コーンスタイルマーチ

森川めだか

コーンスタイルマーチ

人間万事一難去ってまた一難


コーンスタイルマーチ

          森川 めだか



 別室に通された。

「これが器だっていうのか」そよぎタヤクはクワイエットを診に来た。

電脳の神様、クワイエットは代々弘原海わだつみ家の持ち物だ。

「さだめし」弘原海イヨグ、その後ろに一歩下がっているのが槻下つきのしたキミオ。

俺を呼びに来た。

「これは?」

「起きない人だ」

体をきれいに折り畳んで発泡スチロールに女が目を瞑って収まっている。

「起きない人?」

「クワイエットが病気になったから、コールスタイン殿がこさえてくれた第二、あららぎユウだ」

コールスタインはクワイエットを作った当の本人だ。

「じゃ、コールスタインに直してもらえばいいじゃないか」

「コールスタイン殿は別品だ、それにとうにクーリングオフは過ぎている」

タヤクは器医うつわいだ。器には持つ人の病気が遷る。

いつもは茶碗だとかおわんだとか細々とやっている。こんなデカ物は初めてだ。

安請け合いしたのが間違いだった。

「エド中の人を探したのだぞ」

「ちょっと黙っててくれないか」

タヤクはクワイエットに口を寄せた。器医は口寄せで器の声を聞くシャーマンに近い。

「これは折角病だ」

イヨグとキミオは顔を見合わせた。

「覚えがないか? 今日はいい日になるはずだったのに、とかそんな感じだ」

イヨグはくやしそうな顔をした。

「直るまでどのくらい?」

「みつきとおか、代替品は、」

タヤクはユウ子を見た。

「これはクーリングオフできないのか」

「これも病気かも知れん、ただもったいなくてな」

「人間は診たことがないんでね」

そう言いながら、タヤクは屈んだ。

赤いおべべを着ている。腕にはカチューシャを巻いている。

「何かの病気かも知れんが、口を寄せるわけにはいかないな」


お上品な彼女が裏通りの男を探している、という噂が出回ったのはつい先頃のことだ。

生死を問わず、物じゃあるまいし。

夢坊、タヤクの居だ。エド中の人が評判を聞きつけて器を持ち込みに来る。

そこに車が停まったのは砂をまき上げて失礼だったからよく覚えている。

車の後部座席が開けられてフィッシュテールが降りて来た。

いつも法衣のタヤクとは大違いだ。

すぐにお付きの人が出て来て番傘を差しかけた。その日は雨は降っていなかったのだが今にして思えば顔を隠したかったのだろう。

高貴な人だからだ。

「器医というのは本当か?」

「今日はどんなご用で」

「器を直してもらいたい」そう言ってイヨグは夢坊を眺め回した。

「どんな器でしょう?」

「入り切れないな」イヨグはお付きの人と何か話していた。

「うちまで来てくれ」

「どこまでですか、あんまり空けておくわけにも」

「ここから見えるだろう」

「それなら」タヤクはイヨグの向いている方を見た。

弘原海家はエドの人では知らぬ者はいない山の中腹にあってどこからでも見える。

「キミオと申します、お礼はいかほど」お付きの人が手の平を算盤にしている。

「言い値でいいかい?」タヤクはキミオの手に数字をなぞった。

「結構でございます」キミオは手の平を握った。

イヨグはもう車に乗っている。

タヤクは急いで夢坊の奥の間に入った。ここで布団を敷き生活のあらかたは済ましている。

タヤクは天袋を開けた。ここに神棚がしまってある。

「マイヤ様、焼きが回ったのか、ツキが回ったのか、ようやく身過ぎ世過ぎから脱け出せます」

タヤクは観音に祈っていた。タヤクは隠れ切支丹だ。

「暮らしぶりも楽じゃなかろう」

「ワーキングプアですからね」

車の中でキミオが変な事を言い出した、五分後の世界が見えると言うのだ。

「そんな大した物ではないんです、こうしたらこうなるとか、選択肢が広がるだけです」

「生まれた時から?」

「気付いたらそうなってました」

「試してみるといい」

「左から行きますか、右から行きますか」

「じゃ、右かな」

キミオは少し黙った。

「朝雲がかかる頃、瑞鳥が見えますよ」

タヤクは半信半疑で窓の外を見ていた。

ピンク色の朝雲が山にかかり弘原海家がかすんだ。尾の長い郭公が優雅に飛んだ。

「左を選べばどうなっていたんですかい?」

「選ばなかった方は見られないんですよ」


ユウ子はタイツを穿いている。

きせるの匂いもした。

「この人、生きてたんじゃないのか?」

