第3話 - 剪定の祭日
七月二十六日、水曜日、仏滅。グロッケンを合図に生徒たちが我先にと
「指名制なのは知っていたけど、試練付きとは思わなかったわ」
「激ムズ問題作っておいて、期末の点数だけじゃダメなんて……鬼っスよぉ」
先週末に開示された、一学期の期末試験の上位十名には、学年六位にランクアップと健闘した
人を
「
雑穀米を
「このまま請けたら、『お
ぽり、と小気味のいい瓜科の歯ごたえが音になり、連結した三人分の席の範囲にだけ響く。
「思い出作りは頑張るっスけどね。
「
「あ、例の秘密の件は、ガッツリ下調べしといて欲しいっス!」
「
友人たちに異なる感情から順番に名前を呼ばれた当人は、次の予鈴が鳴る寸前まで、普段よりも長い時間をかけて昼食を噛みしめた。
――――――
入学式に立て看板があった場所へ設置されているのは、約二ヶ月にも及ぶ準備期間を経て当日を迎えた、第百四十八回目を数える
天気は快晴、一日を通して降水確率はゼロパーセント。絶好のお祭り日和である。
「お、お帰りなさいませ。何名様でのご帰宅ですか?」
「お帰りなさいませ! 席が空くまでお待ちいただくんで、その間にメニューを決めといてもらえるとありがたいっス」
「クラシカルメイド喫茶」を設営した一年一組では、昨晩借りた調理室でミルクチョコレートの海へとくぐらせた輪切りのバームクーヘンや、季節外れながらもドイツ菓子としてトップクラスに有名なシュトレン、水出しアイスコーヒー等のコールドドリンクを主に提供している。演劇部から借りた衣装は数とサイズに限りがあるため、男子は裏方での仕上げ調理担当、女子は午前中と午後でシフトを組んだ配膳と接客担当といった風に仕事を分担していた。
「思ってたよりウケいいっスねぇ。この分じゃ、早々に材料足りなくなるかも」
「ええ、追加の買い出しは頼んだけど……時間通りには抜けられなさそうね」
最も混雑するであろうと予想していた昼時を迎える前から、オルゴールの音色が薄く流れる教室は今日限定の来客たちで満杯だった。その一因は、雲一つなく晴れた空がもたらした気温の高さにあり、空調のきいた室内でカフェ系統の出店をしている各クラスは、例年以上に軒並み賑わっているのだった。特に、肌を見せない衣装を選んだ彼女たちの
「
「ぼくならもういるよ」
謝罪と打診のためにポケットから取り出したばかりのスマートフォンを落としかけ、お手玉のように三度ほど手元でまごつかせた
「なんで隠れるような真似! ……はあ、もう。いつからいたのよ」
「十分くらい前。こっちの客足は一旦落ち着いたから、お役御免になったんだ」
「ヨネがいらっしゃいしたんスよー。前売りのサービス券持ってたし」
男子生徒が在籍する一年三組の出し物「十五分お化け屋敷」が結構怖いらしい、という噂は、一組に来店したグループ客も会話の種にしていた。大手配信サービスで視聴可能なホラー映画を片っ端からはしごした、にわかに話題なお化け屋敷の脚本家たる
「ね、あすちゃん。この『クーヘンセット』って、まだ頼めるかな」
「本格的に
「じゃあそれ、お願いします」
からかいと呆れ交じりの注文ごっこを遮ったのは、喫茶店の入り口であることを明示するための張り紙がある西側の引き戸で沸いた、黄色い声の濁流だった。音の渦中から顔を覗かせた男子生徒は、赤いリボンが結ばれたポニーテールを目印にして、
「三人とも、ここにいたのか。探したぞ」
「……私、この光景にも段々と慣れてきたわ」
二年生の女子グループが
「何かあったんですか」
耳元を掌で隠しながら背伸びする後輩を見遣った
「場所を変えたい。構わないか」
――衣装は予備も少ないし、これで校内を歩くのは恥ずかしいし。正直、ちょっと助かったわ。
我先にと着替えを済ませた
「嘘っ! あの、ごめんなさい!」
「はは、ちょっと近すぎたな」
しかし、彼が続けた会話の先にあったのは、
「さっきの衣装。照れる君を見るのは、結構、新鮮だったんだが。いや、惜しいことをした」
耳を疑う
――――――
「爆破予告……」
各クラスによる出店のホットスポットである東棟とは異なり、取り扱いに注意が必要な薬品も保管されているという理由から、催事であっても頑なに部外者を拒む西棟。その三階に存在する、
「三十分前に職員室へ電話がかかってきてな。犯人はボイスチェンジャーを使っていて、逆探知も間に合わなかった。本校舎のどこかに仕掛けられた爆弾は、十四時ちょうどに起爆するそうだ」
「ちょっと、あと二時間半もないっスよ! 昼過ぎなんて、一番ごった返す時間帯だってのに」
「学園祭って、確か外交の側面も強いんですよね。訪問客を校外へ避難させるなら、なるべく早い方がいいと思います。お忍びで来ている著名人は、軒並み発言力の強い方ばかりと聞きますし」
「できるものなら、そうしたいんだがな」
胸元で組んでいた両腕を解いた
「最高峰の学園を謳う
溜め息をつく兄の言に絶句する
「なに、それ」
──目を塞いで、嘘であることだけに賭けて、避難すらさせないつもりなの。
膝上で握りしめられた少女の両手は、プリーツスカートの布地を巻き込んでいる。
──まだ、助けられるのに?
