第5話 永遠

「先生。僕、外に出たいな」

 そうぽつりと星川少年が云ったのは、五月のことだった。彼の病は良くも悪くもならず、医者からは小康状態だと言われていた。

「いいね」

 彼が車椅子に移動するのを手伝い、それを押して中庭に出る。

 楡の木の梢が揺れていた。空は抜けるように青かった。なぜか、この景色を私は忘れないのだろうと思った。

「星川少年は、病気が治ったら何がしたい?」

「んー……野球かな。病気になる前は、友達とよくしてたんだ」

「そうなんだ」

「あいつら、元気にしてるかな」

 彼はぽつりとそう云った。彼が病気になってから、交流は絶たれたのかもしれない。そのことを寂しがっているのかもしれなかった。でも、彼はそんなことをおくびにも出さないのだ。

「また遊べたらいいね」

 上から覗き込みながら彼に云うと、彼はにっこりと微笑んだ。

「うん。その日が待ち遠しいよ」

 向こうから看護師が歩いてきた。

「あら、星川くん、外に出たのね。お天気いいものね」

 看護師は微笑んでいた。

「そちらは……お兄さん?」

 週に一度の来訪だったから、私のことを知らない看護師だろう。

「いえ、僕の恋人です」

 そう星川少年は堂々と云った。

「な、何云ってるんだ、星川少年。家庭教師ですよ」

 びっくりした顔だった看護師は、私の訂正に安心したように頷いた。

「そ、そうですわよね。星川くん、あんまり年上の人をからかっちゃいけませんよ」

「はーい」

 看護師は去っていった。

「なんであんなこと言うんだよ、少年……」

「だって、先生、僕のこと好きでしょ」

 思わず車椅子を押す手を止めた。

「な……」

「分かるんだ、僕。病気になったときから、人の顔色で何を思っているかすぐ分かるようになった。先生は僕のこと好きだけど、そう思っちゃいけないと思ってる」

 脈が激しく打ってきた。

「……星川少年、大人をからかっちゃいけないよ」

「そうやって、自分の気持ちをごまかすんだ」

 星川少年は憮然とした顔を私に向けた。

「僕はちゃんと先生に伝えたよ。逃げるばっかはやめてよ」

 私は息を整えた。混乱していたが、ようやく口にした。

「……僕は、君のことは生徒だと思ってる。そう雇われたし、僕は僕の責任を果たす。だから、君に好意があるとしても、それは恋愛には発展しないし、それが大人というものなんだ」

「……ふぅん」

 星川少年は前を向いた。

「じゃあ先生は、僕とは恋人にはならないってこと」

「……そうだ」

「それでも、僕は先生のことが好きだし、これからも好きでい続けると思う」

 私はその言葉を胸に刻んだ。

「……ありがとう、少年」

 少年はひらひらと手を振った。

 次の週に病院に行くと、彼はもうそこにはいなかった。退院したのだという。彼の親から給与が振り込まれ、もう仕事は終わりだと告げられた。

 私は彼にまた会うかもしれない、と思った。その時には……私は彼の気持ちを受け入れるだろう。光差す中庭のことを思いながら、私は百合の押し花を作った。

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花と星のワルツ はる @mahunna

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