Day29 名残

 以前遭遇した公園とは異なる公園で、例の〈地獄の門番を務めるトイプードル〉を見かけた。

 木陰が多く、中央の池が涼しげな場所だ。トイプーは敷地の端に植えられた躑躅つつじの一角をねぐらにしているらしい。何を餌として食しているのかは確認できないが、甘く閉められた蛇口から滴る水を舐める様は、正に野良犬のそれだった。

 保健所に何度か通報した。しかし、トイプーは捕まらない。逃げ隠れが巧いのではない。視えないのだ。トイプーを認識し、目視できる人間は限られていた。そして、保健所の人間は誰ひとり視えていなかった。僕の通報は悪戯――虚偽通報として処理された。

 ならば、視えている僕が処理しなければならない。

 ぽたぽたと垂れる水を、小さな舌で必死に受け止めるトイプードルへ声をかける。

「こんなところに居たのか。探したぞ」

 振り返り、こちらを見据えるトイプー。漆黒の瞳を見つめ返しながら、僕は僅かな不安に襲われた。こいつ、僕のことを忘れてないよな?

「……あぁ、いつぞやの小僧か」

 良かった、覚えてた。内心で胸を撫で下ろす。

「何用だ? 儂は水分補給に忙しい」

「レイってクソ女、まだ探してる?」

「無論だ」

「僕、知ってるよ」

「……ほう、前回とは答が違うな」相変わらずのイケてるバリトンボイス。しかし若干せせら笑う調子で言う。「小僧、儂を欺したのか?」

「まさか。そんなことして、僕に何のメリットが?」

「め……?」

「股間を犠牲にする気はないって言ってんだよ」

「儂が渡した番号はどうした?」

「失した。で? どうする?」

 くぅん、と鼻を鳴らしながら首を傾げるトイプードル。

「どうする? とは?」

「今なら案内してや――」

「案内しろ」

 トイプーの決断は早かった。急かすまでもなかった。僕の足下でグルグルと回る姿は、ご主人様との散歩にはしゃぐ犬そのものだった。口にリードを銜えていたら完璧だっただろう。


 * * *


 地獄の門番は存外素直についてきた。案内人である僕を信じているのか、はたまた裏切られたところで対処は容易いと余裕綽々なのか。なんにしても都合が良い。

 街から離れ、寂れたラブホテルに入る。トイプーは如何にも「こんな穢らわしい場、御免被る」と言いたげな唸り声を上げた。が、最終的には僕の後に続いた。

 部屋は予約している。顔の見えない受付で代金を支払い、エレベーターに乗って目的の階へ。

 予約した部屋のドアを四度、軽く叩いて開く。先にトイプーを中へ通した。すぐ後からは入り、静かに――呼吸音すら殺して――ドアを閉じる。

「やぁ! 待ってたよー!」

 丸いベッドに寝転んで寛ぐ弔路谷怜ちょうじたにれいと地獄の門番の視線がち合っただろう瞬間(正確には彼女が片手を上げた時)、僕はトイプードルの首根っこを鷲掴みにした。容赦なく床に押さえつけ、背中にドライバーを突き立てる。何度も。何度も何度も何度も。振り返る隙も、手足をばたつかせる暇も与えない。踵を使って頭を踏み潰した。標本にされた昆虫よろしくドライバーで張り付けにし、下半身も潰す。頭が再生するのが見えたので、もう一度踏み潰す。今度は徹底的に。何度も何度も何度も。頸から頭頂部にかけて。それでも心配だったので、力任せに頭を引き千切った。難しいかと思ったけれど、案外簡単だった。

 トイプーの顔は、いつか見せられたように裂けていた。エイリアンの如く。恐ろしいことに、中に棲まう“溶けた皮膚が垂れ下がった赤子”の頭部は生きていた。流石に元気ではなかったけれど、伸ばした舌で僕の眼を狙う気力はあった。頭を床に叩きつけ、踏み潰す。数えるのも厭になるぐらい。ラブホの備品を活用したいが、万一壊してしまったら大変なので自重した。

 バキリ。

 と、一際大きな音がして、地獄の門番は完全に沈黙した。やがてドライアイスが昇華するように、トイプーの身体は消えた。血液一滴、骨や肉の欠片、毛の一本も残さずに。


 ぱちぱちぱち。ひとり分の拍手が鳴り響く。

「激しいねぇ、ハジメくん。そんでもって狡い! 背後からなんて!」

「……勝てば官軍。命あっての物種だろ」

「それでこそハジメくんだ!」

 前世むかしと何も変わってなくて嬉しい! と、弔路谷は満足げに頷く。あんまりにも嬉しそうにするから、僕の表情筋も無意識に緩んでしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る