彼女の中にいる私
自分が空想の存在だと気づいたのはいつだっただろう。
三年前の三月、まだ中学二年生だった月乃によって私は生み出された。
彼女はいじめられたりはしなかったが、学校という場所は一人の人間に対して厳しかった。何かとグループを組まされ、同級生が仲間や恋人と楽しそうに話している光景を毎日に見せつけられるのは、彼女にとって苦痛なものだった。だから月乃は寂しさを埋めてくれる存在を欲した。そして私が生まれた。何でも理解してくれる唯一の友達として。
きっとお人形遊びの延長なのだろう。幼い頃の月乃はぬいぐるみを使って、よくおままごとをして遊んでいた。名前と役割を決めて、その中で彼女はいつもお姉さんだった。
こんな風に出会う前の過去を知っているのは、私が彼女の記憶を共有している理由に他ならない。
だからなのだろう。彼女は私の言葉を素直に信用してくれない。
昔からそうだった。月乃は否定的な言葉はすぐに納得するくせに、私が褒めたりすると冗談として受け流そうとするきらいがあった。それはきっと頭のどこかで「自分に都合のいいことを陽に言わせているだけ」と思っている節があったのだろう。私が月乃に対して口が悪いのも、彼女が何かと自分を責める傾向にあるからだ。
月乃の自演ではなく、私自身の気持ちだと告げることが出来たらどれほどよかったか。だけど、私の言葉が私のものであることを証明したくはなかった。自分には何もないって知りたくないから。
「たぶんさ、彼氏とか関係なくて私達にはもう時間があまり残ってないんだよ。私だって高三になる歳になったし、はっきりとはわからないけど、たぶんもう今までみたいに一緒にいられないと思う。陽ちゃんだって気づいてると思うけど」
月乃の周りに人が増えてから、彼女が私を必要とする時間は減りつつあった。彼女のイマジナリーフレンドとしてそれは喜ぶべきことだ。嬉しい気持ちは確かにある。
でも、受け入れられない。私は月乃の中でしか生きていけない。彼女が私の存在を認識しなくなった瞬間、私はこの世から消えてしまう。月乃のそばにいられなくなる。
諦めたように力を失った腕がテーブルの上にだらりと落ちる。その手を月乃が両手でふわりと包み込む。
彼女の肌はすべすべと柔らかく、ほのかに伝わる体温がずっと好きだった。
だけど、私の体温は彼女には伝わらない。
自分の最後を悟りうつむいていると、視界の端にちらりと派手な赤色が見えた。もぞもぞと月乃が私の指に自身の指を絡めようとしている。その先端が艶やかな赤に染まっていた。私がつけているマニキュアと同じ色だ。私達の指が恋人繋ぎみたいになると、十本分の赤が交互に重なった。
「……マニキュア、塗ったんだ」
「あっ、気づいた?」
声を弾ませる月乃に、私は思わず口を噤んだ。正直、お世辞にも似合ってるとは言えなかった。美人というより可愛い、少女趣味でおっとりとした雰囲気を纏う彼女の中でその色は明らかに悪目立ちしていた。
「それ月乃の趣味じゃないでしょ。彼氏に言われたの?」
ここにきてまた懲りずに嫉妬なんかしてしまう。もう彼女は私のものではないのに。すねたように唇を尖らせると、月乃はきょとんと目を丸くした。
「いや何言ってんの? 見てわかるでしょ。陽ちゃんの真似だよ」
「真似? なんで」
「なんでって、そりゃあ陽ちゃんは私の憧れだからだよ」
当たり前のことのように言い放つ月乃に、心臓がドキリと跳ねた。他意のない素直な言葉に全身に痺れが走る。
月乃にはこういうところがある。好意を伝えることに一切の躊躇がない。彼女が平然としているから、余計に自分の動揺が浮き彫りになるようで顔に熱がこみ上げてくる。
「私、ずっと陽ちゃんみたいな女の子になりたいなって思ってたの。この髪型だってそうだよ。今まで長いのが当たり前だったから緊張したけど、ばっさり切ってもらった」
「それも彼氏の好みかと思ってた」
