8-1.遠方より

 次に家のドアがノックされた時、ラーレは食事の下ごしらえの真っ最中だった。ヘンリクは仕事で留守にしており、家にはラーレだけ。ドアを開けると、目の前には高くそびえる足があった。


「ヘンリクさ……?」

「ああ、いえいえ! 俺は違いますよ」


 遥か頭上から聞こえた声に、ラーレは体を逸らせて客人を見上げる。彼はぐにゃりと長い足を折り曲げて、屋根より高い位置から人好きのする笑みをラーレに向けた。


「どうも! あなたがヘンリクのお嫁さん? 俺はアーベルトです」

「こ、こんにちは。ラーレです」

「おお、よかったよかった。前にヘンリクがこれをくれて」


 長い腕はラーレの身長ほどあって、ラーレが手書きしたカードはアーベルトの指先の中では豆粒大に見えた。しかしラーレが受け取れば、カードは手のひらに丁度収まる四角形だ。

 アーベルトはヘンリクと同じ人木種だが、語り口はだいぶ明瞭ではきはきしている。表情も輪郭がはっきりしていて、ヘンリクとはまるで違う。どちらかと言えば、コーブルクの街で一緒に仕事をする人たちの調子に似ていた。人木種の全てがヘンリクのような性格ではないらしい。


「ラーレさん、手紙以外の代筆も出来るってヘンリクから聞いたんですけど、ちょいとお力を借りたくて」


 きっと、野イチゴを“素敵に書いた”ことを、ヘンリクはアーベルトに話したのだろう。ほんのりと恥ずかしくてラーレは顔に熱を灯し、それをかき消すように頷いた。


「俺、こう見えて教員なんすよ。そんで、子どもの通知簿を書いて校長先生に出したんですけど怒られちゃって。だから、その中身を書き直して欲しいんです」


 軽い語り口から、彼がそんな仕事をしているとは信じにくい。それでも、客がそう言うなら信じるしかない。ラーレは精一杯顔を上に向けて微笑んだ。


「わかりました! 詳しくお話を伺い……あ、室内じゃアーベルトさんには窮屈ですね」


 しゃがんで屋根と同じくらいの高さになるアーベルトは、これ以上どう頑張っても身を縮めるのは無理そうだ。すると彼は立ち上がり、家の裏側を指差した。


「じゃあ、そこの空いてるところはどうっすか?」

「庭ですか? 大丈夫ですよ」

「よし、それじゃあちょいと失礼!」

「うわぁ!」


 ラーレが叫ぶより先に、アーベルトは彼女をひょいと抱き上げた。まだヘンリクにもこんな風に運ばれたことがないのに、ラーレは客の大きな手のひらに乗って家を一またぎする。


「す……、すごい……」

「びっくりしました? そっか、ヘンリクは人木種の中では小柄だからなあ」

「えっ! そうなんですか?」

「はい。だから、人木種以外の種族が居る村でも生活しやすいんです。あなたと結婚出来たのもあいつが小さいおかげだ。運がいい男ですね」


 ゆっくりと手が庭に降りて行く。ラーレは見慣れたはずの庭を妙に高い位置から眺めながら、恐る恐る地べたに足をついた。アーベルトもヘンリク同様、背が高いだけで全体的には細身で、一度座ってしまえばすぐにその身を落ち着けた。長すぎる足は、庭からはみ出していたけれど。


「あの、失礼ですが、アーベルトさんとヘンリクさんはどういった……」

「親同士が友達なんですよ。昔は俺も、よくこの村に遊びに来てました。今でも時々仕事を頼むし、軽い茶飲み友達みたいなモンっすね」


 アーベルトがへらりと笑う。やっと見えた彼の髪は短くて、つんつん立った毛先から双葉がふわふわ生えていた。そのおかげで、双葉の王冠をかぶっているように見える。

 ふと、ラーレは前から気になっていたことを聞いてみることにした。


「あの、この家、ヘンリクさんの亡くなったご両親で作ったんですよね?」

「そうっすよ。二人とも綺麗な木に戻りましたからね、丈夫でいい家だ!」

「なんか……。改めて考えてみると、人の遺骸で暮らすのって不思議だなあと……」

「んー、まあ人動物種ひとどうぶつしゅの骸骨並べてるのとは違いますからねえ。人木種は人としての命が終わると木になるんすよ。だから、それで家を作ればずっと家族を感じられて少しは寂しさも紛れるねってノリで。コーブルクで売ってる死者の物語だって、考え方は同じじゃないっすか?」


 あまりにもあっさり言われた言葉は、ラーレの心にするりと入り込んだ。何もせずとも体が人由来魔力を取り込むみたいに、人木種の姿が鮮明になる。方法は違うけれど、人を偲ぶ気持ちはおんなじだ。自分は一体、何を気にしていたんだろう。

 ラーレは台所へ戻ると、変換器のコンロで湯を沸かし二人分の紅茶を作った。ヘンリクの子ども時代に思いを馳せる。壁にそっと手を置いて、ヘンリクの両親に問いかけた。あの人は昔からのんびり屋さんでしたか? それとも、昔はやんちゃなところもあったんですか? それから、もう一言。あの人を、私を、いつも風雨から守ってくれてありがとうございます。

 出来上がった紅茶を木のカップで出す。ヘンリク用の大きなカップを渡したつもりだったけれど、アーベルトには小さそうだ。若干申し訳ない気持ちになって、ラーレは話題を切り替えるように口火を切った。


「では早速、通知簿の話を教えて下さい」

「ええ、ぜひ! 俺が担当してる十人の子どもが居てー……。まあ、子どもって言ってもあなたより図体だけは大きいんですが。で、一人一人の評価を通知簿に書いて渡すんですけど」

