、何か、知っているかもしれない。
事前資料のテンプレートへ嵌め込まれた、バイオレットの瞳を細める
「私たち、本当に大丈夫かしら」
学園が抱える秘密のこと、エニグマのこと――そして、母のこと。写真が消えてしまった無名の少女の行き先をも訊けたとして、裏社会にも通じる相手がどう出るかは、
――――――
「お、随分早ェじゃねえの。おチビちゃんたち、今日はよろしくなァ」
銀座のビルを一本丸ごと買い上げた経営者から指定された集合場所は、事務所に併設されたカフェのテーブル席だった。入館証を首から提げた一年生たちが周囲を窺っても、どこもかしこも、液晶や印刷物越しに見覚えのある顔しか見当たらない。関係者のみが利用できるタレントたちの憩いの場所では、BGM代わりのステレオラジオが客同士の会話を過不足なくジャミングしている。三十分前に席へ着いた
定刻の十分前、手袋と靴は素材を革、色を黒で統一し、衣服には無彩色のタートルネックにテーパードパンツを合わせた狐塚が、三人の待つテーブル席へと到着した。
「今回の講演で司会進行役を務める、寮鳥会一年の
「同じく、
「よ、
「アスカに、オトな。ご覧の通り、あんま真面目な社長様って訳でもねェから、肩の力抜いてくれや」
約一名の動きがぎこちない挨拶を交わしていると、金の縁取りが目を引く黒い有田焼の湯呑が、おもむろに
「ヨネは久しぶりだなァ! 綺麗になっちまってまあ。変な虫が寄りゃしないか、イヅキも心配してるだろ」
「えっ! いや、そんな……
「砕けていいっつったろう。様付けなんかしなくていいぜ」
珍しく歯切れの悪い
「彼女、あなたのファンなんです。小さな頃に会っていたことを
「ほう、そいつァ光栄。今度は忘れられねェよう、精々気張らせてもらうとすっか」
「お待たせいたしました。コーヒー、レモネード、テータリックです」
「ありがとさん」
空いたカップと交換で机に置かれたホットドリンクたちは、一杯目とは違うデザインの器に注がれていた。塗装された色は同じだが、飲み口が狭くなった卵型のシルエットに、陶器の厚みもやや増している。話し込む際に熱が逃げにくいよう計算された、造形美と心遣いの融合だった。
――あまり、危険な人には見えないけど。
カウンター近くの柱に掲げられた時計を
――――――
「そういや、オトは兎だろう? 一年で
「あはは……脱兎とかけたんですね。このまま、平和でいられたらいいんですけど」
朗らかな声色で会話する男性陣と、狐塚の一挙一動を観察できてご満悦な
――どうやって切り出そう。人も増えてきちゃったし……。
「お話し中に申し訳ございません。社長、急ぎお耳に入れたいことが」
「ん、どうしたァ」
カウンター席でカフェオレとサンドイッチを堪能していた
「正午からの幹部会ですが、副社長が前倒しで始めたいとのことです。今朝方にオファーがあった局からの案件について、少々、
「あー……アレなあ」
背もたれに体重をかけ、目を閉じて天井を仰いだ
「おチビちゃんたち。今日の予定はもう済んだ、ってことで大丈夫か? ちと急ぎの用事ができちまった」
「はい、ぼくらの方は問題ありません。追加でお聞きしたいことが出てきた場合は、メールで確認させて欲しいのですが……」
「悪ィな。なるべく翌日までには打ち返すようにすっから、それで頼むわ」
返答しながらも既に腰を上げている
「あすちゃん、ぼくらも出よう。あまり長居しても良くないよ」
「……ええ、そうよね」
話している間にも、カフェの軒先に置かれた簡素な空枠の名簿には、席の順番待ちを表す手書きの履歴が増えていく。署名の用途で書き込まれた名だたるタレントのサイン群はファンにとっては
「
「ゆっくりしてきゃいいのに。おれは構わんけどよォ」
「残っていたら、寛いでいる皆さんにアポなしの取材を始めそうな子がいますので」
「え、それってヨネのこと?」
「他に誰がいるんだろうね」
