第2話:知ってる異世界とは変えてみるか!

 私は普段、心の時を止めている。

 厨二病でもなんでもない。あえて表現を直接的に変えるなら、私は壊れた心をそのままにして毎日の生活を送っている。


 クローゼットを開けて、制服を着て、高校までの道を歩く。座る。三限まで教科書を眺める。弁当。四限と五限を受けたら帰宅する。夕飯。お風呂。そして、自分の部屋の机に座る。その間何も感じない。無味無臭。乾燥。

 楽しくなったり嬉しくなったりしないのは別に良い。でも、悲しみや寂しさがあってもいいはずなのに、何もないのはおかしい。理性ではそれが駄目だと分かっているのに、心は動かないままだ。

 私は絶対に死なない。だって、みんなに迷惑じゃん。高層ビルから飛び降りたら、そのビルは事故物件になってしまう。樹海で首を吊ったら、その樹海を綺麗にする人達が大変になる。数々の本を読んで、「死」が何も生み出さないどころか迷惑というかたちに堕とされることを知った。

 それに……私には、小説がある。まだ無題で途中の小説が。プロットも書かずに勝手に進んでいく、なんの教訓もない、気ままな冒険物語が待っている。書き終えるまでは、死ねない。


“プロットを書かないのはありえないでしょ。小説家をする気あるの?”

 その声が聞こえてくると同時に、私の心は動き出す。そうだ、もう執筆の時間だ。これから、あの三人の冒険に浸れる時間がやってくる。

“ねえ、それじゃあいい小説は書けないよ?”

 分かってるよ。分かってるってば。私にはもう、良い小説なんて書けない。プロットも設定もきちんと書けない私には。人の心を正常に読めない私には。


 どうせこの作品はボツになる。でも、それでもいい。

 少しだけでいいから、心の動く時間が欲しい。


 ーーー


「知っている異世界とは違うわねぇ」

 草原ではスケートボードは使えない。あと意外と重い。重いものを持つのは嫌だけど、捨てておくのも嫌だった。横で濃いオレンジ色の空を見上げて歩くニコリさんの呟きには、そうだよね、と思う。思っていた異世界と違う。もちろん風景もそうなんだけど、まだ何かが、どこかが違う気がする。

「そういえばサンマちゃんはずっとこの世界にいるのかしら?」

「ううん、一回テンセイしたあとでブラックホールでここにきた。けっこう最近」

 先を行くサンマちゃんが首だけこちらに振り返った。

「ちなみにイチカ、ここ酸ソないからね」

「え!?」

 ああ、確かに! それか違和感その一は!! ほかの異世界では酸素があるみたいになってるけど、そうだよね、酸素あるの当たり前じゃないよね! え、でもじゃあ私呼吸出来なくない……あ……ぐるじ……

「マ素でこきゅーするんだよ」

「っは!ごほごほごほっ」

 呼吸できるんかーい!!

 息を吸い直している間に、後ろのニコリさんがいつの間にか私の横に並んでいた。

「マソ?」

「マリョクのモト。このせかい、全部「魔素」だカら」

 魔素。サンマちゃんの言葉を脳内で漢字に変換する。

「なんでもかんでも「魔素」でできてて、こきゅーもそれでするの」

 サンマちゃんは立ち止まった。もう街の入り口についたみたい。サンマちゃんは前に向き直ると、さっきやったみたいに、ぴっと何かを指さす。猛スピードで指の先を視線で追った。少し上の方に、ゆらゆら揺れる陽炎みたいな球体がある。

「フ通にあつめたラああなる。あれをとりコんだら「魔力」になる」

「魔力……!」

 私ではなく、ニコリさんが叫ぶ。驚きに嬉しさを孕んで。さすがデスゲームの主催者、不自然すぎるくらい普通の驚き方だ。

「ふふふ、どんな「使い方」ができるのかしら……」

 前言撤回、ニコリさんはしっかりしたデスゲームの主催者だった。私は心なしか速くなっているニコリさんの歩き方に合わせながら、サンマちゃんに尋ねる。

「ねえ、魔力って、私達でも使えんの?」

「アタリマエ。魔素をみつけテ魔力にして、魔力をつかって「魔法」をつかう」

 ドクン。胸が一度大きく鳴ったような気がした。思わず胸を抑える。魔法。私がさんざん小説に書いた、誰もが一度はうらやむ手段。小説家だから、ブラックホールとか魔素とか、別に変なことがあっても驚かない。サンマはともかく。だけどさ、私……

