1-7 ちびっ子天狗とおばあちゃんの幽霊

 腰を抜かしてしまった深織に、楓林が言う。


「ひでーな。自分の守護霊を見て怖がるとか」

「守護霊?」

「亡くなってから、ばあちゃんはずっとアンタを見守っていたんだぜ。普段はアンタみたいに霊感のない人間には見えないだろうけどな。天狗の力を使えばこれこのとおりさ」


 楓林はケラケラと笑った。


「オイラがアンタの情報を知ったのは、ばあちゃんの記憶からだよ」


 その説明を聞いて、深織は混乱する頭をなんとか働かせた。


(おばあちゃんが私の守護霊……楓林くんは天狗の末裔で、だからおばあちゃんが見えていて、それでおばあちゃんから私の情報を聞いていた? だから、私のことをどんどん言い当てられた……そういうことなの?)


 天狗だの守護霊だの、にわかには信じられない。

 だが、ここまでのことを見せつけられては、祖母の幽霊の実在は否定できない。

 否定するとしたら、深織自身が幻覚を見ていると考えるしかない。

 だが、さすがにそれはないと思いたい。

 ならば、目の前にいるのはやはり祖母の幽霊なのだろうか。


「だけど……やっぱりおかしいわ。絶対にありえない!」

「へえ、目の前にしても幽霊の存在を認めないと?」

「違うわ。おばあちゃんの幽霊が本当にいて、楓林くんが天狗の末裔だとしても、あなたが私の情報をえるなんて不可能よ」

「はぁ? なんでさ?」

「おばあちゃんは私の秘密をむやみにしゃべったりしない。昨日の晩ご飯ならまだしも、田んぼに落ちたとか、ましてオネショとか、そんな恥ずかしい話を誰かに言いふらす人じゃないわ!」


 深織の幼いころの記憶にある祖母は、やさしいおばあちゃんだった。

 両親や祖父に叱られたときも、いつも深織の味方だった。

 深織が知られたくない秘密を、他人にバラすような人じゃなかった。

 天狗や幽霊が存在するかしないかは知らないが、祖母のやさしさはよく知っている。


 だが、楓林は言った。


「あー、ごめんごめん。それはそのとおりだよ。オイラはばあちゃんから聞いたわけじゃない。オイラは幽霊の思念……心みたいなモノを読むことができるんだ。ばあちゃんはアンタの秘密を言いふらしたりしていないよ」


 そのとき、祖母の姿がすーっと消えた。


「おばあちゃん……」

「オイラの力じゃ、人間に幽霊を見せるのはこのくらいの時間が限度なんだよ。アンタのばあちゃんはさほど力のある幽霊でもないからね」


 目の前で起きたことを、深織は冷静に受け止めようと深呼吸した。

 現実に祖母の幽霊は深織も見た。

 そして、楓林が深織の情報を当てまくったのも事実だ。

 それは現実として受け入れなければならない。

 ならば言えることは……


「天狗の末裔かどうかはともかく、たしかに楓林くんは霊能力者か何かみたいね」

「まだ信じないんだ」

「私は証拠がないことは信じない。現実に目の前におばあちゃんの幽霊が現れたことは受け入れるけど、天狗うんぬんは何も証拠も見せてもらってないわ」

「あーそう。ま、オイラはアンタが信じようが信じまいがどっちでもいいけど」

「そして、もう一つわかったことがある」

「なんだい?」

「楓林くん、あなたは最低よ」


 深織は楓林にそう断言した。


「へえ、どうしてそう思うの?」

「おばあちゃんの心を無理矢理読んで、他人の恥ずかしい秘密を暴いていい気になるなんて、最低じゃない」


 だが、楓林は「ふんっ」と笑った。


「そうだな。たしかに他人の秘密を言いふらすなんて最低だな。占い屋の秘密をあばいた気になって営業妨害しようとしたり、教頭がカツラだって噂を信じて学校新聞に掲載しようとしたりしたヤツに言われると説得力が違うよ」


 深織はグッと言葉に詰まった。

 そのとおりだと納得してしまったからだ。

 他人の秘密をむやみにあばく新聞なんて真実の報道じゃない。教頭のカツラ疑惑なんて、伊都子や楓林の言うとおりただの悪質なゴシップ記事だ。

 自分が知られたくない秘密を言い当てられて、ようやくそのことを実感できた。


「だって、私は……私はお父さんみたいな記者になりたくて。スクープをゲットしたくて……」

「へー、アンタの父ちゃんは他人がハゲているとか低レベルな報道しているの? ばあちゃんによればそんなことないらしいよ。むしろ、自分の父親の仕事を馬鹿にしているアンタを叱ってほしいってさ」


