6-1.ゆりかごとランタン

 数日後、ラーレは庭で籠を編んでいるヘンリクを眺めていた。材料の樹皮は彼が素手で折った木から採取したもの。普通は道具を使って樹皮を剥がすところだが、ヘンリクは指先だけで綺麗に剥がした。

 彼が籠作りで頼る道具は、樹皮を煮る鍋とコンロ型の変換器、樹皮を縦長に切る刃物だけ。少しの魔力と道具しか使わずにほとんどの工程を済ませてしまえるのは、この世界で人木種だけだろう。


 ヘンリクがラーレに触れないのは、手の大きさだけが理由ではない。こうした作業を眺めているとラーレはそれを実感する。力持ちの彼は、人人種の脆さを恐れている。怖がっているのはヘンリクも同じだ。

 あの大きな手に視界を遮られた時、ラーレは確かに恐怖を感じた。だから、彼の気遣いは申し訳無いと思いつつも有難かった。彼の優しさにいつも救われる。だからこそ、ラーレも彼の役に立ちたかった。

 自分の小指に絡み付く枝を、ラーレはそっと撫でる。ヘンリクはそれに気付いて、こちらを向いてほんのりと微笑んだ。


「その籠、なんですか?」

「……ゆりかごだよ」


 ゆりかごと言われても、ラーレにはいまいちピンと来ない形だった。ラーレが知るゆりかごは、赤ん坊が中で眠れるように横長の形。だけど、彼が編むゆりかごは球体に近く、上部が柔らかく開閉出来る。ゆりかごと言うより、巾着にそっくりだ。


「変わった形ですね」

「……赤ちゃんが、林檎の間に使うゆりかごだからね」

「林檎?」


 ラーレの疑問符に、ヘンリクはこくりと頷いた。それから、ゆりかごを手にラーレの隣に腰かけた。差し出されたゆりかごを両手で受け取ると、ラーレの頭ほどの大きさしかないことがわかる。後は、斜め掛け出来るように長い長い肩紐をつけたら完成らしい。ラーレが知るゆりかごとは、見た目も使い方もまるで別物。


「……人木種の頭に林檎が生ったら、中に赤ちゃんが居るんだ。……お父さんとお母さんは、林檎をゆりかごに寝かせて持ち運ぶ。……その間に赤ちゃんは林檎を食べながら大きくなって、……食べ終わると、自分で出て来るんだよ」

「へえー、不思議! お腹じゃなくて林檎の中で育つんですね。なんだかおとぎ話みたいで可愛いです。人人種とは全然違うなあ」

「……僕にとっては、人植物種以外はみんな不思議だよ。……女の人しか赤ちゃんが出来ないんでしょ? ……それに、出て来る時もとっても痛そうで、……怖い」

「じゃあ私たち、お互いに不思議な生き物なんですね」


 ヘンリクは首を傾げながら、自分が手掛けたゆりかごをそっと撫でた。まるで、中に林檎が眠っているような暖かな手つきだった。


「……不思議な生き物なのは、いいこと?」

「いいことですよ。だって、人木種……ヘンリクさんについて知らなかったことを知れたんですから。私も、人木種の赤ちゃんがこのゆりかご使うところ見たいなあ」


 何の気なしに口にして、それからラーレは慌てて両手で口を覆った。この話を語って聞かせてくれた人木種は、他でもない自分の結婚相手だ。ラーレが子どもをねだっていると勘違いされたらどうしよう。

 今までに、子どもが欲しいと思ったことなんて一度もない。だって、ずっと物語を書いていた。そんな街での日々を愛していたから、誰にも壊されたくなかった。死ぬまで物語屋で居たかった。それを壊したのは赤ん坊でも誰でもなく、憎き自分の体質だった。

 でも、もしかしたら。もう、ヘンリクの役に立てるのはそれしかないのかもしれない。ラーレは小さな拳を握った。喉に生え出す棘を飲み込みながら、おずおずと口にする。


「あ、あの……。ヘンリクさんは、欲しいなと思ったことありますか?」

「……何を? ……赤ちゃんを?」

「は、はい。そうです」


 ラーレの背中に、後頭部に。嫌な汗が滲む。嫌だ、嫌だ。こんな話をするのは嫌だ。それでも。


「ほ、ほら! わ、私たち夫婦なんですし! 一人じゃ出来ないことだって、出来るじゃないですか! 子ども作りなら、私、役に立てるはずです!」


 声はちっとも出てくれない。棘が引っかかるせいで、上擦って転んで仕方がない。ヘンリクは目を丸くして、ラーレの方を見つめていた。透き通る茶色の瞳に、心の奥まで全部見られてしまいそうだった。それが嫌でラーレはぎゅっと目を閉じる。何も気付いて欲しくなかった。

 頬に何かが触れた。思わず目を開けると、柔らかな木の枝がラーレの頬を撫でていた。ヘンリクの瞳は、なぜか寂しそうに微笑む。


「……赤ちゃんは、十五年くらいで大人になっちゃうけど。……一度生まれて来たら、人生はずっと続くね」

「え……?」

「……僕たち、お互いの役に立って欲しいから、一緒に居るんじゃないでしょ?」


 魔力の相性がいいから。過剰な魔力を取り除いてくれるから。魔力を好きなだけ取り込めるから。それがきっかけで出会った二人。それが理由で結婚した二人。

 じゃあ、どうして一緒に居るの? なんであなたは私と居るの? どうして私は、ここに居ていいの?

