物語屋、移住する ~人人種と人木種の類まれなる理想的な結婚
矢向 亜紀
第1章 物語屋、移住する
1.本日休診
「ああー、なるほど! ラーレさんの魔力の暴発理由、わかりましたよォ!」
顔馴染みの医者は、発熱と倦怠感に苦しむ患者相手とは思えないほど明るい声色で告げた。まるでハッピーエンドに向かって突き進む歌劇のように。
「アナタの体質って、
よれよれの白衣を着た医者は、カルテを書きながら上機嫌だ。ラーレの戸惑いなんかより、珍妙な体質を診られた喜びの方に感情が振り切れているらしい。見知らぬ高炉を体に抱えたラーレは、体が崩れ落ちそうな熱を必死で堪えながら医者の顔と向き合う。
とは言えこの医者には顔がない。だから“顔馴染み”という表現は、彼のような
医者の名はヴァレオ。人型の体に金属成分を含む種族、人鉄種の青年だ。細かく言えば鉄以外の成分もあるそうだけど、金属成分が混ざっている人型の生き物は、ひとまとめにして人鉄種と呼ぶのが常だ。
御多分に漏れず、彼は頭部に金属成分が集まっている。ヴァレオの場合は黒いミルクパンの形。どうしてその形を選んだのかラーレが聞いた時、ヴァレオは「薬もミルクも水もたくさん入って便利なので」とあっさり答えた。「前にどんな顔をしていたのかは、忘れちゃいましたけれどね」とも。
「そもそもアナタ、人由来魔力と
「聞いたことはありますけど、そこまで詳しくは……」
「まあ、作家にこの辺りの知識を問うのは野暮な話ですね!」
十七歳になる
こんな状態でも、ラーレは熱に茹だった頭で反論した。唇から発する言葉に籠るのは、上がりっぱなしの体温だけではない。
「私は作家じゃなくて
「“過去にある死者の物語を書く仕事”でしょう? アナタ方のこだわりって不思議ですよねェ。薬で二グラムと二百グラムを間違えたら人は死にますけど、作家と物語屋を間違えたって、ボクらはピンピンしてるじゃないですか。むしろ、指摘した分本題から逸れて話が長くなるだけです」
ヴァレオは診療机の座席から立ち上がると、頭をぽんと外して水を注いだ。慣れた様子で指先から火を出し、湯を沸かし始める。
魔力が強く体が頑丈な人鉄種は、金属部分を取り外して使うのを好む。彼らは何年かに一度顔を作り直すのだと、ラーレは以前読書会の仲間から聞いた。よく見かける種族だけど、人人種とはまるで生態が違う。
「この火は、ボクの体の中を巡る人由来魔力です。ボクだけじゃなく、そばに居るアナタの魔力をわずかに吸収して影響を受けてます。まァ、人なんてそんなものですよね。近くに居れば嫌でも作用する」
頭のない医者の声はどこから聞こえてくるのだろう。ラーレは人鉄種に会う度不思議に思うけれど、彼女のような疑問を持つ人はほとんど居ない。首の切れ目が金属で綺麗に包まれているのだって、今更誰も気にしない。
「対する自然由来魔力は、大地・水・空といった自然の中にある魔力。ボクら人型の生き物がそれを活用するには、変換器の使用が必須です。要は、ボクらは自然の中に居ても自然由来魔力を吸収出来ない。魔力を感じ取って快適だと思うことはあってもね。人由来と自然由来の魔力の違いは他にも色々ありますが、アナタの体質に最も関連するのはこの要素です」
ヴァレオは茹だった湯の中に茶葉を放り込む。雑な紅茶の淹れ方だが、彼曰くこの方法が一番美味しいらしい。煮える湯の景色は、発熱が続くラーレの目に障る。見ているだけで体の中にある高炉が燃えて、どんどん体が重くなる。
「アナタみたいな人人種……。人に人の成分しか含んでいない種族の場合、そもそも魔力耐性が低いんです。ボクら
ラーレは湧き立つ紅茶の香りに意識を引っ張られながら頷く。熱っぽい頭には、瑞々しい茶葉の香りはあまりに刺激が強すぎる。
「つまりィ! 人が密集している場所に居れば居るほど、アナタの体は魔力を吸収し続けます。今回の症状は、今までの蓄積による暴発でしょう。今後悪化したらどうなるかは、予想は出来ても断言は出来ません。血が全て煮え立つかもしれませんし、臓器がいきなり破裂するかも!」
「それ……。魔力を放出したり薬を飲んだりしてやり過ごせませんか?」
どこから出るのか知らないため息が、深い
「アナタ、コーブルクの街灯を夜な夜な全部引っこ抜くご予定がおありで? ないでしょう? 仮にあったとしても、人人種の体がそんな大量の魔力放出に耐えられるわけがない。それにご存じの通り、薬の効果は一時的なものです」
「じゃあ私、どうすれば……」
茶こしにさっと通された紅茶が、艶々の木のカップの中に滑り落ちる。もちろん、出来上がった紅茶は一人分。既にもう医者の中で診察は終わっていて、今は休憩時間のようなものらしい。
だから余計に、ヴァレオの声は歌うが如く響き渡った。
「死にたくなかったら、今すぐ田舎に移住して下さい! それからきちんと食事して、とっとと体力回復に努めること! 元々食が細い上に、ここ最近ロクに食べてないんですから。後、なるべく大きな
「そんなこと言われても、コーブルクの外に知り合いなんか……」
使い終わった茶葉を指先の火でサッと消すと、ヴァレオは木のカップから一口だけ紅茶を飲む。熟考と言うにはあまりに短い時間で、医者は再度口を開く。
「アナタ、ご家族は?」
「居ません」
「なるほど! 実は、アナタの体質に合いそうな
ミルクパンの頭を元に戻して、医者は紅茶で乾杯した。自分の頭と木のカップをぶつけ、鈍い音を響かせる。彼としては患者の門出を祝ったのだろうけれど、ラーレの目の前は真っ暗になった。
生まれ育ったコーブルクでの生活を捨てて、田舎で見知らぬ人木種と共同生活?
「私……、一人じゃ生きて行けないってことですか?」
「一人で生きられる人がこの世に居るなら、ぜひ顔を拝んでみたいものですねェ!」
ラーレの戸惑いも絶望も無視して、ミルクパンは早々に診療所の看板を“本日休診”にひっくり返した。
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