藤色メモリー

青いひつじ

第1話


これは、ひとつのメモから始まった、小さな奇跡の物語。





メモには不思議な力があると思う。

大袈裟にいえば、私はそれに一種の呪いのようなものを感じている。



私は、人が書いた字をゴミ箱に捨てるという行為ができない。書いた人を踏み躙るような感覚になるし、バチが当たるのではと思ってしまうからである。

社会人になり、メモを破って捨てる同期を見た時はひどく軽蔑した。



高校受験の時、友達から貰ったチョコレートの袋には、がんばれ!と書いてあり、嬉しい反面捨てづらいなと思った。

それがきっかけでメモを集め出した。

捨てられず集めていたのが、趣味のようになってしまったの方が正しい表現かもしれない。

全て茶封筒に入れて保管しており、今では9袋になった。



メモにはその人間が表れると思う。

また、メモを見てどんな人なのか想像するのも好きだ。


誰が見てもわかるように宛先人•日付• 差出人まで丁寧に書いたメモ、ちょっとした手紙のようなメモ、丸文字のメモ、ニコちゃんのイラストが入ったメモ。


私はどんなメモでも好きだった。

読めないグチャグチャの字で書かれたメモも、味があっていいと思う。

紙をちぎったメモもいいが、付箋に書いてあるメモがメモらしくて好きだった。



冷蔵庫から缶チューハイをひとつ取り出し、久しぶりに8つ目の茶封筒のメモを見ながら思い出に浸った。

過去のメモを見れば、いつ、どの瞬間に貰ったメモかすぐに分かった。


しかし、机に広げたメモの中にひとつ、見覚えのないメモがあった。

薄黄色の付箋に"ありがとうございました"とだけ書かれていた。



思い出した。

これは、私が書いたメモだ。







それは3年前のことだ。

庄内通駅から徒歩15分のアパートに住んでいた頃、よく近所の図書館を利用していた。


受付には、年配の女性と、アルバイトらしき学生がいた。

学生は2ヶ月に1度のペースで入れ替わっているようだった。


ある週末、本を探そうとパソコンで検索すると、番号は出てきたが、記載されていた棚にその本はなかった。

私がパソコンに向かってしかめっ面をしていると、1人の青年が声をかけてきた。




「何かお探しですか?」


「あ、このタイトルの本を探してて、検索結果ではここにあるみたいなんですけど、見つからなくて」


「では、こちらで探してみます。少しお待ちください」



話しかけてきたのは受付の青年だった。


10分ほど経っただろうか。

近づいてきた青年の顔にはすみませんと書いてあった。



「申し訳ないです。今この本貸出中で、こちらの管理ができておらずご迷惑おかけします」


とても丁寧な青年だった。



「いえいえ、そんな。とんでもないです」


「これ、もしよければ」



彼は私にひとつのメモを差し出した。



「これ、同じ作者の作品なんですけど、こないだ読んですごく良くて。お時間ある時にでもぜひ」



そこには、小説のタイトルが書かれていた。

小さめのお世辞にも綺麗とはいえない文字だったが、彼の申し訳なさが滲んで見えた。 



「読んでみます」


私はそのメモをバッグのポケットにしまった。





会社からの帰り道、21時の空っぽのバスに揺られる。

こんな日は、なんとなく小説が読みたい気分になる。


スタッフオススメのコーナーに見覚えのあるタイトルがあった。

図書館で青年が教えてくれた小説だ。私は、それを手に取りレジへ向かった。





週末は図書館へ行った。

前回探していた小説が、今日は返却されていた。

受付には、あの青年がいた。

私は付箋に、


"おすすめの本読みました。

面白かったです。"