「私、ずっとずっと、魔法使うの夢だった!!」


「来たね、キミたち」

 いきなり私の髪が勢いよく後ろに引っ張られた感覚がした。強風が吹いたのだ。それが止むと、サンマちゃんの身が固くなった。ニコリさんが息を吸う。私は目を細めた。正面に誰かが立っている。

「折角だけどキミたちには」


「ふはははは、小説家わたしの前に現れるとは、ここが貴様の運の尽きよ!!」

「あら、新たな参加者かしら? 歓迎するわ、ようこそデスゲームへ」

「カエレ! キエロ!! ヘンタイ!!!」


 いっけなーい、ボケが被っちゃった! 見事な言われように仰け反ったのは、緑のシルクハットのお兄さんだった。すごい、ズボンは黄色で服は赤だ。信号機だ。じゃあもしかして、シルクハットは「青」なのかな?

「帰ろうかな」

「えーと、ふざけましたごめんなさい、誰?」

 シルクハットのお兄さんはまず口角を上げ、シルクハットの縁を掴んだ。服の裾が上がり、ひらひらと揺れ始める。途端、辺りの空気が……魔素が淀んだ気がした。私にもわかった。すごい。瞬時に壊れかけていた空気を取り戻した。混沌から恐怖へ。テキトーな私の心にも、一抹の不安を運んでくる。

「……ボクは異世界屋。キミたちをここまで連れてきた張本人だよ。キミたちに話があってね。ボクに着いてきてもらうよ」

「あら、大人しく着いていくと思う? 私たち、怪しい人にホイホイついていくほど馬鹿ではないわよ」

 サンマちゃんの隣までニコリさんが進み出る。あれー、ニコリさんは「敵」って認識しちゃったのか。正直まだ敵と味方のどっちなのか判別つかないけどな。サンマちゃんは少し前にいるから、表情が見えない。

「こいつ、ヘンタイ。サンマのゼンセ、全ブいいあてた」

「えっ!? 変態じゃん!!」

 変態呼ばわりされたのに、異世界屋はもう静かに笑っている。あ、この人絶対敵じゃん悪役じゃん。後ろでドン引きする私に向かって、手袋をはめた手を差し出した。

「イチカ、ニコリ、サンマ。キミたちはこの世界の命運を握る三人だ」


 目の前に、大きなブラックホールが現れた。


 ーーー


“下手くそ”

 ねえちょっと、ヒトが余韻に浸ってるときにさあ、シンプルで何が悪いか分からない指摘やめてくれる? ただの悪口はダメだよ流石に。

“魔法の設定、ちゃんと考えてないよね?”

 うん、もう開き直るよ。書きながら付け足した。世間は詠唱するか否かで揉めているところだけど、正直それよりも内面が描きたくてさ。

“言い訳はいらない。登場人物の内面もかけていない。こんな小説は”


 ーーダン!


 現実に戻ってきた。痛みが腕を伝わって、脳に届く。机に拳を打ちつけたことに気づく。目の前には、異世界屋が現れたところで止まっている原稿があった。

『私、ずっとずっと、魔法使うの夢だった!』

 ねえ、イチカ。それ、夢だからね。現実じゃない。物語だから使えるだけで、現実で使えるようになることなんて天と地がひっくり返るのと同じ確率でありえないから。でも、冒険を楽しんでいる「主人公別の私」に現実を見せるなんてあってはならない。少なくとも「転」の部分までは、楽しく冒険を続けてほしい。

 もう寝よう。いや、お風呂が先か。今日はまだお風呂に入っていない。机から離れる。クローゼットの扉を開ける。それと同時に、感情がどこかに沈んでいくのが分かる。心の時はゆっくり止まり、世界の時は機械的に進んでいく。


 クローゼットを開くと、二つに折れたスケートボードが相変わらず居座っている。

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