第5話 聴取(森塚)

 教室に入ると僕の席には橋田はしだという生徒が座っていました。

 前の席の人と喋っています。以前はそこに、僕の隣に席がある和泉も加わっていたことを思い出します。


 僕が近付くと「よっ」と軽い挨拶をして橋田は立ち上がりました。別に僕たちは友達というわけでもないので、軽い返事をして終わりです。

 彼が触れていないところを慎重に選び席につきます。


「も、森塚くん、おはよ」


 後ろの席の波多野はたのさんです。いつも声が小さい女子で、眼鏡と長い前髪で顔がよく見えません。


「おはよう」


 挨拶を返しながら、反射的に中富の姿を探しました。

 これが恋でしょうか。違いますね、サバンナのガゼルに近いです。


 波多野さんはまだ何か喋りたいのか口をぱくぱくさせています。なので僕は座ったまま後ろを向きました。

 するとそこに中富が立っていました。

 昨日僕を殺そうとした女の子です。その子が、満面の笑みで言います。


「おはよ、森塚」


 その声に萎縮するように波多野さんは口を閉じうつむきました。なぜか申し訳なくなります。

 僕はなんとか中富へ笑みを返しました。

 笑った彼女はとても可愛い。でもその可愛さがマイナスにしか感じられません。可愛さとクレイジーさがアンバランスで恐怖しかないのです。


 僕はもうこれ以上の会話はしたくありません。さりげなく腕の包帯を彼女に見せ付け、罪悪感を煽るという頭脳戦を仕掛けます。


「もぉ来るの遅いよ。ずっと待ってたのに!」

「うーん、そうかな」


 恐ろしく効果がない。果たして人間でしょうか?


「さっそくしておきたい事があったのに。じゃあ昼休みにね」

「何するの?」

「現場を見ておきたいの。四階の渡り廊下。付き合ってくれるよね」

「どうだろ、昼休みは食べないといけないし……」


 僕は慎重に答えます。なぜなら周囲から視線を感じ始めたからです。橋田も波多野さんもこちらを見ているようです。周囲に変な誤解や詮索をされたくはないですから、気をつけないと。


「そっか。じゃ放課後だね」

「放課後は家に帰らないといけないし」

「約束したじゃない!」


 中富の声が大きくて、僕はびっくりしました。

 教室中が静まり返る。最悪です。

 中富は見た目が良いせいか、その行動は人目を集めるのです。僕は既に砂鉄の山に落とした磁石の気分でした。


「あの言葉は嘘だったの?」

 無駄に両手で顔を覆っている。しかし効果的です。


 す、すごい。僕の学生生活において、これ程までに人の注目を集めたことがあったでしょうか。

 しかし全然嬉しくない。いっそ殺してほしいところです。

 僕は渾身の力で微笑みました。


「もちろん手伝うよ」




 食堂でうどんをすする隣で、中富は持参した弁当を広げます。

 至近距離で他人が食事するのはちょっと苦手です。服や床にこぼしたら汚いものとして扱われる物を、人間は体内に摂取する。やがてそれは排泄物へ変わる。

 その一連を、しかも他人のを見させられるのが嫌なのです。


「いつも学食で食べてるの?」


 食べながら喋るのも好きではありません。でも意外と綺麗な食べ方です。自分の口に入れる適量を完全に把握した箸使いで、そこは好感が持てました。


「時々」

「てかここボッチ席じゃん。初めて座った」


 窓辺に配置されたカウンター席の並びは、友達のいない人間のために作られた席といわれており、ここに座る人間=ボッチという認識がされるようで、そのためか比較的空いています。

 ただ学校側がデッドスペースを消費しただけだと思うのですが。

 まぁ僕はいつもひとりで昼食を食べているので説得力はやや欠けるかも。


「何の用?」

「食べ終わったら一緒に現場見に行くから。約束したもんね?」


 可愛く微笑みながら、コトっとテーブルにカッターナイフが置かれました。黄色と銀のそれは、食事の場においてとんでもない異物感でした。


「……それ、持ち歩いているの?」

「森塚のために……私大切に持ってる!」

「そんなお守りみたいに言われても……君自身のためだろ」

「あと、これからの方針を共有しておきたいの。まず現場。それからは和泉くんという人間を知るためにも身近な人から話を聞くよ。まずは幼馴染のマリーゴールド。あとバンド仲間とか、家族とも会いたいね」

「わかったよ」


 とりあえずのところは付き合った方が良さそうです。

 僕は自殺の理由なんて他人が理解できるものとは思えません。そのうちに彼女も適当なところで納得し、やがて諦めるでしょう。

 

それとも彼女といれば、この退屈な日常から抜け出せるのでしょうか?


「よし、一人目は森塚にしよう。和泉くんの事で思い当たる事はない?」

「そんなに話をした事がないんだ」

「そうよね。二人でいるところ見た覚えないし」


 それから探るような視線を向けてきました。


「それでも事前に何か感じなかった?毎日隣にいた人が死んだんだよ」

「何も」

「あれが本当に自殺だったなら、間違った選択をするほど追い詰められていたんだ。それなのに全く普通でいられる?」


 大きな瞳が鋭く突き刺すようです。

 彼女の言い方が引っ掛かります。


「まさか、自殺以外の可能性もあると?」

「考えなかったわけじゃないよ。でも現実的じゃないよね、映画やドラマならともかく。警察が早々に自殺と判断したみたいだし。何か根拠があったんでしょ」

「まぁそうだろうね」


 冷静な側面もあるようで安心しました。


「そもそも自殺ってそんなにいけない事かな」僕は言ってみます。

「……どういうこと?」

「自殺はダメだ、遺された人が可哀想。こういう自殺を止める言葉も乱暴な気がする。その人の事を何も知らずに否定しているような」


 彼女は首を振りました。


「自殺はダメだよ。逃げたって、誰も幸せにならない」

「幸せになるためには、辛い事を我慢しないといけないの?じゃあ我慢することはそれに見合っていることなのかな。そして最後は、どうして生きる必要があるのか、という疑問に当然行きつく」


 中富は箸を置き、やれやれ、とまた首を振りました。


「生きるべきだよ。その考えは間違っている。ねぇこんな当たり前のこと、理屈では説明できないんだよ」


 その言葉に息が詰まって、返す言葉を失いました。

 僕と中富は真逆の人間で、彼女は子供みたいだと思いました。

 でも何故か、幼子がただ歩いたり喋ったりする、そんな光景みたいに見惚れてしまったのです。


「そんなこともわからないなんて、森塚はアホだね。なんで生きてるの?」

「死んでいないからだよ」

 自殺には反対しておいて、僕は死んだっていいみたいです。ひどい扱いです。




 自殺する少し前、席替えで和泉と隣の席になり、少しだけ話をするようになりました。

 最後に喋ったのは、文化祭のクラスの出し物をロングホームルームで決めた時です。乗り気ではなさそうな僕に、気を使って話しかけてきたのかもしれません。

「出し物、早く決まってよかったな」

「そうだね」

「調理係、嫌だったのか?」

「そんなことないよ。文化祭自体が面倒だなって」

「ハハッ、嫌なんじゃないか」

 彼は笑っていました。

「やってみたら楽しいもんだって。頑張ろうぜ」

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