「それで、だ。事を一般人に露見させず、かつ速やかに対処するよう、
スラックス越しに自身の膝へ手を当てて頭を下げる三年生の姿に、彼の斜め向かいへ座っていた
「顔をあげて下さい! 頼まれなくても、協力するつもりでいましたよ」
「しかし……」
「パパにはもう連絡したんスよね。なら、ヨネたちにできる事はやらなきゃ」
半袖のワイシャツを着用しているため、ない袖を捲り上げるジェスチャーを付け足しながら
「イタズラじゃ、ないんですか」
あとは
「食堂への仕入れとか、清掃業者とかに扮して出入りするにしても、外部の人間には必ず学校側の男性職員が同行する決まりがありますし。犯人は、ガセネタに慌てふためく様を見物したいだけの大ほら吹きかもしれませんよね」
「その議論に夢中になっていられるほど、私たちに時間は残されてないわ」
「
「ぼくたちは子どもで、やれることなんてたかが知れてる。警察に話が通っているなら、大人に任せてもいいじゃないか。あすちゃんがわざわざ危険な目に遭ってやる必要なんて、どこにもないだろう」
「
三歳から四歳を目安とした年頃の幼児に訪れる、俗に「なぜなに期」とも称されることがある第二質問期に痺れを切らした保護者のように、
「私は、この学校を守りたいの。もちろん、
窓の外では、正午へ向けて勢いを増すばかりの太陽がコンクリートを熱し、近隣住民が打ち水をした公道には
「危ないのは、絶対無しだからね」
当人たちにとっては永遠ほどにも長く感じられた沈黙の末、ついに退室しないことを選んだ少年は、口から息を吐きながらソファの背もたれへと身体を投げ出した。女生徒二人が対岸でハイタッチをしている光景を薄目で眺めた
――――――
一年生三人の総意がまとまるまで見守りに徹していた
学校の敷地内にある屋根付きの施設は、入学式などの式典や講演で使用される大講堂に、生徒たちの居住地でもある
「学園祭当日に最大限のダメージを与えられる場所、という点を考慮すると……一般客に開放されていて、かつ、各クラスの出店目当てに最も人が集中する東棟。この範囲内に、爆弾は設置されていると見て間違いないだろう」
「東棟」と右から順番に書かれた文字にあてがっていた手指がぐるりと大きく回され、単語が示す建物を囲むようにして透明な丸を描いた。
「民間人にはもちろん、他の生徒にも情報は伏せたまま、爆弾を捜索するための時間が欲しい。こちらの用意が整いしだい、北東にある裏門から食堂を経由して、東棟に爆発物処理班を動員する。これについては父とも打ち合わせ済みだ」
「
「この賑わいようだぞ。トラブルの対処と運営で手一杯だ。短い時間であれば動かせるが、専属の手駒にはできない」
要するに、何かしらの理由をこじつけて、ごった返した東棟から人払いをしなければならない。通達しやすい
「一つ、アイデア自体はあるのだけど……」
「さっすが
前のめりになって目を輝かせる
「先に、保護者の許可が必要ね」
瞼を上げた特待生は、
「
「ぼくがどうこうは横に置いておくとして、そう簡単に得られる技術じゃないことは間違いないね」
手持ち
「お
「色々と手続きが必要になったから。あなたのことを、ご両親と関係者に取り次いでもらっているの」
「ん……んん? ヨネのこと? え、爆弾探しの話じゃなかったんスか」
元から大きな目をさらに丸くする同性の友人へと向き直るために、両膝を揃えたまま上半身を捻った
「
「へぁ?」
空調設備が駆動する、僅かな環境音だけが満ちた
――――――
