第2話 - 秘め事に熱
「それ、エニグマかもしれないっスよ!」
――――――
全寮制のエリート養成学校、国立
特に、彼と血を分けた妹である
「おにぃ、これまだ続く……?」
「切り上げようかと思っていたが、急に続けたくなってきたな」
「どうスかこういうの。ヤな男っスよね」
「今は話を振らないで……」
記憶にある穏やかな父親とは重ならない説教を
「……ま、高校生活一日目だしな。今回は
膝に手をあてて立ち上がった
「やった! お
「はいはい」
慣れた
「君も災難だった、と言っていいものか迷う熱中ぶりだったようだが……困ったことがあれば、気軽に頼ってくれ」
予想だにしていなかった
「い、
「俺にとっては、あれでも可愛い妹だ」
「二人とも、早く帰ろうよー」
直接言うとつけ上がるんだが、と、先んじて廊下に出ている
――――――
式典の翌日、始業式を済ませた午後から早速始まった授業は、一年生たちが予想していた以上のハイペースで進んでいった。高校教材の前提知識である中学までの復習を授業内で一切行わないのは当たり前、突然配布される小テストには、選択肢が
過酷な授業の合間を縫って彼女が足を向けたのは、西棟のさらに西へ構えられた、三階建ての図書棟だった。一学校の設備としては異常なほど
——母さんの年齢から逆算すると、この辺りかしら。
——写真の子がいないのは、私が知らないだけで、特別な事情があるのかもしれない。けど、母さんは確かに生徒の一人だったはずなのに。そう、聞いたのに。
寝物語への疑いがとぐろを巻き始めた思考に押し出され、秘密の部屋の中で見つけたタイプライターもどきについての疑問を
「エニグマってのは、第二次世界大戦でドイツが使った暗号機っス。戦後は連合国に破壊命令が出されたんスけど、たまーに難を逃れた奴がネットオークションに出ることもあるんスよね。令和元年に出品された、説明書付き美品の初値は……なんと! 二十万ドル!」
「日本円だと、約二千二百万円……それがスタート価格なのね」
『うーん、形は一つじゃないみたいだけど』
「
『こんばんは
「ランチは毎日一緒じゃない。数時間も離れてないのに」
うつ
「レプリカとかも含めるといくつか型があるんスけど、超有名、かつ第二次世界大戦に使われたエニグマは、木箱に入ったタイプライターって感じの見た目でさ。手前には
「あ……これ。多分、こんな形だったと思う」
「っしゃ! 手がかりゲットぉ!」
ベッドの
「はぁ、おっかしい。真面目に考えなきゃいけないのに、笑わせないでよ」
『あすちゃんがそんなに笑うのも珍しいけどね』
「ねー。声出すのは初めて見たかも。顔も真っ赤」
再び
「ちょっと、尋常じゃない熱さなんスけど! 体温計借りてくるから、ちゃんと仰向けになって寝てて!」
「そんな、大げさにしなくても」
「いいから!」
『……あすちゃん。ぼくも、
「
飲み物を冷やすためだけに用意された小ぶりな冷蔵庫からスポーツ飲料のペットボトルを一本取り出した
――――――
曜日が更新された正午過ぎ、午前の授業と昼休憩を区分けする鐘――ビッグベンの鐘の音を流用した他の
「あすちゃん、入るね」
オートロックの扉は、あらかじめ内側から解錠されていたおかげで、性別から判ずれば部外者となる少年も、難なく開くことができた。入り口にある段差で来客用のスリッパを脱ぎ、すぐ左手にある小さな冷蔵庫へ差し入れを詰めていく。
「具合はどう? 昨日よりは楽かな」
「ええ。だいぶね」
開封されたものはドアポケットに、それ以外は冷気を
「何してるの、寝てなきゃダメだよ!」
肌に触れる部分が水色のジェル状になっている吸熱剤を
「どうして、こんな……。ほら、シャーペンも置いて、せめて横になろう」
少女に握られた筆記用具を取り上げようと伸ばされた少年の右手は、簡単に引き抜けるだろうと予想していた病人の持ち物が、強く握り込まれて動かせないことにたじろいだ。二度、三度と試してみても、自身に爪が刺さるほど強く執着した
「私には、これしかないの」
少女の指先に張り巡らされた毛細血管のいくつかが千切れ、短く切り揃えられた爪の先を、浅く鮮やかに湿らせる。
「こんなことすらできなかったら、繋がっていられない」
——家族とのよすがは、もう、ここだけ。
部屋が、
「ぼくは」
彼女よりも一回り以上大きく成長した
「ぼくはさ。あすちゃんには、あすちゃん自身のことを、もっと大事にして欲しいよ」
爪の際、親指の背が、拳の側面に触れる。岸辺に乗り上げたさざ波を
「
朝の
「元気になったら、ぼくだって、いくらでも追い上げに付き合うよ」
だけど。
息継ぎをするために区切られた会話の続きを探し、顔を上げた
「辛そうなのは、どうしても、見たくないんだ」
——どうして、おとが泣くの。
少年の目元は乾いていた。けれども、
だのに、四捨五入すれば二十歳にもなる今、外部の誰にも
——それじゃ、まるで。私のせいで、泣いているみたいじゃない。
涙のない泣き顔の理由を
「ちゃんと休んでからの方が、効率もいいしさ」
無意識に緩んでいた右手から、固く握りしめていたはずの筆記用具を
――――――
「
「熱が下がってから、すっごく頑張ってたもんね」
本人よりもしたり顔で目を扇形にするウルフカットの女生徒をはじめとする三人組が見上げているのは、本校舎の東側、普通教室に面した廊下へ設置された、大型の電光掲示板だ。先日実施されたばかりの中間試験の結果を
「中々いいスタートを切れたみたいじゃないか」
「あ、お
「おはようございます、
女生徒たちが振り向いた先にいたのは、
「ヨネはもう少し頑張らないと、友達に置いて行かれるぞ?」
「げげえ……もうちょっと褒めて欲しかったっス」
「
「
食堂で早々に
「今後も、期待している」
微笑む彼を至近距離で目の当たりにした
――まだ、本調子じゃないのかしら。
熱がぶり返したものと解釈した
「……君が、
「二人が
「一点はどこで落としたんだ?」
「あはは……。英作文の最後、『members』に『s』を忘れて……」
「
「見直しは念入りにな」
「はい。次からは」
ホームルームが間もなく始まることを告げる録音が、学校の敷地全体へと響き渡る。五分後に備えて散った彼らは、互いに軽く手を振り合ってから、それぞれが籍を置く教室へと吸い込まれていった。
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