と書いて、本と一緒に持っていくことにした。



声をかけない理由は、隣に年配女性が座っていたからだ。

彼の前は、フワフワとした女子学生がアルバイトだった。

サラリーマンが女子学生に嬉しそうに話しかけているのが許せなかったのか、年配女性は大きめの声で「ここでの私語は謹んでください」と注意した。


それ以外にもネチネチと説教しているところを何度か見かけたことがある。



年配女性が席を離した隙に、本とメモを青年に差し出した。

私たちはアイコンタクトをして、少し微笑んだ。

彼はギリギリ聞こえる声で「よかったです」と言った。




彼とはそれ以外の交流はなかった。

私は仕事に追われ、図書館へ行けない日々が続いた。

久しぶりに本の返却に立ち寄った時には、アルバイトは女子学生に変わっていた。




梅雨のシーズンに入り雨の日が続いていたが、今日は打って変わって太陽がギラギラと輝いていた。

穏やかな生活が戻ってきた私は、また図書館へ通うようになった。



入り口では藤色の紫陽花、本の匂いと雨の匂い、そしてクーラーの涼しい風が私を出迎えた。


そして、受付には彼が座っていた。

私はほんの少しだけ嬉しい気持ちになった。

恋心というよりは、偶然友達と会ったようなハッとする嬉しさだった。


特に借りたい本があった訳ではないが、あの作家の小説を持って、受付へ向かった。



「あ、お久しぶりです」


初めは私に気づいていなかったが、作者を見てユラリと顔を上げた。


「お久しぶりです。アルバイト、終わったのかと思ってました」


「今日だけ代役です。風邪ひいちゃったみたいで」


「そうなんだ」



会話はそこで終わり、沈黙が流れる。

窓の外は、雨が降っていた。



「うわ、雨」


「急に降ってきましたね」


「最悪、傘ないのに」


「あ、僕の折りたたみ傘使いますか?」


「え!いやいや、そんなの申し訳ないですよ。大丈夫です」


「大きい傘も持ってて、2つあるんで大丈夫ですよ」


「いや、でも会えないから、あなたに返却できないし」


「長年使ってるやつなんで、こんなのでよければそのまま持ってってください」



雨はどんどん強まっているように見えた。

私は彼の言葉に甘えて、黒い折りたたみ傘を受け取った。




次の週末、図書館に行ったが彼はいなかった。



「あの、先週ここにいた男性って知り合いですか?」


受付の女子学生は少し考えてから、あー彼か、という表情をして、「はい」と答えた。

彼女は、梅雨のじめじめを感じさせない爽やかな空気を纏っていた。



「先週彼に傘を借りて、申し訳ないんですが、返してもらうことって可能ですか?」



「大丈夫ですよ」




傘を受け取った時、彼に「ありがとう」と言わずに、「すみません」とだけ伝えたことが小骨のように引っ掛かっていた。


私は薄黄色の付箋に"ありがとうございました"と書いて、折りたたみ傘のベルトに挟んだ。


「ありがとうございます。お手数おかけします」




帰り道、携帯を取り出そうとした時、バッグに付箋が入ってるのを見つけた。

さっき私が書いた彼への付箋だった。 


 

「あれ、確かに挟んだはずなのに」



初めて、メモが返ってくる体験をした。

神様に自分の口で伝えなさいと言われているような気がした。


しかし結局、それ以降彼には会えずじまいで、この物語は幕を閉じた。

数ヶ月後、私は仕事の都合で隣の県へ引っ越し、今ここで暮らしている。





あれから3年が経った。

メモを片手に缶チューハイを空ける。

アルコールの力も相まってか、妙な切なさが込み上げてきた。



次の週末、私は電車に揺られ、あの街へと向かった。





改札を出て階段を上がると、真っ赤なポストが顔を出した。道路を挟んで向かい側には薬局と銀行が並んでいて、バス停の時刻表は台風の時以来曲がったまんまだ。

あの時工事していたマンションは、完工したようだ。

そこには、3年前と変わらない風景があった。



「なんか、懐かしいなあ」



私はその気持ちのまま、久しぶりに図書館に立ち寄ることにした。


建物もなにひとつ変わっていない、レンガ調の壁に大きな黒い窓が並んでいる。



1つ目の自動ドアが開き、図書館独特の本の匂いとクーラーの涼しい風が私を出迎えた。



もしあの時、私のメモが届いていたなら、今とは何か違ったのだろうか。



「いや、まさかな」



私は呟き、2つ目の自動ドアに近づいた。



向かいから、男性が歩いて来るのが見えた。


俯きながら少し早歩きで、私に近づいてきた。

避けきれなかった私の肩にぶつかり、男性の折りたたみ傘が落ちた。


黒い折りたたみ傘だった。

私はそれを拾い、彼に渡した。




「どうぞ」




「すみません。ありがとうございます」



3秒ほど目が合った。



外にはあの日と同じ、藤色の紫陽花が咲いていた。













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藤色メモリー 青いひつじ @zue23

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