午後一時半過ぎ、朝方は閑散としていたグラウンドは、
『次も新曲、行くっスよー! あ、そこのお兄サンとお姉サンは動画止めてね。写真も動画もアップNGなんで』
ヨロシク! と、彼女が高らかに宣告した丁度に、録音済みのベースとドラムが、次曲のイントロを刻み始める。男女の垣根がない大歓声は、雲一つない晴天へ響き渡っていった。
バーチャルアイドルの第一線へたった三年で上り詰めた
電撃発表の
なお、所属事務所の
「
安心した気持ちから呟いた
――あの写真だけは、万が一にも燃やされてたまるもんですか。
無人になった
相変わらず鍵のかかっていない秘密の扉に手をかけて、爆破までのタイムリミットがあと十分を切った焦りに逸る身体を、棚ばかりが設えられた空間へ滑り込ませる。トンビコートを
棚を開けた
「届いた」
爪に触れた紙の感触に顔を明るくした
――絶対、挟んだのに!
何度もページを
『もしもし?
「え、あ……。そう、よかったわ。ゲリラライブも順調かしら」
かきあげた前髪は、汗でじっとりと濡れていた。動揺が声に出ていないことを祈りながら、
「
『今、どこにいるの』
「どこに、って」
『ライブは、もうとっくに終わったよ』
拳大の心臓が、一際大きく跳ねる。少女の左手首に巻かれた時計は、既に午後二時を十分ほど過ぎていた。
――あの大音量が届かない場所なんて、どうしたって限られるじゃないの。
今日の幼馴染の振る舞いは、普段の
――
「すぐ戻るから、内緒にして頂戴。ちょっとした野暮用よ」
『あすちゃん!』
「後でね」
強引に電話を切った
少女の手元に残されたのは、全てのポートレートのモデル名が明記された、「完璧な」フォトアルバムだけとなった。
――――――
異例で異例を隠し通した学園祭と、全生徒に対して門限が特別に免除された後夜祭は、大団円のうちに終了した。避難指示、および犠牲者を出さないまま幕を閉じた爆弾騒ぎは、今後もマスコミに情報が漏れないよう、学校側で然るべき処置を行ったことが、全てが収束した後で関係者に告げられた。また、本件に携わった一年生の三人は、学園長からの
会長が
生徒たちが寝静まった深夜に、
「君まで夜更かしか」
「少し、お話したいことがあっただけです」
少年は、
「
「人手欲しさに親しい相手を頼るのは、ごく自然なことだろう? 君こそ、ああまで
「爆弾騒ぎで活躍すれば、その分だけ利用価値を学校へアピールすることに繋がる。元から
鳴き疲れたアブラゼミは、六本の足を全て縮こまらせて、乾ききった地面に横たわっている。
「そして、この『試験』への参加チケットが、
人工灯に照らし出された少年は、眩しさに目を細めながら、会話相手へと身体を向き直らせる。正面から見据えた先達がもつ、暗闇との境界が
「
「背中を任せるに値する同志を、自ら選んで何が悪い?」
ちか、と光ったような錯覚を少年が覚えたのは、彼の眼孔に
「さて、君の空想に付き合ってやれるのはここまでだ。早く寮へお帰り」
「……はい。おやすみなさい」
「おやすみ。良い夢を」
左手に掴んでいたスマートフォンの画面を点灯させた少年は、
「か弱い兎を演じるのも、楽じゃなさそうだな」
抜け出しついでの見廻りを再開した彼の足取りは、少年と会話をする前と比べて、何ら変わってはいない。規則正しい足音は、見慣れた夜更けの景色を確かめる作業へと戻っていった。
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