僕らを見守る不思議な声
――入り口にいる。泣きそうだから早く行ってあげて。
こんな風に幻聴が聞こえてきたのはこれで二度目だった。
一度目は確か修学旅行のとき。
――迷子の子がこっちに来る。そこで待ってて。
引き止められた僕は、気のせいだと思いつつも言うとおりにした。なぜか信じてみたかった。
僕は霊や宇宙人を信じているわけじゃないけれど、いたらいいなとは思ってる。その存在を完全に否定してしまうと、そこから何も想像を膨らますことができなくなるから。僕らの知らないところで彼らは生きている、そう思えたほうがきっと楽しい。
メンバーに頼んでその場に留まっていると、小道から本当に迷子が現れたから驚いた。一人で心細かっただろうに、月乃さんはなぜか楽しそうだったのを覚えている。
さっき聞こえた声は以前のそれと同じだ。疑う必要もなく、僕はまっすぐ会場の入り口へと向かう。
夏休みになり、今日は月乃さんと二人でアニメのイベントに来ていた。目が回るほどの雑踏をすり抜けながら、広い会場を小走りで進んでいく。
月乃さんは方向音痴だから迷子になることは想定内だったが、トイレくらい大丈夫だろうという考えが甘かった。カバンを預かったせいで、彼女のスマホもここにある。
地面を蹴るたびに、彼女のカバンについたストラップがカチャリと揺れる。太陽モチーフのそれは彼女が大切にしているものだった。
なんで『月乃』なのに月じゃないの? いつだったかそう聞いたことがある。彼女は慈しむようにストラップを撫でながら、「最後だからってね、お別れの前に親友が私のために選んでくれたの」と答えてくれた。最後、という言葉が気になったが、その微笑みがなんだか寂しそうで結局聞くことは出来なかった。
付き合い始めて一ヶ月が経った頃、彼女がひどく落ち込んでいた時期があった。理由は詳しく教えてくれなかったが、ストラップをずっと握りしめていたのを覚えている。きっとそれには見た目の魅力以上に、大切な思い出が詰まっているんだと思った。
僕がもう少し頼りがいのある人間だったら、話してくれたのだろうか。
「月乃さーん!」
呼びかけると、声のとおり目元を腫らした月乃さんが駆け寄ってきた。見たところ今回はかなり心細かったらしい。
こみ上げる緊張を唾と一緒に喉の奥に押し込むと、勢いをつけて僕は彼女の手を握った。
「こ、こうしてれば、はぐれないから」
う、うん、と視界の外で彼女が頷く気配がする。ずっとこうしたいと思っていたが、このタイミングでよかったのだろうか。身体が異常なほど熱い。手汗が急に気になりだす。
「あ、明日見くん、よくわかったね、私の場所」
「どこかから声が聞こえてきたんだよね、あっちにいるよって」
恥ずかしさをごまかしたくて、わざと本当のことを言った。冗談として受け取ってくれるだろう、そう思った。
「えっ、」
彼女が急に止まったせいで、引っ張られるように僕の足も止まる。長い睫毛で縁取られた双眸が、驚いたように見開かれている。
それって……。そう彼女が呟いた瞬間だった。
――その手を離しちゃダメだよ、月乃。私は今度こそ本当に消えちゃうけど見守ってるからね。バイバイ。あなたの全てをずっと愛してるよ、月乃。
「ほら。また聞こえた」
声の主を探すように周囲を見渡すと、彼女は信じられないような表情で僕を見た。さっきよりもさらに充血した瞳が僕を貫く。
「うそ、明日見くんにも聞こえたの?」
「うん」
そう頷いた途端、彼女が声を上げて泣き崩れた。慌てて肩に手を回すと、顔を覆った手の向こうから微かに声が聞こえてきた。
「私も、私も愛してる」
泣きじゃくる彼女の手を引き、近くのベンチに座らせた。手渡したハンカチで目元を拭うと、一瞬で黒いシミが出来る。
「ちゃんと、陽ちゃんの言葉だったんだ」
嗚咽混じりに呟く彼女は、後悔しているように見えた。だけど、同時にどこか喜んでいるようにも感じられた。震える彼女の小さな背中をさする。
「明日見くんに聞いてほしいことがあるの」
「何?」
「私にはね、大切な親友がいたの」
声にならない声で、だけど必死に彼女が思い出を紡いでいく。一言も聞き逃してはいけないような気がして、僕は寄り添うように耳を近づける。
彼女の手の中には、太陽のストラップが強く握りしめられていた。
陽炎の熱は伝わらない たまごなっとう @tamagonattooo
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