「違う違う。もし彼氏から何かお願いされたらそのとおりにするのもやぶさかではないけど、私の目標はやっぱり陽ちゃんだから。あっ、陽ちゃんみたいにインナーカラーでも入れてみようかな」
シャンプーのCMみたいに気取って髪をなびかせる月乃がおかしくて、つい相好を崩す。
昔の髪型のほうが好きだとか思ってたくせに、『憧れ』の一言でどうでもよくなってしまう。結局私は寂しかっただけなのだ。現金な奴だ。
「月乃には月乃の良さがあるんだから、私の真似なんかしなくていいよ。今のままでも充分似合ってる」
「えへへ、ありがと!」
はつらつと破顔する月乃に、思わず息を呑んだ。可愛い。それ以外のことをなにも考えられなくなる。
彼女はこんな風に笑えるようになったのか。私がいないところで変わっていくのはやっぱり悲しいけれど、必ずしも悪いことばかりじゃないなと一瞬思ってしまった。悔しい。
「や、やけに素直じゃん。褒められても否定してきたくせに」
「そうね。私なんかが褒められるわけないー、ってずっと卑屈だったもんね。お世辞って決めつけたり、バカにしてる? なんて変に噛み付いてみたり。たぶん認めるのが怖かったんだと思う。弱いままの自分で居続けたほうが楽だから。陽ちゃんも呆れてたでしょ」
「ちょーめんどくさかった」
「正直すぎない? でも少しずつ自分を認められるようになったんだ。相手からの好意は素直に受け取りたいし、ちょっと恥ずかしいけど自分のことを肯定出来るようになった。ほら、この陽ちゃんヘアだって結構似合ってると思うの。どう? 可愛いでしょ」
「まあそうね。私ほどじゃないけど可愛いよ」
「こんな風になれたのは陽ちゃんが私を見放さずにずっと一緒にいてくれたおかげ。たまに卑屈な私が顔を出すこともあるけど、実はさっきの言葉もめっちゃ嬉しかったよ」
「さっきの言葉?」
「私は全部愛せる――ってやつ」
今すぐ消えたいと思った。いや本当に今消えたら困るが、恥ずかしくて死にそうだ。興奮していたときの言葉を冷静になった後蒸し返すのは人道的にどうなのだろう。何らかの罪に問われてもおかしくないはずだ。
「そ、そんなの覚えてない」
「照れてる。可愛い」
「生意気言うようになったじゃん」
「これも陽ちゃんの真似ー」
クツクツと肩を震わす月乃を見ていたら、反論するのも馬鹿らしくなってきた。
月乃が変わったのは彼女の努力によるものだ。だけど、彼女が私のおかげというならそういうことにしておこう。
私が卑屈になっていたら示しがつかない。
月乃は立ち上がると、私の目元にハンカチを押し当てた。
「陽ちゃんはほんと私のことが好きね」
「う、うるさい」
「私も陽ちゃんのこと好き」
調子に乗りやがって、コイツ。睨みつけようとするも、勝手に口角が上がって失敗した。
月乃はハンカチを内側に折りたたみポケットに入れる。シミなんてつくはずがないのに。こういう細やかな仕草の一つ一つに彼女の私に対しての気持ちが伝わってくる。
「よし。これからおでかけしよ。いつ陽ちゃんがいなくなるかわかんないし、それまでずっと一緒にいるんだ」
「絶交はどうなったのよ」
「お別れ会も済んだから、絶交終わり」
「はあ? 絶交の意味わかってる?」
「友達いなかったから知りませーん。あっ、せっかくだから双子コーデしてみよ。髪型も一緒だしやってみたかったんだよねー」
ほら早くと月乃に急かされ、しぶしぶ立ち上がる。弧を描いた唇から、愉悦混じりの息が漏れる。
「断ったって無理やり連れて行くんでしょ。ほんと勝手なやつ」
私は月乃のイマジナリーフレンドだから拒否権がない。彼女が行くと言えば、私もそのとおりに動く。
でも彼女とずっと一緒にいたいと思うこの気持ちは、月乃の空想ではなく、私自身のものであってほしいなと願った。
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