申立人調査
電話で話した印象は、年相応かそれ以上に落ち着いた女性、という感じだった。面接の日に持ってきてもらうもの、面接を行う趣旨、事前に照会書や案内の文面を送付するための住所の確認、すべてつつがなく進んでいった。時折、メモを取るためなのか、電話の応答が途切れ、丁寧な口調で質問があった。
ただ一つ、相川が気に掛かったのは、申立人の妹について尋ねたときの申立人の反応だった。それまでやりとりが詰まることなく続いていたのに、「妹さんに対しても何らかの形で調査を行う可能性があります。人によっては、調査に一緒に来られる場合もありますが、どうされますか」と相川が尋ねたとき、申立人はたっぷり十秒は沈黙した。相川が「藁山さん?」と再度問いかけることで、ようやく「ああ、すみません」と、それまでよりも少しつまり気味の声が聞こえてきた。そうして、「妹は、たぶん一緒には行きません」と、更問いを許さないきっぱりとした調子で告げられ、相川は「分かりました」とだけ答えた。電話のやりとりの中で、あれだけが異質だった。
失踪宣告の事実の調査なのだから、申立人姉妹が今どのように暮らしていて、その関係がどうかは、調査の主軸にはなり得ない。それでも、相川にはどうしても気に掛かった。
約束の日時に現れたのが、申立人と思しき女性一人だけだったことで、相川の引っかかりはより強まった。白いブラウスに長い丈の茶色のスカート、明るい黄色のカーディガンが目を引いた。藤見には「レモンイエローっていうのよ」と言われ、沼田には「シトラスイエローじゃないですか」と言われる。それらは明るい黄色と違う色なのだろうか、と疑問に思いつつ、相川は記録とスケジュール帳、色違いでクリアファイルを何枚か、二つ折りでA4サイズになるクリップボードを風呂敷の上に載せる。記録の表紙の名前を見て、これからの面接の件のものに間違いないことを確かめて、風呂敷を包む。対角線同士の角を結ぶだけだ。
「それじゃ、調査行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
「電話来そうな件ありますか?」
「たぶんないかな。急ぎだったら呼んでもらって構わないと思うから」
相川と沼田は二人で一つのダイヤルイン番号を共有しているので、どちらかが席を外すときに掛かってきそうな電話がないかを確認するのは、習慣だった。二人とも居ないときには藤見が電話をとる。沼田がうなずいたのを確認して、相川は風呂敷包みを持ち上げ、包みの上にペンケースを乗せた。事務室を出てすぐ左の調査室の扉を、三回ノックする。風呂敷包みを落とさないようにバランスを取りながら、ドアノブを回してドアを押し開ける。
申立人は、窓を背にした奥側の席に背筋を伸ばして腰掛けている。空いている隣の椅子には、淡いグレーのカバンが置いてある。机の端に、相川が一旦部屋をはなれるときにはなかったクリアファイルが置いてあった。中の物の厚みで、ファイルの面がたわんでいる。相川は「お待たせしました」と声を掛けながら、机の上に風呂敷包みを置いて、椅子を引き、腰掛ける。申立人は相川の一連の動作が終わった後、軽く会釈した。
「今日も暑いですね」
相川が無難な話題を投げかけると、申立人は「そうですね。ここいらは盆地だからか、電車を降りた瞬間から蒸し暑くて、びっくりしました」と少し目元と頬をゆるませながら応じる。肩の力も抜けたのか、幾分か背中が丸まり、椅子に深く腰掛けているようだ。いつまでも探りを入れるような雑談を続けていては調査も進まないので、相川は風呂敷包みを開きながら、話し始める。
「本人確認、は先ほどしましたので、まずは手続きについての説明から始めたいと思います」
「分かりました。よろしくお願いします」
「といっても、ご自身で調べられたか、申し立てのときに聞かれたかの内容を、もう少し詳しく説明するだけなんですけどね」
相川がそう言うのを、申立人は軽く頷きながら聞いている。それを見つつ、相川は、クリップボードを開いて、クリップで留められた白紙が見えるようにしてから、クリップボードを申立人と自分の間、机の真ん中辺りに置いた。ついで、ペンケースを開いて黒と赤のボールペンを取り出す。黒のボールペンを右手で持って、頭をノックしてペン先を出した。白紙を横長に見たときの左側に、縦書きで、「失踪」と記す。
