Day31 遠くまで
小さい
山中に建つこの家屋は多少の不便はあれど、田舎で暮らす祖父母の家に来たと思えば気にならない。最も困ったのはスマホの電波が入らずWi-Fiもない点だけれど、必ず連絡をとらねばならない誰かなど僕には居ない。剛健な両親から緊急でどうのこうの……ということもないだろう。
周辺は木々に囲まれている。緑豊かで、夏真っ盛りなのを忘れるほど涼しい。そして不思議なぐらい静かだ。家の中とは異なり、何かが潜んでいる気配はする。けれど、姿が見えない。悪い者ではない、と思う。少なくとも、僕らを害する何某でないことは確かだ。いつまでもここで暮らしたいと考える程度には居心地が良い。
だけど。
ちょっとした物足りなさを感じる。
例えば、可愛らしい文鳥を愛でるとき。夜の帳が降り、ちかちかと瞬きながら優雅に宙を飛ぶ蛍を眺めているとき。小さな弔路谷と朱色の番傘をさしながら歩いているとき。雨音を聴いているとき。小さい弔路谷と共に作った、美味しい料理を食べているとき。
不意に「ピンポーン」という音が家中に響きわたる。僕は首を傾げる。これは何の音だ? 暫く考えて、インターホンの呼び鈴だと気付く。おかしい。この家にインターホンはない。否定するように再び音が鳴る。ピンポーン。
僕はどのような行動をとるべきか。尋ねようにも小さい弔路谷の姿はない。一体どこへ行ったのか。ピーン、ポーン。押し方に変化を付けてきた。仕方なく僕が対応する。
「はいはい。ちょっと待ってください」
がらっと門を開く。
「あ」と、思わず声が漏れる。
「やぁ、元気そうだね!」
門の向こうには、番傘を持った弔路谷怜が立っていた。僕がよく知る大きい弔路谷だ。
「ぜーんぜん連絡とれないから、何処まで自分探しの旅に出ちゃったんだろうって思ったよ。まさか、ここに居るとは! 随分遠くまで来たねぇ」
けらけらと笑う弔路谷を見て、ほっとしてしまった。心底安心してしまった。膝から力が抜けそうになって、僕は門にしがみつく。どうしてここに居るんだろう。なんて、訊くまでもない。
「さ、ハジメくん」白い手が差し出される。「そろそろ帰ろう」
頷いて、彼女の手を取る。優しく、けれど強めに握られて、僕は息を吐く。
帰る前に小さな弔路谷へ別れの挨拶をしようと、大きい弔路谷を連れて屋敷中を巡った。が、どんなに探しても彼女は居ない。大きい弔路谷が
「もう帰ろうよー!! 早くしないとこの家、爆破しちゃうぞー!!」
なんて全く笑えない発言をするから諦めるしかない。最後にもう一度、駄目もとで茶の間を覗き込んだとき、黄金色に輝く何かを視界に捉えた。
それは小さい弔路谷がつけていた簪だった。卓袱台の、いつも彼女が坐っていた場所に置かれている。僕は衝動的に拾い上げ、そのままポケットへしまった。泥棒だと判っていたが、なんとなく、彼女なら許してくれる気がした。
* * *
他愛ないお喋りをしながら山を下りる。
気付くと大学付近に辿り着いていた。夕空から雨粒が落ちてくる。弔路谷が、さした番傘を右側へ傾ける。こちらへどうぞ、とでも言うように。僕は素直にお邪魔する。やや背中を丸めて。
番傘の内側を仰ぐ。
レーラちゃんは相変わらずだった。眼は血走っているし、恨み辛みと怒りが瞳に凝縮されている。口は笑っているけど眼が笑っていない、の典型例。いい感じに呪われている。
弔路谷家への道すがら、ポケットから取り出した簪を弔路谷へ渡した。ほぼ反射的に受け取ったらしい彼女は、眉を顰めて
「良いの?」
と訊いてきた。
「良いも何も、僕使わないし」それに、詫びの気持ちでもある。決して言葉にはしないけど。
「うーん……」
「……なんだよ」
「……ハジメくん、ひとに簪を贈る意味、知らないでしょ」
「贈る意味? そんなのあるのか?」
「うーん……」
「……眉間の皺やべえぞ。いらねえなら返せ」
「いや! いる! いります! ハジメくんがくれるのなら有り難く!!」
そう言って、弔路谷は簪を庇うように胸に抱いた。そんなに必死にならなくても返して貰うつもりはない。先に述べた通り、僕は使わないから。ならば、いつか使うだろう女性に貰われた方が簪も嬉しいだろう。
これにて無事、仲直り。
僕は喧嘩した覚えないけれども。
「でもさぁ」簪を翳しながら弔路谷が言う。
「お古の簪を女性にプレゼントするのは止した方が良いよ。あたしだから良いけど」
「使用済みの藁人形で『ひとりかくれんぼ』するやつに言われたくねえ」
蘭月怪異譚〜2023〜 四椛 睡 @sui_yotsukaba
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