2-8 花子さんの未練
すると目の前に赤いスカートをはいた女の子が現れた。彼女はニッコリと楓林に話しかけた。
「ありがとう、楓林くん」
「別にいいよ。アンタが死んだ原因はオイラの父ちゃんにもあるみたいだしな」
いつぞやの祖母の霊よりも、花子の姿は深織にもはっきりと見えた。
「彼女がトイレの花子さん」
深織が誰にともなくつぶやいた。
すると、花子はちょっぴり顔をしかめた。
「やめてよ。私も女の子なのよ。自分の名前に『トイレの』なんてつけられるのは不本意だわ」
たしかにそうだ。深織も自分が死んだ後『トイレの深織さん』なんて言われたら泣くに泣けない。
「ごめんなさい」
深織があわてて謝ると、花子の霊はいたずらっ子の顔で笑った。
「冗談よ。トイレに居座っていたのは本当だしね」
一方、楓林が言った。
「花子に謝るべきなのは、深織じゃなくて父ちゃんと和尚だろ?」
優占と和尚はうなずいた。
「花子ちゃん、あの時はすみませんでした。あのころの私たちはおろかでした。『少年探偵団』などと名乗って、他人の秘密をあばいていい気になって……そのせいで君は……」
深織は以前優占が言っていた言葉を思い出した。
『私もかつて他人の知られたくない秘密を暴いて、取り返しのつかない罪を犯しました』
(あれは花子ちゃんのことだったのね)
和尚も言った。
「拙僧も謝罪させてほしい。自殺の原因もそうだが、この二十年仏に仕える身でありながら、君を成仏させることができなかった」
二人の懺悔を聞き終えてから、楓林が花子にたずねた。
「どうする? アンタを自殺に追い込んだヤツらが目の前にいるぞ。なんならオイラが天狗の力で処罰してもいいけど」
その時の楓林の笑顔は、これまで深織が見た他の誰の表情よりも、邪悪な笑みだった。
(楓林くん、こんな顔ができたの?)
小学三年生の子どもができるような笑みじゃない。人間は普通、こんな表情はしない。
(そうだ、楓林くんは……)
あらためて深織は楓林を見た。
天狗の末裔。
(この子はただの人間じゃないんだ)
深織の背に冷たい汗が流れた。
「ふ、楓林くん、落ち着いて。優占さんはあなたのお父さんでしょう? 和尚さんもずっと花子ちゃんのために祈っていたわけで……」
深織が震える声で楓林にそう言った。
が、楓林は冷たく吐き捨てた。
「そうだな。で、それがどうかしたのか?」
「いや、どうかしたのかって……」
「そんなことは過去の罪とは関係ない。そんなことで過去の罪は消えない。当然だろう?」
今度こそ、深織は息をのんだ。
「天狗の使命は七不思議の解明じゃない。罪を背負いながら人の法で裁けなかった人間を罰することだよ。無念さを残して死んだ幽霊の代わりな」
(この子は……本当に天狗の末裔として優占さんや和尚さんを罰するつもりなの?)
だが、花子が叫んで楓林を止めた。
「やめて!」
「なんで?」
「私はいまさらそんなこと望んでいないわ」
「へー、そうなんだ」
「そりゃあね。自殺した当時は『少年探偵団』や虐めたクラスメートたちを恨みもしたわ。でも、あのころの私がどれだけみんなに傍若無人だったか。お金持ちマウントをとるイヤな子だったか。二十年経った今ならわかるわ。虐められた原因は優占くんたちだけじゃない。私の自業自得の部分もあった」
花子の霊はそう言ってポロポロと泣き出した。
「……だから、私はもう誰も恨んでないの」
優占が言った。
「花子ちゃん、僕は……僕はあの時、本当にごめんよ……」
優占も小学校時代は『僕』という一人称を使っていたのだろうか。
まるで小学生に戻ってしまったかのように、優占はひたすら花子に謝り続けた。
和尚も同じように、涙しながら花子に謝罪した。
深織は胸が苦しいほどに切なくなってきた。二十年以上前の小学生たちのいくつかの間違い。
金持ちマウントで周囲から嫌われてしまった花子。
花子の秘密を暴いていい気になったという優占たち『少年探偵団』の面々。
そして、花子を自殺に追い込むほどに虐めた他の子どもたち。
どれもこれも、罪には違いない。
だが、いまさらそれらの罪を裁いてもなんの意味もないのではないか。
しかし、楓林は花子に言った。
「嘘だね。アンタはまだ許せていない」
「そんなことはないわ。私はもう、誰も恨んでなんていない」
「そうだろうな。他人のことはもう恨んでいない。アンタが許せていないのは自分自身だ」
楓林の言葉に、花子はハッと目を見開く。
「花子、他人への恨みを捨てたアンタも、自分自身だけは許せていない。友達にマウントをとっていい気になっていた自分。にもかかわらず、虐められるようになって理不尽に怒っていた自分。衝動的に身投げして両親やクラスメートを傷つけた自分。あんたはそんな生前の自分が許せないんだ。その未練だけは解消していない。だから未だに成仏できないんだよ」
楓林がそう指摘すると、花子はさらに泣き出した。
「そうよ、私は私が許せない! お葬式会場でパパとママは泣いていた。優占くんたちは後悔と罪の意識で何年も苦しみ続けている。私はみんなを傷つけたのよ」
それは悲鳴のような叫び声だった。
花子はもう誰も恨んでいない。ただ自分自身が許せないと嘆いている。
そのせいで、成仏もできないとしたら、あまりにも悲しいことだ。
(でも、何かが引っかかる。花子ちゃんの叫び声は本音としか思えないのに……)
それでも、何かが違うと深織は感じていた。
(何かを見落としている。何かを……)
天倶町七不思議の『トイレの花子さん』の話を深織はもう一度思い出した。
もし、あの噂が正しいならば……
(そうだ。彼女の本当の未練は罪の意識じゃない!)
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