五月より静かに夏は過ぎていく。

言い忘れたがイヨグは女だ。

何たって王妃なんだから。

王子様と結婚するなんて昔々の話。

そんな事ができるのは眠り姫だけだろう。

弘原海家から出るとマルメロの香りがした。



「コールスタインに会いに行くのがベストだろう」

キミオは少し黙った。

「五分後、私たちは旅に出ています」

「クワイエットは直らんのか」

「クワイエットの折角病は弘原海家の病気が起因しているが、このユウ子っていうのはまだ誰も持ち主じゃない。考えられるのはコールスタインの病気が遷ったかだ」

「トルストイ殿の住まいはまだ誰も分かっていない」

「コールスタイン、トルストイっていうのか」タヤクはザックを持ち直した。

「金の谷を抜けて三瀬川を渡って鳥辺山を越えよう」

「鳥辺山?」

「どうした、あんたは置いていってもいいんだぞ」

「この方も連れて行かれるんですね?」キミオはユウ子を見た。

「しょうがあるまい」

「ユウ子がいるのにクワイエットを直すのか」

「選択肢は二つ残しておくものさ、万が一ってことがあるからな」


「置いてくぜ」

イヨグは化粧に時間がかかった。

ユウ子は発泡スチロールに入れたままで引いていくことにした、後ろにキャスターを付けた。

「花摘みに行くんじゃないんだからそんなに飾り立てなくてもいいんだよ」

「待たせたな」

「化粧しない方が美人なんだけどな、さ、とんちんかん四人旅の始まりだ」

棘抜き地蔵にお辞儀をする。

「どうだい、レールの敷かれた人生からはみ出した気分は」

「初めからレールなど敷かれていない」

キミオは眉根を寄せた。

「この際だから言っておくが、私は幸せ人ではない。いざこざから生まれたからだ」

「どういうことだ?」

「私の父は私が父の子だとは思っていない。分家の娘だとな。私の母のことも分家の長女だと思っている。まあ、そういうことだ」

「わんものは持ったか」

「何のことだ」

「これからは人様のお情けに頼ることになる。せめてわんものだけでも持ってないと病気が遷るぜ」

「金なら」イヨグはキミオに確認した。

「金の谷までならいいが、そこからは人も寄せ付けない」

「ではわんものを買おう」

途中の瀬戸物屋でイヨグは選ぶのに二時間もかかった。

「一生物だからな」

結局、選んだのは雷文の付いた丼一杯だった。

それぞれのわんものをタヤクのザックに入れてユウ子を引いていく。

「和上さまがいらっしゃる」

イヨグはキミオの差し掛けた番傘の下で寺の住職を呼びつけた。

「ああ、イヨグさん、お出かけですか」

「ちょいと遠出になる」

ネリサッハリというその和上は「こんな物でよろしいんですか」とかきたまうどんをわんものに入れてくれた。

「よい機会だ、手持ちを喜捨しよう」うどんをすすりながらイヨグが言った。

「全部ですか」

イヨグは肯いて、祭られてある産土神の前に立った。

切支丹のタヤクだけは庭に住み着いた猫を見ていた。

「五穀豊穣と旅の安全を祈ってきた」またイヨグが隣に座った。

「その土地の神様にそんなことできるんですかねえ」

「鳥は飛ぶだけですよ」ネリサッハリはイヨグとキミオとタヤクにも頭を下げた。

「あの方は昔、色男でな。女を断つために和上になられたのだ」

「一番好きな物を断つってことですか」

「タヤクなら何を断つ?」

「甘い物ですかねえ」

「キミオは?」

「私ならコーヒーですかね」

「私は、ピータンかのう」

タヤクは思わず笑った。

防砂林まで来た。

「風が強いね」

金の谷はここが金の採掘で谷になったからそう呼ばれている。

「人間の欲望に似てるね、谷っていうもんはね」下りながらタヤクは自分の好きな物を考えていた。

「人間の残した物は、人間の欲望の底だ」

キミオが足を踏み外し落ちて行った、番傘が壊れた。

「申し訳ありません」

イヨグは笑っていた。

イヨグはタヤクの肩につかまり、「暑くなってきたから化粧が剥げた」とぼやいていた。

「そういえば、ユウ子も化粧をしてたな」

「そういえば、クワイエットもテンプテーションズのマイ・ガールを歌ってたな、元気な頃は」

先に降り立ったキミオが手を振っている。

「自分の五分後は見えなかったのか?」

「自分の人生が見えました」

タヤクにはまだ隠してあることがある。

それはサトラセだ。自分の全人生を他人に体験させることができる。

それが何のためにあるのか分からない。才能は自分のものではないからだ。