 ラーレは返事が出来なかった。陸に打ち上げられた魚みたいに、ぱくぱくと口を動かして必死に呼吸する。息が出来ない。目の前に彼の姿しか見えない。それなのに、言うべきことがわからない。

 何の役にも立てないでいる。一体どうしたら、ここに居てもいいと思えるんだろう。

 ヘンリクは答えなんて待っていない様子で、いつもの薄っすらとした柔い笑みを浮かべた。そうして、ラーレの手元で眠る作りかけのゆりかごをもう一度撫でる。


「……いつか、お客さんの赤ちゃんに、……二人で、会いに行こうね」


 会話は巻き戻った。ラーレの、人木種の赤ちゃんがこのゆりかごを使うところを見たいという無邪気な願いまで。ラーレは我に返る。急に肺に空気が入って来て、突然のことにラーレは咽せながら答えた。


「はい。……そうですね」


 すると、玄関のドアをノックする音が聞こえた。「すみませーん」という若い女性の声も。突然やって来た助け船に飛び乗る気持ちで、ラーレはいそいそとドアへ向かう。


「こんにちは、ラーレさん」

「こんにちは。あ、確かお肉屋さんで……」


 来客は、肉屋でラーレの話に拍手を贈っていた人鳥種の少女だった。真っ白な羽根、黄色と黒のくちばし、長い首。彼女の顔は白鳥だ。


「わたし、マリッサと言います」

「マリッサさん、どうしたんですか? ヘンリクさんなら今、奥に居ますよ」

「ち、違いますっ! わたし、ラーレさんに相談があって……!」

「私に?」


 ラーレが首を傾げると、マリッサの首がスイと伸びて庭のヘンリクの様子を窺った。ヘンリクはこちらを見ていたらしく、マリッサは彼にぺこりと頭を下げる。


「出来れば、ラーレさんと二人でお話したいんですけれど……」

「いいですよ。私の部屋でよければ」


 安心したようにマリッサは笑顔で頷く。そうしてラーレの部屋に足を踏み入れるなり、少女は憧れに似た感嘆のため息をついた。ヘンリクお手製のラーレの部屋の見事さに、心奪われたようだ。


「可愛いお部屋……!」

「ありがとうございます。ここは元々リビングだったそうですが、壁も家具も全部、ヘンリクさんが作ってくれて」

「さすがヘンリクさんですね。あ、可愛いお花!」


 マリッサは、透明な小瓶に浮かぶピンク色の花をくちばしで指した。懐かしい仕草だ。人鳥種はマリッサのように手元が羽根であることがほとんどだから、方向を示す時はくちばしを使うことが多い。コーブルクで出会った人鳥種たちも、くちばしで遺品を指しながらラーレに死者の話を聞かせてくれた。

 小瓶にはラーレの魔力が詰まっていて、鮮やかなままのピンク色の花がその中を漂っている。人人種のラーレに出来る魔力の出力方法なんてたかが知れている。指から火は出ず、素手では木の皮を剥がせない。出来るのは、小瓶に願いを込めることくらいだ。


「ヘンリクさんから咲いたお花です」

「えっ、ヘンリクさんってお花咲くんだ……。でも、どうしてここに?」

「プロポーズしてくれた時のお花なので、記念に飾ってるんです」

「わあ、いいなあー! ヘンリクさん、可愛らしいところがあるんですね。自分のお花でプロポーズするなんて。意外です」


 すると、部屋のドアが遠慮がちにノックされた。ヘンリクが紅茶を淹れてくれたらしい。マリッサはいたずらっ子みたいに、「きゃ」とくちばしを両手の羽根で覆った。それからラーレと顔を見合わせ、二人は内緒話に勤しむ少女のように笑い合う。ヘンリクは不思議そうに二人を眺めてから、にこりと微笑んで立ち去った。

 ラーレはさっそく、初めての自室へのお客に紅茶を振舞う。もちろん、木のカップで。紅茶の香りが部屋に行き渡った頃、ラーレの方から口を開く。


「マリッサさん、相談って一体どうしたんですか?」

「あの……。ラーレさんは、普通のことを素敵に書くのがお仕事なんですよね?」

「はい、そうです」


 そうでした、とは言わなかった。


「それじゃあ、その……。ラブレターを代筆してもらうことって出来ますか?」

「ラブレター?」

「……はい。わたし、お手紙を書くのがとっても下手で。伝えたいことがたくさんあるのに、いざ便箋を前にすると頭の中がわたしの羽根みたいに真っ白になっちゃって! あ、無料でなんて言いません、ちゃんとお礼はお渡しします。誰にも言わないで下さいっていう分も込めて」


 随分としっかりしたお嬢さんだ、とラーレは感心した。艶々の白い羽の美しさ、まん丸な瞳。すらりとした体形はきっと、多くの人に愛される見目だろうに。ちやほやされるのを当然とせず、彼女は自らの足で立っている。

 マリッサの姿に、ラーレはハッと思い出す。この村に来てから、一人で勝手に落ち込み悩み、くよくよと枕を濡らした自分を。それが全部馬鹿馬鹿しいと思えたのは、目の前に小さな光が見えたから。高炉じゃなく、まるでランタンだ。暗がりに伸びる道を見せてくれる、ランタンの光。それを手放さないよう、ラーレは手を伸ばしてしっかり握った。


「もちろん、私でよければお力になりますよ! お相手がどんな方なのか伺うことになりますが、平気ですか?」

「……はい! 喋っていいならいくらでもお喋り出来ます!」


 ますます輝きを放つマリッサは、人人種なら『まるで小鳥が謳うように』とでも表現出来そうなほど、延々とラーレに向かって恋を歌い続けた。ラーレが手帳に走り書きするよりずっと早く、恋の歌は流れて行く。太陽の位置が変わって窓に影が落ち、木の枝がそろりそろりとラーレの足元に辿り着くまで。

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