第3章 客人たち

7-1.手紙

『突然お手紙なんて渡してごめんなさい。わたしたち、顔を合わせるとすぐにふざけちゃって真面目な話が出来ないでしょう? だから、手紙を書きたいと思いました。


 でも、誤解しないでね。わたしはあなたと一緒に川を泳いだり、木登りしたり、ふざけてくすぐり合ったりする時間が大好きなの。あなたの銀色の顔に、川の水飛沫が虹をかけるのが好き。わたしたちの話し声が、木々の間を抜けて空を飛び回るのが好き。わたしの羽根でくすぐられたあなたが、肩を跳ねさせて笑いながらくすぐり返してくる体温が好き。二人で芝生の上を転がる度、いつも思うよ。どうして時が止まらないのかな。そしたらいつまでも、二人で居られるのに!

 あなたの顔にわたしが映る時、わたしはいつも笑ってる。そうして、少しだけ目を逸らすの。恋する乙女の顔って、見ているこっちが恥ずかしくなるから。


 わたし、あなたに恋をしているの。気付いてた? 友達なのにおかしい? もしもこの気持ちを伝えたら、わたしたちは友達じゃいられない?

 友達じゃいられないなら、わたしの恋人になって! そしたら二人でお気に入りの滝壺へ行って、どっちが先にまん丸の石を見つけられるか、もう一回競争しましょ。


 マリッサより


 追伸:

 あなたのフライパンで作る川魚のソテー、世界で一番美味しくて大好き』



 代筆した原稿と一緒に、ラーレは二種類の魔力を込めたインクを送った。一つは自分の魔力。もう一つは、相談を受けた際にマリッサに小瓶に詰めてもらった彼女の魔力。

 ラーレの魔力は願いだ。綴る言葉が、マリッサのものになりますように。歪むことなく彼女の想いを伝え、愛しの誰かに届きますように。マリッサの魔力は恋そのもの。透き通る無垢な恋心。二つの魔力を込めたインクはやがて、便箋の上に恋の景色を映し出す。

 マリッサは手紙を出せただろうか。まだ彼女の手の中か、“あなた”の家のポストの中か、既に“あなた”の机の上にあるのか。


 そんな夢想に思いを巡らせながら、ラーレは自分の額に手を当てる。コーブルクではずっと体が熱かった。不快な燃料で出来た高炉。何も生み出さないくせに燃え続ける炎。その燃えかすが溜まって、体が倦怠感を帯びて行く。

 でも、ルスヴァルトにやって来てから高炉の蓋は完全に閉じられた。人が少ない村、野イチゴ、ヘンリク。おかげでコーブルクに居た時よりも筆が乗り、ラーレの手元に残っていた死者の物語はあっという間に書き終えられた。

 仕事が終わった安堵感、潰えてしまった生き甲斐への焦燥感。それでも、ここで生きる他に道がない。街に居れば高炉に焼かれて死んでしまう。

 ラーレは最後になるだろう本屋への手紙をしたためる。ちょっぴり諦めの悪さが伝わるように。少しでも、彼にこの思いが届くように。ランタンが示してくれた道筋に、物語があるように。



『ジョンブルック書店 店長

 ジョンブルックさん


 お元気ですか。先日は、唐突に転居と結婚のご報告をして申し訳ありませんでした。きっと私の両親も、天国で驚きの悲鳴を上げていたことでしょう。


 さて、コーブルクを発つ前に頂いていた物語を全てお送りします。ご一緒出来るのも最後かと思うと、この封筒をお送りするのは身を切る思いがします。私の千切れた指までお届けしていないといいのですが。


 ルスヴァルトはとても穏やかな場所です。ヘンリクさんのおかげもあって、この二か月で私の体調は驚くほどに回復しました。少しずつ、新しいことも始めています。

 おこがましいお願いではありますが、もしこの距離でも出来るお仕事があれば、回して頂けると嬉しいです。元気が有り余っているので、今までよりも二三日は早くお渡し出来ます。


 結婚生活が順調かどうかはわかりません。でも、ヘンリクさんの優しさに助けられています。彼はどちらかと言えば口数の少ない人ですが、嬉しいことがあると頭にたくさんの小さなピンク色の花が咲くんです。私はその花を眺めながら、彼が作った木のカップで紅茶を飲む時間に幸せを覚えるようになりました。こちらの夜はコーブルクとは比べ物にならないほど暗いのに、彼のそばだけはほんのりと暖かな光に包まれています。

 ルスヴァルトへ来たばかりの夜、二人で庭に出て木のカップでお茶を飲んだことがあります。夜空には数えきれないほどの星。目の前に星ばかりが見える空なんて、生まれて初めてのことでした。ヘンリクさんが教えてくれたのですが、木のカップに入れた紅茶の表面に星空を浮かべて飲むと、少しだけ甘くなるそうです。彼は「星のお砂糖」と言っていました。おまじないのようなものだとは思いますが、その夜に飲んだ紅茶は、確かに少し甘く感じました。

 

 それでは、ジョンブルックさんもどうぞお体に気を付けてお元気で。いつもお忙しいでしょうから、時には都会の喧騒から離れて、ルスヴァルトに遊びに来て下さると嬉しいです。心よりお待ちしております。


 ラーレより』



 最後の仕事が、子どもの頃から知っているジョンブルックのものでよかった。彼の本屋は特段大きい店ではないが、その界隈ではよく知られる。教会よりも死者の物語が揃っているなんて言われるほどの品揃えで、実際、だいぶ昔の死者の物語や、三ページほどで終わってしまった物語でさえも取り扱いがある。そうしてラーレの両親の物語も、ジョンブルックの本屋のどこかで安らかな眠りについている。



 彼への原稿を郵便局に出してから数日後、ヘンリクとラーレの家のドアがノックされた。ちょうどすぐそばに居たヘンリクがドアを開けると、「ラーレさんはいらっしゃるかな」と中年男性の声がする。あ、と立ち上がるラーレだったが、声の主の姿は見えない。その代わり、聞いたこともないほどひっくり返った誰かの悲鳴が聞こえた。


「ひっ! ひえっ!」

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