「失踪宣告というのは、生死が七年以上不明な人について、死亡したと見なしましょう、という仕組みです」
相川は、失踪、という文字の右横にボールペンの先を置き、右に直線を引いて、矢印にする。矢印の上に「7年以上」と、矢印の下に「生死不明」と書いて、矢印の先に「申立て」と書いた。
「今は、あなたがあなたのお父さんについて失踪宣告の申し立てをした、という状況です。申し立ての後、まず書記官が、役所などに色々な照会調査をします。主には、運転免許の履歴や、犯歴です」
申立て、という文字の下に「照会調査」と書いて、書き終えたところから短い矢印を書く。相川が申立人の様子をうかがうと、申立人はじっと紙の上の説明を見ているようだった。
「照会調査をしても特に情報が得られなかった場合、あるいは、情報が得られたとしてもそれが七年以上前のものだった場合、次は事実の調査を行います。この事実の調査を行うのが、私たち家庭裁判所調査官です」
矢印の先には「事実の調査」と書いて、その下に、少し文頭をずらして「面接調査」「書面照会」と並べて書く。それから「面接調査」の文字をぐるぐるとボールペンの描く線で囲った。
「今日は面接調査のためにお越しいただいています。申立人であるあなたからお話をうかがって、申し立ての理由、不在者が失踪するまでの経緯や、失踪した日時や場所、それから、七年以上生死不明といえる事情をお聞きしていきます。場合によっては、あなた以外の関係者にも面接を行ったり、手紙をお送りして意向をおたずねすることがあります」
説明しながら相川の頭を過ぎるのは、戸籍で見た申立人の妹のことだ。今日、申立人は一人でやってきている。果たしてその妹まで別で呼んで話を聞く必要があるかどうか、申立人との調査であたりをつけたいところだった。そうした考えとは別に手を動かして、「申立て」の文字の右横から長めの矢印を書く。矢印の先には「公告」と記した。
「調査の結果、失踪を宣告するのが相当だと裁判所が判断した場合、公告を行います。公告する内容は、不在者の氏名、最後の住所、不在者が生死不明になったといえる日にちです。そうした内容を、官報や裁判所の掲示板に掲載して、不在者やその消息を知る人から反応がないかを3ヶ月待ちます」
幾分か小さめの文字で、「氏名」「最後の住所」「生死不明の日にち」と、「公告」の文字の下に並べて書く。続けて、「公告」の文字の横から矢印を引いて、矢印の上に「3ヶ月」と、矢印の先に「失踪宣告」と書いた。
「三ヶ月間、誰からも申し出がなければ、そこで失踪が宣告されます。つまり、不在者が生死不明になったと言える日にち七年が満了した日から、不在者を死亡したと見なすことになります。
以上が失踪宣告についての説明ですが、何か、ご質問はありますか」
申立人の視線が、紙の端から端までゆっくりと動く。もう一度説明を最初から思い出しているのだろうと考えて、相川は申立人の反応を待った。申立人は頭を動かすことなく、一重の丸い目だけを動かして紙の上の説明を読んでいる。何度目かの往復の後、申立人は視線を相川に戻して、口を開く。
「今日の調査の後、また裁判所に来なければいけないことってありますか」
「そうですね。今のところはなんともいえない部分もありますが、少なくとも、公告をする前には、そのための費用を納付していただく必要があるので、一度こちらに足を運んでいただくことになると思います」
相川は、芯を収めたボールペンの先を「公告」という文字の上に載せて、そう説明する。申立人は「そうですか」と呟いて、頬を緩めて目を細め、唇の端を少し持ち上げて笑みを作った。
「八百円ぽっちで人が殺せるわけじゃあないですよね」
それもまたただの呟きのようで、到底、相川に聞かせるために言っているようには思われなかった。事実、申立人の目は相川には向いておらず、紙の上のどこか一点を見つめているように見える。話し掛けた方が良いのか、相川は少し迷って、何も反応しないことに決めた。
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