第8話 引き摺り込まれていく

「校舎の外で友達を待ってたの。暇だから花びらをちぎってだんだけど、ふと手を見たら花じゃなくてさ」

「うん」

「蜘蛛だったの。ちぎっていたのは蜘蛛の脚だったの。でも残り一本の脚がまだ少し動いてた。もう二度と歩けもしないのにさ。それから蜘蛛が苦手になっちゃった。あの黄色と黒のしましまも嫌い。なんでしましまさせるの?」

「……え、どうして今それを?」


 死にかけの蜘蛛は僕の暗喩でしょうか?それとも食欲減退させて弱らせるつもり?考えすぎでしょうか。

 とにかく、放課後のファミリーレストランでする話じゃないです。


「ここの黄色に黒字の看板見て思い出した」

「そうか。でも口に出す必要はないよね」


 フライドポテトとパフェが運ばれてきました。

 ハンバーグメインのファミレスだったけど夕飯が待っている僕たちは頼みませんでした。というか彼女が勝手に注文を済ませ、僕の意思は考慮外です。


「あのさ、河崎くんへの質問、いきなり僕に押し付けるのやめてほしいんだけど」

「新聞部で人の話を聞くの慣れてるでしょ」

「どちらかと言えばそれは大根部の仕事なんだ。君はあまり来ないから知らないだろうけど」

「もぉ、役に立たないなぁ。なに?なんなの?なんで死んでないの?」

「君が殺していないからだね」


 凄い死んで欲しそうなんですが……


「気になることはあった?」


 フライドポテトは僕も食べて良いのでしょうか。みんなでシェアするものというイメージがありますが。

 いえ、そういうことではないはず。河崎との会話でしょう。


 気になることだらけだった気もします。河崎は心当たりはないと言いましたが、自殺者が親しい友人にも、全くその予兆すら感じさせないことがあるでしょうか。

 いや実際はそんなものなのかもしれません。もしくは河崎が何かを隠しているのか。やはり一番は


「遺書も残していない彼が、サイコロだけ持って飛び降りた事、かな」


 中富も頷き、パフェを難しい顔で睨みます。


「そのサイコロは誰かが置いていったとか?」と中富。

「何のために?」

「それを考えてよ!」

「今の段階じゃ想像のしようもない。それに、殺人は一旦考えないんでしょ?本人が用意した、と想定して進もう」

「殺人はないとしても、自殺の原因が明るみになったら困る人はいるかも。同じグループにいるからって、実際の関係性は外からはわからないでしょ。今の私たちみたいにね」

「どういうこと?」

「今の私たちって、周りからはカップルにしか見えないよ」


 何とも恐ろしい事を言います。

 中富はにっこり笑ってからパフェを引き寄せます。一番上の苺を避けスプーンを入れる彼女は、開かずの金庫に挑む解錠師のように真剣でした。


 中富は、いわゆるマリーゴールドの五人のことを言いたいようです。


「自分たちには神がついている、みたいなことも言ってた。彼ら、つまりマリーゴールドの人たちは宗教を持ってるのかな」


 僕は疑問を口にしました。河崎は一体何が言いたかったんでしょう。

 科学が様々な事象を解き明かした現代で、人智を超えた存在を信じることは困難になりました。

 それでもそれを受け入れざる得ない光景を、彼は目の当たりにしたのでしょうか?


「ねぇ……神はサイコロを振らない。これってどういう意味かな?」

「アインシュタイン?」


 中富は首を傾げます。

「何それ?」


「確か、量子論を受け入れられなかったアインシュタインが、そういう言葉を残したんだ」

「ふーん、実際にある言葉なんだ。じゃあいい。気にしないで」


 このタイミングの発言で気にしないは不可能です。

 しかし彼女は喋るつもりはないらしいので、どうしようもない。

 そしてパフェを食べる手も止めません。

 僕はフライドポテトに手を伸ばしますが、彼女が大皿ごと引き寄せました。


「神様って聞いて、『赤い封筒』が浮かんだわ」

「最近よく聞くけど、それってなんなの?」

「知らないの?」

「大根部の言い方からすると、黒魔術とか?」

「そんな大袈裟なものじゃないって。おまじないみたいなもので、消しゴムに好きな人の名前書くとか、ミサンガ切れるまでつけるとかと一緒」


 赤い封筒に願い事を書いた手紙を入れ、それを学校近くのある祠に投函すると叶う、というものらしいです。


「みんなと話してて、あとSNSもだけど『赤い封筒』の話ばかり出てくる。誰かが『赤い封筒』で和泉くんの死を願ったって。いくら和泉くんの自殺が信じられないからって、みんなそこに流されてる。馬鹿馬鹿しいでしょ。むしろそれを自分の隠れ蓑に利用している人がいる、そういう可能性を考えるべき。そう思っていたけど」

