2-1.知らない人

 コーブルクで人木種を見かけた記憶はない。物語屋の客にも居なかった。初めて接した人木種、ヘンリクという名の青年を、ラーレはあごを空に向けるようにして見上げた。


「は……、はじめまして。ヘンリクさん」

「……はじめまして」


 森の中にある村、ルスヴァルトでひっそりと暮らしているヘンリクは、顔だけ見れば人人種の青年と変わらない。たれ目とも眠そうとも優しそうとも言える目元、すらりと伸びた高い鼻、薄い唇。顔の大きさは背丈と比べれば人人種と大差なく、むしろ顔付きは整って見える。美術館に彼の肖像画が飾られていたら、誰もが事知り顔で美術論に興じそうだ。

 深いこげ茶色の髪は控えめに大きくうねり、分けた前髪から艶々しい額が覗く。柔らかな毛束が彼の頬やあごを撫で、襟足の髪は首筋に触れる。その毛先の所々に、双葉の芽が生えていた。思わずラーレは、自分にしか聞こえない声を漏らしていた。


「綺麗……」


 こんな人、知らない。

 ラーレは双葉をもっと近くで見たかったけれど、彼の髪を確かめるのは一苦労だ。何せ少なく見積もっても、ヘンリクはラーレの二倍は背丈がある。しかし彼は巨大と言うより、人人種の胴体や手足を引き伸ばして均衡を取った体形だと、ラーレは未知の種族を理解した。


 体格に合わせて、彼のはちみつ色の家は全体的に造りが大きく天井も高い。見事な一階建ての木造住宅だが、ヘンリク曰く「亡くなった両親が木に戻ったものを使って建てた」らしい。冗談かと思って愛想笑いをしてみたら、すぐにヴァレオが「本当のことですよ、人木種の風習です」と付け加えた。

 親の遺骸で家を作る? その中で生活する? ラーレは背筋をぞっと強張らせたが、床を踏まねば歩けないし、壁がなければ雨風はしのげない。


 しかし、そんな戸惑いは次第に好奇心に変わって行った。家は手作りとは思えないほど滑らかな木材で組まれていて、頭上に架けられた梁はまるで芸術品。今までにラーレが見た建造物の中で、この家は一二を争う美しさだ。室内に置かれたテーブルや椅子、台所の作業台は全てヘンリク仕様でだいぶ高い。こちらも手入れが行き届いていて、新品みたいに艶々と輝いている。

 家具は両親で出来ているのか? それとも建物だけ? 聞きたいような、止めておきたいような。結局ラーレは聞かなかった。彼が大事にしているものを、自分の無粋な疑問符で汚したくなかった。


 突然やって来た客人のために湯を沸かすヘンリクの背中を眺めていると、小人になった心地になる。熱っぽい頭を抱えながら、ラーレはぼやける視界で辺りを見回す。ここに来てからほんの少しだけ、高炉に点る喧しい熱は縮こまって来た気がした。早速、街を離れた効果が出たのだろうか。


「アナタ方の体質って、相性抜群だと思うんですよねェ! ヘンリク、彼女の中には今、消費しきれない魔力が溜まりに溜まっています。高炉があると思うほど、体が熱っぽいんだそうです」

「……高炉?」

「ボクの分身が生まれる場所ですよ。本来は、とても苛烈で美しい場所です。弱い者いじめをするんじゃなくってね!」


 ヴァレオは慣れた様子で椅子に腰かけ、足をぶらぶら揺らしながら口にする。相変わらずの調子で、手を木の葉みたいにひらひらさせてヘンリクの背中に語り掛ける。ヘンリクは火を使うのに変換器を用いているらしく、作業台の上に置いたコンロ型のそれから目を離さないよう、二人に背中を向けていた。


「ラーレさん。ヘンリクは……人木種は、一度にたくさんの魔力を体内で生成出来ません。だから、便利に生きるにはああやって変換器を使う場面が多い。ただし、最低限の生命活動を維持するだけなら魔力を大して必要としません。おかげで魔力の自己生成速度がかなり呑気なんですが、その分、人由来魔力を吸収するのは大得意! 溢れる魔力を見つければ、いくらでも取り込めるんですよ」

「へえー……。知らなかったです」


 他種族の知り合いが多いからと言って、誰もがみんな自分と違う種族について詳しいわけではない。それが、コーブルクのような都会であればなおのこと。互いの生態よりももっと愉快で華やかな、もしくは金になる締め切り間近な話題が溢れているのだから。


「ボクが初めてヘンリクに会った時、彼、道端で倒れてたんです。三年くらい前のことですけど、今でも忘れられません。飲まず食わずで三ヵ月も散歩していたら、どんな人木種でも魔力切れを起こしますよ!」

「さ、三ヵ月? 散歩?」

「まァとにかく、ヘンリクはちょっと抜けてますけど悪い男じゃありません。一緒に暮らすにはぴったりでしょう」

「でも、急にそんなこと決めるなんて……」


 “のそり”とも“ひらり”とも言える調子でヘンリクがテーブルにやって来た。こののんびり屋の人木種は、何を思ってラーレとヴァレオを迎えたのだろう。

 テーブルに並べられたのは、木のカップに入った三つの紅茶、木のボウルには山積みの野イチゴ。ヘンリクの心境はまるで読めないが、これは彼なりのおもてなしのようだ。ヴァレオは嬉しそうに「頂きます」と野イチゴに手を伸ばす。

 木のカップを手にして、ラーレはふと気付く。


「これ、ヴァレオさんが診療所で使ってたカップに似てますね」

「ええ、ヘンリクのお手製ですよ。ボクが使っているのは、彼がくれたものです。ねえ、ヘンリク」


 ヘンリクはゆっくり頷いた。髪が木のさざめきみたいにさらさら鳴った。白いシャツから見える手元は、ラーレと同じ形をしている。だけど彼が人木種なのは明らかだ。野イチゴを取る時、ヘンリクは指先を細い木の枝に変えてそっと伸ばした。するすると伸びる枝が、優しく野イチゴを摘まみ上げる。そうして自分で食べるのかと思ったら、枝はラーレに向かって伸びて来た。


「……どうぞ」


 初めてヘンリクと目が合った。薄い茶色の瞳が、音もなくラーレを見つめる。彼はほんのりと微笑んでいた。淡い夢の中で微睡むように。


「あ、ありがとうございます」


 ラーレは手を差し出して、枝から野イチゴを受け取ろうとする。だけど枝はするりと指を通り越し、そのままラーレの口元に野イチゴを届けた。意図をやっと理解して、ラーレは口を薄っすら開く。

 遠慮がちに口内に転がる野イチゴ。口の中に広がる甘酸っぱさに、体中で渦巻いていた熱がすっと引く。急に視界が鮮明になる。まるで頭の中で千切れていた感覚が、ぎゅっと一つに繋がるみたいに。


「おいしい……! これ、とってもおいしいですね。この森の野イチゴって、こんなにおいしいんですか? 初めてです、こんな野イチゴ! 熱も下がりました!」

「……よかった」


 ヘンリクとヴァレオが何か目配せをした。急にヘンリクの顔が真っ赤に染まり、ヴァレオはそれを見るなりニヤニヤ笑う。顔がないのに表情がわかるのは、声が大袈裟にニヤついてるせいだ。

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