 深織は今度こそ何も言い返せなかった。

 立ち上がることもできず、床に座り込んだままだ。

 気がついたら涙が流れていた。

 楓林の言うことはもっともだ。

 祖母が怒っているとしたら、それも当然かもしれない。

 その時、優占が楓林をあらためて叱りつけた。


「楓林、いい加減にしなさい!」

「なんだよ、父ちゃん? オイラ間違ったことを言った?」

「先ほども言いました。正論で相手を論破するやり方は感心しません。ましてや、女性を泣かしていい気になるなど、その行動そのものが間違いです」


 楓林は「ちっ」と舌打ちして黙った。

 優占は深織の体をやさしく支えていったん椅子に座らせてくれた。


「深織さん、息子が失礼しました。彼の保護者として心から謝罪します。正しそうに聞こえても、しょせん八歳の子どもの戯れ言です。お気になさらないように」


 優占の言葉に、深織は言った。


「そして、私の言葉もしょせん十二歳の子どもの戯れ言にすぎないと?」

「さあ、どうでしょう。そういう言い方をするなら、私だって三十歳そこそこの未熟者です。私の言葉もまた戯れ言ですよ」


 優占はふっと笑った。


「深織さんのおっしゃるとおり、本当に悩みがあるならこんな未熟者の占い師よりも、専門のカウンセラーに相談した方がいいのでしょう。しかし、占いという遊びの要素を入れることで気軽に話ができるお客様がいるのも事実なんです」


 優占は「そして……」と付け足した。


「必要があれば、楓林の力もあります。先ほどのように秘密をあばくことはよろしくないでしょうが、相手の抱えている問題を守護霊に聞いて、ほんの少しだけ後押しするのが私の……そして、楓林の役目だと考えています。息子も私もまだまだ未熟ですけどね」


 深織はもう何も言えなかった。

 何が正しくて、何が間違っているのか。何が正義で何が悪なのか。

 もうわからなかった。


「真実を追求するのは間違っていると?」

「間違ってはいないでしょう。ただ、真実も正義も立場や認識によって変わります。深織さんも楓林も私も、これからの人生でじっくり学んでいくべきなのでしょう。私もかつて他人の知られたくない秘密を暴いて、取り返しのつかない罪を犯しました」

「罪? それって一体?」

「ふふふっ、それこそ知られたくない秘密です。私の秘密を無理矢理にでもあばいてみますか?」


 優占はそう言ってウィンクしてみせた。

 深織はちょっとだけ考えて、首を横に振った。


「いいえ。知られたくない他人の秘密をむやみにあばくことはもうしない。私が報道すべきスクープはそんなものじゃないから」


 優占はやさしくうなずいた。


「やはり、深織さんは賢い方です。あなたならいつか、本当に誰もが知りたい真実の報道をすることができるでしょう」


 深織の涙はもう止まっていた。

 一方、楓林が深織にたずねた。


「で、どうするの?」

「何が?」

「天小新聞にこの店のことを書くのかって話だよ」


 深織は少し迷った。

 だが、小さく息を吐いてから首を横に振った。


「やめておくわ」

「へー、どうして?」

「『楓林くんが守護霊と話せるから占いが当たる』なんて書けない。誰も信じてくれない記事になるから。だけど、当初考えていたように『天狗の占い屋はいい加減な占い師』って書いたら嘘の記事になっちゃう。私は自分のプライドにかけて嘘の報道はしない」


 真実を書けば信じてもらえず、信じてもらうなら嘘を書くしかない。


「それに、楓林くんの秘密をむやみにバラしたりもしたくない」

(こんな時、お父さんだったらどうするんだろう?)


 今の深織にはその答えがない。


(たしかに私は未熟者ね……)


 いずれにしても、今回の取材は失敗だ。

 天小新聞の記事にはできない。深織にはその実力がない。


「スクープは別の場所で探すわ」


 そう言ってから、深織は優占に向きなおった。


「ありがとうございます。優占さん。たしかにあなたの占いで、私は少しだけ前に進めました。占いの役目が迷っている人の背中を押すことだというなら、私にとって有意義な占いでした」


 いつの間にか、優占に対する深織の言葉は『ですます調』に戻っていた。


「そう言っていただければ、占い師として私も救われますよ。占いの結果、お客様が少しでも前に進めたなら、これに勝る喜びはありません。そろそろ日没も近いでしょうから、お気をつけてお帰りください。ご自宅までお送りしたいのですが、この後、別の占いの予約が入っていますので」

「大丈夫です。私の家は商店街のすぐそばですから」


 深織はそう言って、立ち上がった。




 真実の報道を追求する新道深織と『天狗の占い屋』の神保優占、そして天狗の末裔少年の神保楓林。

 三人はこうして出会い、意外なほど長く付き合うことになるのだが……それはまた別の物語である。

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