指摘されてもなお周囲への目移りが止められない
「本日は貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。当日もよろしくお願いします」
「そりゃこちらこそ。準備も大変だろうが、適度に息抜きしておけな」
「
「可愛いこと言ってくれるねェ、この子猫ちゃんはよ」
「そうだ、アスカ」
言葉では表さずに感銘を受けていた少女の名を呼んだ彼は、先日、戌月が
少女を歩かせた彼は、上半身を屈め、
「ご両親のことは、残念だったな」
視線を強張らせる
「おまえさん、ウミによく似てるよ」
少女の肩を押さえていた大きな掌を、もう一度だけ同じ場所へ置き直した彼は、軽やかに後方へのステップを踏むことで、二人の間に余白を取り戻した。
「じゃあな、おチビちゃんたち。また後日」
に、と白い犬歯を見せてターンを決めた彼は、開けたロビーの中央に構えられた大階段へと革靴の先を向ける。ありがとうございました、と後方の
「あの!」
フロアの高い天井に吸い込まれた彼女の声は、賑やかだった周囲の会話を中断させると共に、立ち去ろうとしていた
「まだ、聞きたいことが……とても、私的なことですが……もう少しだけ、お話はできませんか」
言葉少なに、けれども必死に食い下がる少女の張り詰めた喉を聞き届けた
「予定外の情報には、相応の対価ってのが必要だよなァ?」
――やっぱり、怖い人かもしれない。
年若い
――――――
「
長編ミステリー映画の真犯人もかくやという表情を見せつけた彼が提示した交換条件は、残りの半日の間、事務所の手伝いをすることだった。地下に撮影セットを作られた現場での弁当配りに始まり、某歌手のファンミーティングで頒布する小冊子へのカバー付け、そして来年の四月に発刊予定である所属タレントの写真集の撮影補助と、慌ただしく時間が過ぎていった末に、一年生の三人は、勝手知ったるメイク担当によりモデルたちの控室へと拉致された。化粧と同時進行で衣装を合わせてくるスタッフへ戸惑いながら質問をすると、
「三人もっていうのは、ちょっとびっくりしちゃったけどね」
「そうねぇ。今までで一番多いんじゃないかしらぁ」
二年前、
「お兄ってば、超かっこいいじゃないスか! こんな面白いことが最後にあるなら、ヨネたちにも教えてくれれば良かったのにぃ」
「あくまでもイレギュラーだし、仕事に関係ない話だと思って言わなかったんじゃないかな……」
それまでの疲れと愚痴はどこへやら、大きな瞳を輝かせる
「あすちゃんは、例の部屋について尋ねるつもり?」
肩が触れ合うほどの近くに他人が行き交っているため、対象の明言を避けた
「相談もせずに巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。……質問したいことは、
メイク台の下、手元で弄っている赤いサテンのリボンは、ポニーテールと一緒に解かれた彼女の私物だ。
「二人にちゃんと説明できるほど、私の中でも整理ができていないけれど」
どうしても、訊きたいの。
きゅ、と噛みしめられた飛鳥の口元には、アイメイクと色味が統一された真っ赤なルージュが塗られている。後ろ髪にはコテがあてられ、緩く巻かれた長い黒髪が、ワイシャツ越しに肩甲骨を
「別に、責めているつもりはないけどさ」
「そうそう。いっつも
「二人とも……」
潤みそうになった少女の涙は、目のすぐ下に当てられた柔らかい三角形のパフで引っ込められた。化粧がやり直しにならなかった点には安堵しながらも、絶妙な間の悪さに、三人は苦笑いを浮かべている。わざと空気を無視した古株のメイクアップアーティストは、鏡の外側でこっそりと微笑んだ。
「いやぁ、青春ねぇ。そんな可愛い皆に、社長から伝言を預かってるのよぉ」
「撮影が終わったら、話がある人だけ社長室に来るように。ですってぇ」