「理性的で面白いよ。でもまじないと神が繋がるかな?」

「元々、ある伝承から始まったみたい」


 そこで僕はこの土地に伝わる、村人と神様のお話を聞きました。


「ふーん、知らなかった。まさかそれがこの万李市のいわれ?」

「妙な噂に、サイコロ。和泉くんに何かあったんじゃないかな。つまりただの自殺じゃない」


 中富と和泉、二人はどんな関係だったのでしょう。彼女がこの件に肩入れするのには、ただの好奇心以上の動機があるのでしょうか。


 そしてまだ苺がいます。最後まで残すつもりなのでしょうけど、おかげでバランスを崩しパフェはぐちゃぐちゃです。人の食事を見るのは苦手なんです。早く食べてください、苺を。


 イライラしたのでしょうか、僕は彼女を試すような問いを投げかけてしまいました。


「何かはあったんだろう。でもそれを君が理解できるかは別だ。何がその人の引き金になるかはわからない。答えを知るのは死んだ和泉くんだけだろう。中富がやろうとしている事は、そういう途方もない事なんだ。それでもやるの?」


 パフェの長いスプーンを揺らしながら、物憂げな表情を浮かべました。僕も彼女も言葉を失ったように黙りました。


「ナオ」


 騒がしい店内でも、はっきり呼ばれたのがわかりました。

 誰の声か、顔を上げるまでもない。

 そんな呼び方をするのはひとりしかいないから。


 僕らのテーブルのそばに立った久留間亜衣里が、いつもの無表情でこちらを見つめていました。

 相変わらず、どの場にもそぐわない美しさです。

 長い髪は少し茶色がかっていて、同じ色で切長の目は、引き込まれそうな感覚を与えます。


「え……」

 中富が戸惑った声を出します。

 久留間もマリーゴールドのうちの一人。なんてタイミングで現れるのでしょう。


 笑いたくなんかないのに、僕は笑みを浮かべます。

 遠くで何かが割れる音がしたが、僕たちは誰も動きません。


「こんなところで会うなんて驚いた。家、反対方向なのに」

「大した距離じゃないよ」

「そう。わたし邪魔してる?」

「いいや」

「ちゃんと夜、寝れている?」

「もちろんさ」

「よかった」


 久留間が微笑みました。

 表情の少ない彼女が笑うと、蠱惑的で妖艶になるのです。


 「じゃあまたね」


 ふりふりと手を振って離れて行きます。

 久留間の戻っていった席には四人の男女がいて、こちらを見ているようです。


 僕はぼんやりと食べかけのパフェを見ました。もう溶けていて、ドロドロした物体になっています。

 それは気持ち悪さと同時に、性的なものにも見えました。


「あの人と知り合いなの?」

「ああ、むかし小学校が同じで」

「でもマリーゴールドってみんな同じ小学校でしょ?君も?」

「久留間は途中で引っ越ししたんだ。転校先で出会ったのがそのマリーゴールドなんだろうね」

「あの人が自分から話しかけるの初めて見た。なんていうか女王様みたいな感じ?取り巻きにいつも囲まれてるイメージなんだよね。ずいぶん親しかったんだ?」


 彼女は首を捻りながら訊いてきます。


「家が近かっただけだよ」

「ふぅん……反対方向なのに、わざわざ来てもらって、すみませんねぇ」


 半目で僕を見ながら、机の下で足に蹴りを入れてきました。


「せっかく和泉くんのこと、訊くチャンスだったのに。ボーっとしてたよ」

「あぁ……急だったから忘れてた」


 じっと見つめる視線に居心地が悪くなります。

 ようやく視線を外して彼女はため息をつきました。


「まぁいいよ」


 な、なんと!彼女が優しいなんて、信じ難いです。別人なのでしょうか。


「あの女、五人の中で一番気になるからね。本丸は最後にとっておこう」


 店を出て帰り際、明日もやるぞっと彼女は拳を握りました。


「さっきの質問だけど。もちろん進むよ」


 彼女はこちらを見ずに言います。


「私ね、自殺するような人も嫌いだけど。その人のことを周りが好き勝手にいうのもなんか嫌なんだよね。みんなが和泉くんの自殺のこと、勝手な憶測言ってるのを聞くとイライラする。楽しい噂話にするのは違うと思う。私は口先だけで悲しんでる人になりたくない。でもね、そのくせ私だって何にも知らないの。だったら何があったのかちゃんと知ろうと思ってさ。そしてそれは、生きてるうちにやらなくちゃいけない。人は死んだら何もないんだよ。理不尽なこと言われても、反論する口もない」




 ポテトは一本も食べれませんでしたが空腹感はありません。

 夜道を自転車で駆け抜けていきます。

 どうして僕は、あんな中富を試すようなことを言ったんでしょう。

 彼女の動機なんてどうでもいい、和泉の自殺すら興味がなかったのに。

 どちらも理解なんてできるはずがないのに。


 僕は知りたがっている?


 彼女も言ったように、和泉の身に何か普通ではないことが起こっていた。

 それがサイコロ。

 それがこぼれ落ちた。

 だから美しいのか。

 その異常性が研ぎ澄まされたナイフのように。


 脚に力を込め、さらに加速していきます。身体が熱を帯びていく。他人のものは嫌いなのに、自分の熱はむしろ気持ち良かった。

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