Day30 握手
僕としては喧嘩のつもりは毛頭ないけれど、弔路谷からすれば立派な喧嘩らしい。ことの発端は憶えていない。心霊スポットでの二泊三日野宿を強制終了させたからかもしれない。口裂け女さんもとい
原因不明の喧嘩なんて、喧嘩とは呼べない。争いようがない。
だから僕目線で見ると、弔路谷が勝手にブチ切れたので「彼女の頭が冷えるまで距離を置こう」と判断したまでのこと。そう、
なのに「ハジメくんが拗ねた」と言われては、不機嫌になっても仕方がないじゃないか。僕の怒りの沸点はかなり高い。自覚しているし自負もしている。けど、我慢の限界ってものがある。
* * *
僕は旅に出た。
弔路谷怜との連絡手段を全て絶ち、家から一歩踏み出したまでは順調だった。まさか何の変哲もない自宅のドアが、青い猫型ロボット所有の便利道具になるなんて。そんなこと誰が予想できる?
僕は見知らぬ人家の門前に立っている。いつかの河みたいに陰気ではない。その逆だ。とても明るく穏やか。暑くもなく寒くもない。“ほのぼの”という言葉にぴったりの木造家屋。
ひとの気配はない。ついでにいうとインターホンの類もない。仕方なく棟門に向かって「すみませーん」と声を掛ける。
「どなたかいらっしゃいませんか?」
「はーい! います!」
ぎょっとした。どう考えても子供の声だったからだ。サンダルが地面を打つパタパタという音が次第に大きくなり、がらっと門が開かれる。
「あ、お客さんだ!」
と言い「いらっしゃいませ!」と続けたのは、弔路谷怜そっくりな幼女だった。
白地に青い朝顔が描かれた浴衣を着て、黄金色の石が幾つもぶら下がった簪で髪を纏めた、僕の腰ほどの背丈しかない小さい弔路谷。その姿を見、くらりと眩暈がする。男体化弔路谷船頭が脳裡に蘇る。
「はわわ、大丈夫ですか!?」ふらついた僕の身体を支えようとする小さい弔路谷。「熱中症ですか!?」
「いや、ちが――」
「たいへん! お水飲まないと!」
小さい弔路谷は僕の手を取り、ぐいぐいと引っ張った。その力は存外強い。話を聞かない強引なところは正しく〈弔路谷怜〉だな、と思った。
もの凄いデジャビュを感じながら、されるがままに屋敷へ足を踏み入れる。応接間へ案内され、氷の入った冷たい麦茶が振る舞われた。一杯目を飲み干すと透かさず
「おかわり入れてくるね!」
と、グラスを回収された。そして二杯目の麦茶と共に、よく冷えたスイカが出てきた。
何故こんなに持て成されているんだろう?
僕の疑問を察したのか、小さい弔路谷は「あのね」と話し始める。
「このおうち、あたし以外は誰もいないの」
確かに、ひとの気配は相変わらず感じられない。
「お父さんと、お母さんは?」
「いないよ」
その点も大きい弔路谷と一緒なのか。と、僕は内心で溜息をつく。
「最近は迷い込むひともいなくて、ずーっと独りぼっちだったんだぁ」
「迷い込む?」
「そう。このおうちは、そういうおうちなの。お兄さんは本当に久し振りのお客さん! そうだ、お名前なんていうの? あたし、弔路谷怜!」
既知の人物から改めて自己紹介されるのは、実に奇妙な気分だった。逆もまた然り。小さい弔路谷は、僕の名前を口の中で転がすように何度か呟き
「ハジメくん、あたしと一緒にいてくれる?」
と尋ねてきた。
僕は頷いた。ほぼ無意識だった。それに、幼い彼女を放ってはおけなかった。たぶん彼女が浮かべた表情の所為だ。淋しげで、どうしようもなく不安そうな――ハイテンションで奇行ばかりが目立つ弔路谷怜には似つかわしくない表情が、僕の琴線に否応なしに触れたのだ。
差し出された小さな手を握る。上下に降りながら、小さい弔路谷は満面の笑みを見せてくれた。実に愛らしい笑みだった。白く円やかな頬を流れる一滴には気付かない振りをして。
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