第12話 中富(人を好くとはかくも厄介)


 中富マヒロは額に滲んでいた汗を拭った。

 暑いわけではない、緊張状態にあったのだ。

 和泉の母親の狂気的な感じ、弟の拒絶の言葉。


 自分でも珍しく、気分が落ちこんで弱気になる。

 よく晴れた休日の弛緩した空気から弾き出されたようだった。


 中富と森塚は黙ったまま歩いていた。

 川沿いの道に出た。車がなんとか一台通れそうな橋があり、そこで森塚が止まった。

 橋の下のスペースをじっと見ている。


「どうしたの?」

「人は死ぬ前に部屋を片付けるものなのかな」

「なんとなく気持ちわかるよ。たつ鳥跡を濁さずみたいな。そうやって気持ちの整理もつけたんじゃないかな」

「その途中で人に見られたくないものが出てきたら。家では捨てれない。となると学校に行く途中で見つからないところに捨てたかも」

「それで、ここ?」

「住宅街の外れ、人も車通りも少ない。……まぁ僕なら燃やして処分する。探してもしょうがないか」

「そりゃそうだ」


 中富の言葉に頷いて森塚はまた歩き始めた。

 死ぬ前の物の処分の仕方、そんなこと中富は考えもしなかった。

 森塚はまるで、和泉本人のように思考しているのではないか。自分を同調させている、あるいは限りなく相手に寄り添う、そんな感じだ。


 あるノートの切れ端を思い出す。

 あれも、あの叫びも和泉は処分したかったのだろうか。

 あんなものを拾ったせいで、自分はこんなことをしているのかもしれない。


 橋を渡る。中富はその欄干に飛び乗った。


「何してるの。危ないよ」

「大丈夫、私は死なない。死ぬ気なんてこれっぽっちもないからね」

「何だそれ」

 そう言いながら、森塚は何度も不安そうに下を見ている。


 そうだ自分は違う、と中富は思った。

 ひとり勝手に死んでいった和泉とは違う。そんな薄情者ではない。


「落ちたら怪我じゃ済まないかも。ほら水深も」


 中富は森塚の言葉を無視して話し出す。


「分かってはいたんだけどさ。私のしていることは褒められたことじゃない。きっと探偵が現実にいたら、下品な行為だって顰蹙を買うんだろうね」

「そうかもね」

「それでも私は」


 後ろの方で猫の鳴き声がした。中富は振り返ろうとしてバランスを崩す。よりによって川の方へ。


(あ、やば)

 足場が狭いから。もっと広ければこんな動作で転ばないはず。

(あれ?なんでこんな所歩いてるんだっけ?)


 落ちる前に手が掴まれて道路側へ引っ張られた。

 そのまま森塚と一緒に抱き抱えられた形で地面に倒れ込む。

 生きている事を意識し、息を吐き出した。右足がひどく痛み、心臓がドクドクいっている。


「いったぁ……ごめん、森塚。助かった」


 起き上がろうとしたが、森塚が離してくれなかった。


「君は、馬鹿なのか!?」


 至近距離に彼の怒った顔があった。息が荒かった。

 森塚の手は力強くて温かくて、中富はそんなことに驚いていた。

 そして何かを見つけた気がした。

 ここに自分がいて、森塚がいる。

 そんな当たり前なことを強く意識した。


「……ごめん」

「謝られてもアレだけど」


 そこで森塚は慌てて中富を離した。


「ごめん、信用ならないと思ったから」


 突然中富は涙が出そうになって慌てた。見られたくなくて迷った末に、森塚の胸に頭を押しつけた。


「え、ちょっと、中富さん?」


 何の涙だろう。死にかけた恐怖?助かった安堵?

 それとも、今さら和泉の死を実感した?

 涙は噛み殺すことができたけど、身体の震えは止められなかった。


「ちょ、ちょっと怖かっただけ!」

「普段僕をアホ扱いするくせに、中富は馬鹿だったんだな」

「でも、助けてるじゃん。死ぬ人には何もしないとか言っておいて」

「それは……君は自殺しようとしたわけじゃないし」

「止めたいでしょ!助けたいでしょ!だから死んだらダメなの!和泉くんが全部投げ出して、勝手に死んじゃったことが、私は許せない」


 感情が滅茶苦茶で、気づいたら叫んでいた。


「そうか、中富は和泉くんのことが好きだったんだな」


 落ち着いた中富はようやく森塚から離れられた。

 彼は小さく微笑んでいた。

 とても優しい笑みだった。


 そういえば森塚は人に触れるのが嫌だったはず。

 自分の為に無理してくれたのだろうか。

 それにしてはしっかり抱きしめられていた。なんだ?どういうことだ?考え出すと恥ずかしくなってきた。

 とりあえず中富は手で顔を覆うことにした。


「だからね、森塚も勝手に死んだらダメだよ。もし死んだら本当に殺してやるから」


 彼は呆れたような、少し笑ったようなため息を吐いた。

「君は難しい事を言うなぁ」


 ___



 学校の裏門近くに猫が棲みついたことがあった。親猫と子猫が三匹。

 そこは車がよく通る場所だった。


 裏門を使う生徒もそれなりにいて危なかったしアレルギーの問題もあって、生徒会の議題に上がってきた。

 保健所に相談するか、学校でちゃんと飼うか、対応の候補がでた。

 でも学校で飼うのは先生からやんわり否定された。

 事情はよくわからなかった。


 中富が飼ってくれる人を探すことを提案したら、採用された。そしてその仕事を見事に押しつけられた。

 他にも生徒会は仕事を抱えていたから仕方がないことであったのだろう。

 和泉がサポートについてくれ、飼い主募集のビラを作ったりホームページにお知らせを出したりと、それなりに面倒な仕事になってしまった。

 終わりがわからないから余計だ。


 町内の掲示板にビラを貼らせてもらう許可を二人でもらいに行った。

「これって全然生徒会ぽくないよね」

 中富は自分の提案を後悔はしないが、軽率だったと思い始めていた。


「そうだな。でも、初めて生徒会に入って良かったと思う仕事だ」

 なんでだろな、と和泉は笑っていた。

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