鳥辺山では風ぐるまが回っていると聞く。無いのようなものにどうしてそこまで心を尽くすのか。

同じ風の中に入ることはできない。

数珠を一つずつ数えてマイヤの祈りを呟く。

数え終えた時、「僕、漫画しないよ」と声がした。

どこからそんな案が生まれたのか、才能はきっと未来から来たんだろう。

人間が残せる物は未来だけだからだ。

あと半年で百日紅が咲く。

ヘモグロビンA1cのような真っ赤な花が。



 セプテンバー。金の谷を抜けると静かな川に来た。

「あ、爆発してる」

エド中が真っ赤になっている。火元はクワイエットらしい。

「あれ、クワイエットか」

弘原海家は吹き飛んで電脳の神様がもだえるように溶けていく様がここからでも見えた。

「な、万が一ってことがあるだろ?」

イヨグはへたへたと座り込んだ。

「私の家が」

昼下がり。三瀬川は思ったより深かった。

男なら歩けるがイヨグはユウ子の発泡スチロールにつかまって渡った。

鳥辺山はエンドレスコンパートメントクラブという紅葉狩りの地になっていた。

「時代も変われば違うものだな」

赤、黄、山吹に色づいて緑の葉は一本もない。

空も色づいて濡羽色の空になった。真っ黒い地平。

ビリー・ジーンという赤色灯が向こうで輝いている。

「コールスタイン殿の居だ」

わんものを手にドアを叩いた。

コールスタインは背の高い外国人だった。

「や、これは弘原海家の皆さん、どうしました?」

「ユウ子が目を覚まさないんです、それに見えたでしょう、クワイエットが」

コールスタインはビリー・ジーンでわんものにキヌアをよそってくれた。

コールスタインは周りが光って見える。

パキッと何かを折る音がした。

「それだけでは足りないでしょう」

コールスタインはカナッペもくれた。

「武士は食わねど、ってね」

「それより、ユウ子は?」

「クワイエットは失敗でした。見たでしょう? あれはギヤマンで出来ている」

赤い室内灯が回っている。

「皆さんは人間の歴史はどのくらいだと思いますか」

「一万年くらい?」

「ご名答。ギヤマンの歴史と同じです」

「心の歴史だよ」

コールスタインは肯いた。

「では、この架空の歴史は?」

「何だい?」

「私が過去を変えてねじ曲げたこのタイムパラレルの歴史は」

「さっきから何を、コールスタイン殿」

パキッというのは世界が割れていく音だった。

「私は明日から来ました。時間飛行家でね、皆さんから見たら未来人でしょうか」

「もっと明日から来たんじゃないのか?」

コールスタインはニヤリと笑った。

「私は歴史の終わりが見たいんですよ。過去も未来も見えないのだったら架空の歴史でしょう? 現在しか生きられないのは不都合じゃないですか」

イヨグはカナッペの上のライチの実を食べていた。

「私の来た明日には夏つ日せんそうってものがあってね。人間だけが生き残りました」

コールスタインはマッドサイエンティストだった。老いもせずに過去と未来を時間の速さで行き来している。

「だから起きないんだ」コールスタインはユウ子の頬に指を滑らせた。

「ユウ子はどこから来た」

「過去から連れて来ました」

次元流に乗って。

お母さんは知らないんだ。

楽になる。

「かわいそうな子でね、遊女でした。だから、こんな赤いおべべを・・」

偏愛にも似たコールスタインの愛情は嫉妬だった。

「クワイエットのない時代にはもう戻れないでしょう?」

その頃、夢坊ではマイヤ像が涙を流していた。

心も移り変わる。過去と未来がごっちゃになって現在がない。

あなたに会いたい。寝ているあなたに会いたい。

起きたらコーヒーを持って行くから。あの日のように。

待とう。ザリガニのように。

冬が来た。



 弘原海家に帰ると、家はなくなっていた。

「で、キミオ俺たちは五分後、何してる?」

「それが・・、この頃、浅葱色しか見えなくって」

「浅葱色?」

「選べる未来が」

「なくなっていく」

コールスタインに会っても、結局ユウ子は目を覚まさなかった。

「水か、人類の仇だ」

タイムパラレルの話を聞いても、ピンとこなかった。

「時間より大切なものがあるだろ、アレだよアレ、何だっけ」

イヨグはかろうじて残ったマルメロを見てボンヤリ立っていた。

「この木も昔、人だった、私の妹でな、クワイエットの言うがままにマルメロに姿を変えさせられた」

「何て名前だった?」