「それを、校長先生にお見せしたら叱られた……?」

「そう! 俺、実はまだこの仕事始めたばっかりなんすよ。で、俺が書いたものじゃ保護者に見せられないんですって! 参った参った!」


 言葉の割に明るい口調でアーベルトは告げて、胸ポケットから紙を一枚取り出した。まるでその上でピクニックが出来そうなくらい大きな紙。一番上には“生徒評価一覧”と書かれているが、一人一人への言葉はあまりに短い。


『集中力が全くない』

『視野が狭くて発言が的外れ』

『枝も芽も出せない』


 ラーレは驚いた。これを書いたのが、目の前の明るい人木種? 確かに、口は達者でも文章が苦手な人は多い。しかし彼の場合はあまりにも。


「確かに、ちょっと辛辣ですね」

「うーん……。思うことは色々あるんですけど、いざ書いてみるとねえ。俺、子どもの頃から作文も苦手で。なんで教員なんかやってんだろうって思いますよ」


 そうやって言いながら、なぜかアーベルトは照れ笑いを浮かべた。きっと彼はこの仕事が好きなのだろう。教員として子どもたちに愛情を注いでいる。だからこそ、十人の悪いところを的確に言えてしまう。

 ラーレはそんな考えを巡らせながら、見慣れない表記を指さした。


「それじゃあ、手始めにこの『枝も芽も出せない』子のことを教えてもらってもいいですか? 普段の様子や、アーベルトさんがこの子をそう判断した具体的な行動が知りたいです」

「ええ、もちろん!」


 すると人木種は身を乗り出し、張り切った様子で話し出す。まるで物語の語り部のように。


「彼は本当に、とにかくずーっと黙ってる。授業中の話し合いでも、食事中でも休み時間でも。だけど実は、話を聞いてはいるんです」

「なるほど……。『枝も芽も出せない』は『引っ込み思案過ぎる』ってことなんですね」

「そうそう! そうなんですよ! いくら無口で引っ込み思案でも、子どものうちは、相手に枝を絡めるとか話に合わせて双葉をぱたぱたさせるとか、相手に関心があるって意思表示をするのが普通です。ああ、大人はむやみやたらに人に枝なんか絡めませんよ? 愛情表現の一つですから」


 ラーレは小石が爆ぜるように肩を上げた。ヘンリクの柔い枝が、自分の腕をそっと撫でた気がしたから。幸いなことに、アーベルトはラーレの頭の中が見えていないらしい。


「でも子どもにとっては、相手と仲良くなるための第一歩なんです。せっかく話を聞いてても、それが伝わってなきゃ“仲良く”なんて無理ですよ。もちろん、会話の輪にも入れません」


 ラーレは見知らぬ子どもの姿を思い描く。人木種の子どもたちの中で、一言も話さず動きもしない少年。子どもたちは戸惑い、彼自身も戸惑っている。彼は一体どれくらいの背丈があるんだろう。頭に花が咲くことはあるんだろうか?


「それなら、アーベルトさんが仰った『話を聞いているのに意思表示が出来ていない』という点を軸に、その子の長所とこれからの目標を書きましょうか。お話を伺ってると、アーベルトさんはその辺りについてもお考えなのに、直して欲しいと思っていることだけを書いてしまっているような気がします」


 ラーレは手帳に散るメモ書きを眺めながら、今、アーベルトの中にあるはずの言葉を紡ぐ。


「例えばー……。

『話をしっかり聞いています。次は、周囲との信頼関係を築くことが期待されます。まずは、相手に関心があると伝えてみましょう』

 最低限のことをまとめると、こんな感じでしょうか」

「おお、なるほど! そしたら、この子が何をすべきか書き足してもいいかも」

「では、後半を直して……。

『まずは、相手に関心があるという意思表示のために、枝を絡める・話に合わせて双葉を開閉するといった工夫をしてみましょう』

 こんな感じでいかがですか?」


 すると、アーベルトは大きな両手で自分の膝をポンと叩いた。その音はあまりに響き渡って、辺りの木々に止まっていた鳥たちは一斉にどこかへ飛んで行く。


「なるほど! 確かにそうだ、そうなればいいと思ってました!」

「よかった! それでは他の九人についても、アーベルトさんがお書きになった内容を元に、長所と『こうなったらいいな』と思う姿を教えて下さい。それを元に文章を作ります」


 ラーレが彼を見上げながら力強く頷けば、アーベルトは無邪気な笑みを向けて来た。まるで、太陽が空に二つ浮かんでいるみたいだ。


「本当に、普通のことを素敵に書くんすね!」

「え?」

「ヘンリクが言ってたんすよ。『ラーレさんは、どんなに普通なことでも素敵に書けるんだ』って、嬉しそうに。あいつがそんなに言うなら信じていいんだろうと思って、谷と山を越えて来たわけです」


 気恥ずかしさでラーレの頭に火が点る。ヘンリクが他の誰かに自分の話をしているなんて、その光景を想像するだけで心臓が破裂しそうだ。彼はどんな風にラーレの話をしたんだろう。どんな顔で、どんな声で? 頭の花は咲いていた?

 子どもたちについて語るアーベルトの声を聞きながら、ラーレの頭の片隅で、ヘンリクの蕩けそうな柔い笑顔がほのかに輝いていた。


「そんじゃあ、俺の十人の可愛い生徒と、ヘンリクをお願いしますよ!」


 アーベルトは最後まで楽しそうな様子で、ひらひらと大きな手を振って去って行った。谷と山を越えて来たと言ったのはあながち嘘でもないようで、彼はあっという間にルスヴァルトの森を渡り、そのままひょいと山の向こうへ消えて行った。

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