2-2.花
「おやおやァ! ヘンリク、よかったじゃないですかァ!」
揶揄うようなヴァレオの口ぶりに、ヘンリクはすっかり顔を伏せて俯いてしまった。それでも上背がある人木種は、野イチゴよりも赤い顔を隠し切れない。逆に、ラーレには彼の顔がよく見えた。ラーレの高炉が乗り移ってしまったのか、今にも泣き出しそうな赤い目を伏せて。
明らかに態度がおかしい二人に、ラーレは耐えかねて声を上げる。
「もう! 二人だけで内緒話しないで下さい」
「あらァ、失礼しました! 今アナタが食べたのは、ヘンリクの魔力が入った野イチゴなんですよ。ほら、料理人が魔力で料理の旨味を高めるのはご存じでしょう?」
「ええ、はい」
「料理の場合、旨味を補うのは魔力だけじゃありません。素材、調味料、料理の手腕……。そこに料理人の魔力が合わさって、料理の味が向上します」
ラーレはコーブルクの街で繁盛している食堂を思い出す。
料理人は、調理器具や炎を通して料理に魔力を込める。舌の肥えたコーブルクの住民たちは、“自分の味覚と相性のいい魔力”を使って料理する料理人を求める。だから、大勢の客の味覚に合わせられる料理人が特に重宝された。人気の食堂の店先には、いつだって長蛇の列が出来ていた。
そんな賑やかな景色も、今ではもう遥か彼方夢の中の出来事みたいだけれど。
「ただし、調理をしていない食べ物の場合は話が違います。食の好みはあるにせよ、野イチゴにヘンリクの魔力が入っていて、且つ、アナタがこの味を気に入って体調まで回復したということは……?」
相性がいい。ごくごく単純に、純粋に。ラーレにとってヘンリクの魔力は、理屈を抜きにして相性がいい。
その事実に、ラーレまで顔が赤くなりそうだった。野イチゴの味はかつてないほど美味しかった、頭の中で何かが繋がった、熱が下がった。それは気のせいなんかじゃなく、本当に今起きた出来事だった。
「これで、ヘンリクの魔力がアナタにいい影響を与えることはよォくわかりました。ヘンリク、彼女の魔力はどうです? 一緒に居ても、気分は悪くなりませんか?」
ヘンリクは答えない。目をぎゅっと閉じたまま、赤い顔を伏せている。しかしヴァレオは大して気にした様子もなくヘンリクを眺めているし、ラーレは戸惑いながらどうしたらいいのかわからない。
やがて、ヘンリクの髪のうちの一本がするすると伸び出した。先に双葉の小さな芽が出る髪だった。細い枝、蔦、人人種の髪。そのどれにも似ているこげ茶色の髪はラーレの眼前までやって来て、双葉がこてんとこちらを覗き込む。
双葉に触れようとしたラーレの人差し指の先に、髪がくるりと絡み付いた。
「わあっ……」
驚きの声を上げ、ラーレは指に絡む髪と双葉を見つめる。次の瞬間、ぽんっと音を立てるように双葉からピンク色の花が咲く。
ラーレは顔を真っ赤に染め、ヴァレオはぷっと吹き出して笑った。
「なァんだ! アナタたち両想いじゃありませんか、見せつけてくれちゃって! じれったいから、もう、結婚したらどうです? 結婚! こんなに
ドスンと音を立てて椅子から飛び降りると、ヴァレオは大はしゃぎでヘンリクの家を飛び出した。外から、「おーい、牧師さん! ヘンリクが結婚しますよォ!」と叫ぶ彼の大声が聞こえる。
勝手なこと言わないで下さい!
ラーレは言い返そうと思い立ち上がりかける。だけど、指に絡み付いたままの小さな花を見つめていると、どうしてもここから離れがたかった。背が高いと言うにはあまりに大きな人木種が、こんな小さな花を咲かせてそっと伝えてくれたから。
ラーレの魔力は、ヘンリクにとって心地いい。それに、ラーレだって。甘酸っぱくて熱さえ冷ます野イチゴと、指先で咲く花があればもう。
「……ヘンリクさん。このままだと、私と結婚させられちゃいますよ?」
こんな音は初めて聞いた。自分の声のはずなのに。ラーレの耳に響く彼女の声は、震える小さな鈴の音に似ていた。自分の願いを確かめながら、相手の気持ちに触れたいと願う音。
ヘンリクの声がした。
「……それなら、ずっとこのままで」
思わず見上げると、彼がおずおずと視線をラーレに移すところとかち合った。視線がやんわりと重なって、ヘンリクは赤らんだままの頬でラーレを見つめる。
「……僕の、お嫁さんになってください」
指先で咲く小さな花。くるりと巻き付くピンク色の花。
魔力の熱は静まり返り、気付けば倦怠感も抜けていた。それなのにラーレの耳は熱くなる。二人を繋ぐ指先から、熱がヘンリクに伝わらなければいいと願いながら。
「……はい。よろしくお願いします、ヘンリクさん」
見つめ合う二人の静かな部屋は、やがてドタバタ駆け込んで来たヴァレオと牧師と野次馬によって、あっという間に騒がしい結婚宣誓の祭壇に変わった。
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