記録検討
戸籍を読むだけで色々なことが分かるもんだ、と相川はベテランの調査官に教わったことがある。実際、戸籍を読みながらジェノグラムを書き起こすだけで、その家族のことが大分つかめるような気が相川はしている。その例に漏れず、久方ぶりの失踪宣告についても、相川はジェノグラムを書き起こしている。男性を四角、女性を丸で示し、それぞれの関係を色々な線で繋いで示していく。
不在者は、認知されていない非嫡出子。その後の養子縁組もされていない。生まれは北陸地方、従前戸籍の本籍も北陸地方にあるので、おそらく母方の家系が北陸にあるのだろう。戸籍附票を見ると、不在者が自宅に帰らなかったという日からおよそ一年ほどで、裁判所管轄の地域に転居している。申立人が住民登録を確認しようとしたところ、居住実態が確認出来なかったとの理由で職権消除されていたことが確認出来たようだ。申立書と同じ柔らかく几帳面な字が書かれた付箋が、戸籍附票に貼られている。
不在者の妻は、二女とある。生まれは近畿地方で従前戸籍の本籍も近畿地方にある。出生届は父が出しに行ったとある。父方母方共に近畿地方に家系があったのだろうか。戸籍附票の住所は婚姻時から移っていない。隣県の、中心からは少しはずれた、北の方の都市にある。住居表示を見るにおそらく一軒家だろう。今年の初めに亡くなっており、死亡届は失踪宣告の申立人が提出している。
失踪宣告の申立人は、不在者の娘。二人姉妹の長女である。出生届は母が出しに行ったとあり、受け付けた役所は不在者の妻の従前戸籍のある土地の役所だ。不在者は当時仕事か何かで忙しかったのか、それとも、何か家庭で不和があったのか。戸籍附票を見ると、十九歳になる年の四月に転居している。進学か就職のためだろうか。
申立人の妹、不在者の娘、二人姉妹の二女は、申立人より五歳年下である。出生届は、申立人と同じく、母が出しに行ったとある。受け付けた役所も同じである。家庭の雰囲気は大きく変わってはいなかったのだろうなと、相川は想像する。戸籍附票を見ると、申立人と同様に、十九歳になる年の四月に、申立人と同じ住所に転居している。母を実家に残して姉妹二人で一緒に暮らしていた、ということだ。その背景にどのような経緯があったのか、母子関係は、姉妹関係はどうだったのか。考え出せば幾らでも可能性はあるが、相川はひとまず、現実的な問題から取りかかることにする。つまり、誰を調査の対象にするかということだ。
申立人は調査対象から外せない。存命であれば不在者の妻には話を聞きたかったところだが、亡くなっている。もしかすると、不在者の母の死亡が失踪宣告の申し立てにつながっているのかもしれない。よくある、相続に関連して失踪宣告を申し立てるパターンだ。そのあたりのことは申立人に確認すれば良いだろう。あとは、申立人の妹を調査対象とするかどうか。たとえば、念書のようなものを持ってきてもらえれば意思確認に代えられるかもしれない。実際、弁護士が代理人についていたり、司法書士が書類作成に携わっていたりするケースだと、申し立ての際にあらかじめ申立人以外の相続人の念書が添付されていたりする。しかし、それで良いのか。互いに十八歳で家を出て、同居している姉妹。姉妹の仲は悪くないのかもしれないが、家族関係は実際のところどうだったのか。ひとりだけ、母親と実家に取り残された数年間を申立人の妹はどう過ごしたのか。そう考えている自分に気が付いて、相川は苦い気持ちになる。取り残された、という言葉を使っている時点で、その生活が良くなかったものだという評価を下してしまっている。悪い癖、職業病だと思いながらも、一度生まれた疑念は振り払えない。とりあえず、申立人には来てもらって、それから、申立人の妹に来てもらうか、書面照会などで済ませるか、検討することにする。ジェノグラムを書き起こした紙の隅に調査方針をそうメモして、相川はシャープペンシルを机に置いた。
「相川さん、ちょっといい?」
頭上から声が聞こえて顔をあげると、藤見が記録を片手に立っている。もう片手にはスケジュール帳を持っているので、何か打合せだろうかと、相川は「はい」とうなずいて自分が広げていた記録を机の端に避ける。空いたスペースに藤見が記録を置くので、相川は膝の上にスケジュール帳を開いた。机に置かれたのは調停事件の記録だ。
「ちょっと共同調査で頼みたい件があって。二週間後に入れようと思うんだけど、大丈夫そうかしら」
藤見にそう言われ、相川は、スケジュール帳と先ほど書き起こした失踪宣告の調査方針のメモとを、交互に見やる。調停の立ち会いや後見関係の調査が入っているが、主担当ではない共同調査ならば入っても問題なさそうだった。そのため「大丈夫ですよ」とうなずいて、机に置かれた記録の表紙を触りながら答える。夫婦関係調整調停、所謂離婚調停だ。共同調査の方の日程が決まれば、失踪宣告の申立人との面接の日程も早々に決めてしまおうと、相川は続きの相談をうながすべく、スケジュール帳を片手に立ち上がった。
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