お父さん

僕の父親の暴力について5話で書きましたが、どんな父親やったのか。


小学生の時、母親にお父さんのいいとこ教えてと泣き叫んだのを今も覚えている。


何故そんな事を言ったのか。


小学生低学年、春木に住んでいた時お正月。

タコ公園の前で車を止め泣いてる母にお年玉を全部渡してこれだけあったら、お父さんの所から出ていけるかな?無邪気に僕は母に尋ねた。

更に泣く母。

小さいながら父親と別々に暮らすことが正解だと思っていた僕。出て行かない母。

そんな僕はその数年後、ボコボコにされた母を見て父の良いとこを教えて欲しいと泣きながら叫んだ。母の答えはあんたは子供やからまだわからんだけ。答えに困ったのかはわからないが、そう聞いた。

中学生の夏休みに父の仕事をしたのを覚えている、その時はしんどかった。だけしか覚えてない。29歳に父に仕返しをする迄、父親を殺す事、出世して見下してやると考えていた。

今思えば、許す事、相手の良い部分を知らない子供だったと思う。

父は大工、工務店を自営業でしていた、やる事のない僕も大工になった。

父親は数百万は稼いでいたと思う、バブル迄は。

そんな父の趣味は無い。何もない。

ギャンブルもお酒も女。

酒は一滴も飲めない。

悪いとこは母に暴力を振るうとこだけ。

父は身長175センチ位で体重は55キロ。

見た目はガリガリ。

現場で見た父は誰よりも材料をせっせと運び、重たい物を1人で運び、夜遅くまで働いた。

父とご飯を一緒に食べたりするのは記憶に少ない、小学6年生の時に田舎のニュータウンに引っ越した、億手前のマイホームと知ったのは19歳の時だった。

高校を中退して、何もしない僕に父と母は困っていた。

そして、父の仕事を手伝わされた。17歳から18歳の車の免許を取るまでの間の話、父は何もできない僕に材料運びをひたすらさせた、アパートの材料で3階まで運び、毎日21時位までこき使われた。

行きたくなくて、朝まで遊んで父が仕事に行くまで家に帰らなかった。

その時父は儲かってなくて、家族が生きるのでいっぱいいっぱいだった。当時はそんな事知らなかった。

車の免許をとり、関西空港の貨物を縛る仕事をした、その仕事を難なく出来たのは父に強制労働させられたから。

新しい人が入っても半日、一日、三日程度で辞める、と言うよりか逃げる。

初任給、45万くらいもらった。理由はみんな残業を嫌がるが僕は毎日残業をした。

派遣社員だったが、残業を8時間したら18000円くらい貰え、その後24時間は寝れた。基本給は25万位で残業が20万位。手取り45万で、何かと引かれての給料。

その仕事を一年近くして、クビになった。

理由は、僕と仲良くしていた気が弱い、優しい先輩を社員の偉いさんが休憩が長いと蹴ったのが理由。僕と一緒に休憩をしていたが、残業してる人は休憩を長くできていた。

こちらに不備は無いが、先輩はすみません。といい僕達を連れ仕事に戻った。先輩は気にしない気にしない、嫌な人も居てるよと言ったが、先輩は気が弱い。狙ってしたと思い僕は戻り、ヘルメットを上司に投げ謝れと言ったが、相手にしてこなかった。テーブルを乗り、そいつの所迄最短で行き、殴った、周りに止められ数発しか殴れなかったが、相手は鼻血とかでて血まみれ、当然僕はそのまま返された。

そして派遣元からクビにされた。

その時、人事の人だけ僕に気を掛けてくれ、理由を聞かれたが、内容をはしょって伝えた。

気の弱い先輩が勇気を出して、僕が悪いくないと言ってくれたのは1週間後くらいだった。

派遣と社員の小突き合いは今まであったが、僕がそれを解決したみたいに言ってくれた。

待遇が良くなと聞いたから大義はこっちにあったと思った。

そんな大変な仕事、どんな大変な仕事。

今迄父親より、大変な仕事をした事はない。

そんな仕事をして、父は僕を私学に入れ、兄弟みんな高校から私学。

僕は素行の悪さから、中学から厳しいスポーツ系の私学に入れてもらった。

その時そんな感謝の気持ちもなく、恨みを持っていた僕は29歳の時、父に仕返しをした。

29歳の時僕は建築で売り上げ10億手前の社長になり、お正月に久々に大阪に戻り、父方のおばあちゃんに会い、父が来るのを知ってばあちゃん家でいた。


しばらくして、世田谷ナンバーの僕の車を見て、誰が来てるかとおもい、お前かと僕だと知った。車はBMの6シリーズのカブリオレ。

じいちゃんが嬉しそうに、僕が成功していると父に話したが父は興味無さそう。ふと父が金を300万貸せと言ってきた、貸してくれと頭下げるならあげると僕は言ったが父は頭をさげなかった。

僕は仕返しができたと思い、母にそれを話したら、母は激怒した。

あんたがどれだけ偉くなって、総理大臣になろうとも親の方が偉い。くだらんことをするなと言われた。

その時僕は小さい自分と思い恥ずかしくなった。

父の見方を変え、いい部分を考え、あれだけ過酷な仕事をして、僕ら兄弟の為に習い事や教育に惜しみなくお金を使ってくれた父に感謝をするようにした。

母の一言で許すと言う事を学び、今は父とたまに連絡を取り会う事も増えた。

孫の顔を見せたりし、昔の自分の醜い感情を無くし、おとうさんと思い会っている。

どれだけ、どんだけ、昔の事を恨んでも、親は歳をとり、老いていく。

母に老いていく人に恨みを持たず、大事にする事を言われ、許す事の大事さを知った。

もし、同じように心を苦しめられているなら、僕はそれらがちっぽけな事と思ったのと同じで、許す心を持って頂けたらと思い、赤裸々に書きました。それでもしこりがあるなら、僕に言って下さい、一緒に悩んで、解決する努力をします。軽んじて言っているわけじゃありません、何かできればと本心で言ってます。

僕は父のいいとこを見つける事ができ、素直にそれを認める事ができたので。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

 ニブンノイチ.人生の選択肢 @abc19

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