何かあったら迷わず警察を呼びなさいね、殴ったって構いやしないわ、などとアドバイスをするのは、コンクールでの受賞経歴を引っ提げ、当事務所との専属契約を済ませたスタイリストたちだ。彼女らの表情は和やかで、
「なら、行くのは
「……いいの? 特に
「ヨネは、パパに言えば何とかなるもん。でも、
熊野筆のチークブラシで淡いオレンジを乗せられている
「ま、勘なんスけど!」
第六感に全幅の信頼を寄せる
――――――
学生証に印刷するために学校へ派遣されるカメラマンとはまるで勝手が違う撮影会を経て、
ポン、と箱が鳴った階層で降ろされた少女は、秘書が携えていたカードキーで開門された本丸の床を、やや擦り減った靴裏で踏みしめる。門番は
「そうやって髪を下ろしてると、尚のこと似てらァな」
特等席の前まで進んだ
「では、質問してもよろしいでしょうか」
「構わんよ。今日の人数に合わせて、三つまでは応えてやる。ただし、おれが教えてやれることもあれば、知った上で教えないこともある。このことだけは、あらかじめ承知しときな」
「後者の場合は、この場で明かせない情報だ、ということを覚えて帰れと」
「どんな物事でも、順序ってェのが肝要だからよォ」
返した
「……
「イエス。正真正銘、第二次世界大戦でドイツ軍が使った遺物だぜ」
手袋が外されて
「ネットの掲示板に流れた噂、『第二次世界大戦から隠され続けている秘密』は、エニグマのことを指している?」
「そうさなァ……四割、いや、三割は正解ってとこかね」
次に立てられたのは中指で、言葉が継ぎ足される気配もない。「知った上で教えないこと」の壁に
――チャンスは、あと一回。
力んだ
「……母は、……
頼りなげに掠れた声は、僅かにぶれた瞳の焦点と拍子を合わせ、虚勢でもって絞り出された。言ったきり、唇を堅く引き結んで黙り込んだ
一人用の椅子に座っている彼は、革張りの背板へ上半身を預け、薄い瞼でもって瞳を覆う。成人男性の重さに鈍く鳴った家具の支柱は、次に
「随分と真っ直ぐな子だったよ。役目と板挟みになっちまって、息苦しそうなくらいには」
「役目、って……
「いンや。ウミは才女だったが、
重心を前に戻した狐塚は、机の下方に続いている引き出しを開き、数十枚の紙束を片手で取り出した。
「時々出る薩摩弁も可愛くてなァ、男子連中の間じゃ、結構な人気だったぜ」
「母さんは、鹿児島の出身でしたから」
彼の手によって選り分けられた書類の中から姿を現したのは、半透明の袋に入れて保管されていた、一枚の写真だ。縁が僅かに
「あと少しで卒業って時に、どうしても退学するってんでよ。その写真は、会長命令でおれが無理矢理撮ったモンだ。そうそう、コートに埃がかからないようにすんのも、結構苦労させられたんだった」
「四年前。夫婦一緒に交通事故で亡くなったって聞いてなけりゃ、おまえさんのことをウミと見間違えてたかもしれねェな」
日常の中の一コマを切り取られた女生徒の姿に、愛娘は、目の奥からこみあげる熱さを自覚していた。兄弟も姉妹もなく、他人よりも冷たい態度で接してくる親類を除けば天涯孤独の身となった夜を越えて、鳥籠の学び舎という僅かなよすがを正しく辿っていられた自身の軌跡が、少女の心臓を一層引き絞った。
しかし、
『平成二十七年度二月、寮鳥会室で兎未と』
頬を伝った塩水が写真に垂れる寸前、慌てて手元を
「う、み……って、どうして……
「質問は三つまで。アスカはもう、その権利を全部使いきったろう」
これでもサービスしたんだぜ、と肩をすくめた彼は、おどけた時と変わらぬ声色のまま、動揺の渦中にある
「な、おチビちゃん。危ない目に
満月に照らされた下層では、底が見えない崖を人工の星々が照らすように、色とりどりのイルミネーションが頼りなく点灯している。先に帰路へついた
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