「マルメロ」

黄昏はいつも黄色。

キーンという音がして金属が空からエドに落ちていった。

「一難去って・・」タヤクは夢坊の様子を見に行った。

エドは大騒ぎだった。また火かとうろたえる人ばかり。

ちょうど金属は夢坊に落ちたみたいだった。青人草が陥没した屋根の中を覗いている。

「ちょいと」タヤクは押しのけて戸を閉めた。

大火は免れたらしいが、預かっていた器が割れていた。

落ちていたのはアゲートだった。中に何か閉じ込められている。

タヤクは光を透かして見た。火焔鳥だった。

「青春の忘れ物だ」火焔鳥はウツワカンムリといって、昔は現人神さえ手にできなかった代物だ。

タヤクはクワイエットの代わりになるのではないかと弘原海家に急いだ。

弘原海家ではマルメロの密葬が行われていた。タヤクは手持ち無沙汰になり柱の陰でコールスタインの言葉を思い出していた。

「さよな」

架空の歴史とは、一体どういう物なのか。

どこからどこまでが本当で、どこからどこまでが嘘なのか。

そもそも、コールスタインは時間飛行家なのか?

低い飛行機がマシュマロの木をかすめて飛ぶ。

愛の挽歌って知ってる?

あのふたごの弟が出てくるやつだよね。

そうそう。

密葬の終わりにマイ・ガールが流された。

青く回る地球、砂遊び、この世界には何の変わりもないのに。

タヤクはイヨグとキミオにアゲートを見せた。

「奇妙な物が入っているな」

「これをマルメロと一緒に火に入れてほしいんだ」

「構わんが、どうする?」

「ウツワカンムリは器医の神様だ、本当の信仰に目覚めるんだ」

「なんみょうほーれんげーきょー」火が入れられた。

「何か蠢いているな」イヨグが目を近づけると火の中から輝く鳥が躍り出た。

呆気に取られていると、ウツワカンムリは羽搏き面々を周回しながらユウ子の前でだけ何か啄むような動きをして飛び去っていった。

発泡スチロールが少し溶けている。

「さ、このこんこんちきの目を覚ましに行こうか」

「旅はもう終わったのでは?」

「あととおか残ってる」

キミオは少し黙った。

「浅葱色のトレジャーアイランドが見えます」

「ああ、あの世界の中の世界か」

トレジャーアイランドは王雨が降っていた。

クロームはアルケミストの夜。

「どうだ、まだ浅葱色しか見えないか?」

「ええ、でも少し明かりが・・」

トレジャーアイランドは真四角の浮き島だ。中に一個穴が空いている。

「こんな所の何が楽しいんだか」

「タヤクさん、後ろ、後ろ!」

つなみだった。

かぶいてるね」

未来が終はる。

「起こして」ユウ子が手を突き出している。

タヤクはそれを引っ張った、引き倒された。

ユウ子は童心に帰ったように笑い転げた。

スタイル悪いなー、タヤクは鏡に映った自分を見て思い至った。

ハンプティダンプティ、どこにいるの?

ユウ子の袖の下、世界が宙に浮く。

包み紙が開いた、ウツワカンムリだった。

体中が紐になって解ける。

デオキシリボ核酸蠢く。

「イーア」ユウ子は目を覚まし伸びをした。

白い太陽がさ、僕を包み込んでさ、もっと強く熱くなるんだ、タヤクはコールスタインが来た明日を覗き見た。

サトラセ。タヤクは木の葉を揺らし帰天し帰り道で一緒になったユウ子の胎児になった。

子供ってそういう世界にいるんだよねえ。



 空蝉。

「ねんねんころりよおころりよ」

ユウ子は濃紺の和服を着て洗濯物を干しに表に立った。

「旦那さん、いくつやった」

「32」

ユウ子はお腹の中の子にひかりと名を付けていた。

百日紅の木を舞台に電脳の母、全能のシャラップが見える。

初めての出会いはお母さんです。

イヨグもキミオもネリサッハリもマルメロも、またどっかで生まれてるんだろう、コールスタインは分からないけど。

「忘れ片見かたみですよ」ユウ子はお腹をさすった。

「みつきとおかになります」

「欲しがりません勝つまでは、やねえ」

「ほんにいいてんき」

床しい雪が降り始めた。ユウ子は炭団で火照った体を冷やそうと上を向いた。

和服の女が胸元を少し開けて降る雪を入れて涼を取る。

今でみれば風流な習俗だろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コーンスタイルマーチ 森川めだか @morikawamedaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