第2章 ラーレは泣かない

4-1.見当たらないもの

 ルスヴァルトは森の中にある村としては栄えており、村の中央にある広場には食料品屋や生活用品屋、公共施設が軒を連ねている。コーブルクの繁華街よりもずっと狭くて地味だけど、背の低い建物が道沿いに並ぶ景色はラーレにとって少しだけ懐かしく思えた。何より、コーブルクとは違い人がごった返しているわけではないので、体が根を上げないのは有難かった。

 しかし、この村には見当たらないものがある。カフェ、劇場、美術館、そして。


「ラーレって、街で何をしてたんだ?」


 肉屋へ行けば、店主の人鉄種が聞いて来た。腕っぷしのいい彼の名はバステオ。平たい鉄板の顔をしていて、料理をする時はいつも自分の顔を使うそうだ。そのために、顔を作り替える時は毎回鉄板にするこだわりよう。バステオは、かつての顔も今の顔も誇らしげに語る。

 人鉄種は、自分の金属成分を使うことが生き甲斐だ。バステオとまるで違う性格のヴァレオだって、人前でミルクパンを使うのを厭わない。


「私は物語屋なんです」

「物語屋? 絵本でも描いてたのかよ?」

「絵本を書くのは作家の仕事です。私は物語屋なので、死者の物語を書いています」

「死者の物語?」


 すると、ラーレが注文したソーセージを包む人猫種じんびょうしゅが話に加わった。バステオと夫婦で肉屋を営むユリアーネだ。白毛を土台にした顔には、明るい茶色や黒の模様がふわふわと散っている。


「聞いたことあるねえ。コーブルクだと、誰かが死んだ後にその人の人生を本にするんだろ? 葬儀で読んだり、本屋で売ってたりするって」

「仰る通りです。そういう本を書くのが物語屋なんですよ」

「へえー! 都会には妙な仕事もあるもんだなあ」


 肉屋の夫婦はカウンターから身を乗り出して、興味津々の様子だ。まるで売り物の加工肉たちまでも、ラーレに話をせがんでいるような。


「物語ってのはどうやって書くのさ?」

「間に合う時はご本人から、そうでなければご遺族からお話を伺います。それを元に物語を仕上げて、お葬式用の短編と出版する長編を作ります。一人一人の本の厚みはそれほどでもないですが、全部大事な一冊です」

「それをラーレが売って歩くのかい?」

「いえいえ。私は物語を書いて、仕事をくれた本屋さんに原稿を送るんです。それが製本されて、お葬式で配られたり本屋さんの棚に並んだりする……っていう流れです」


 様々な場所から人が集まって出来たコーブルクは、あらゆる文化が混ざり合って独自の成長を遂げた街。物語屋はその中で生まれた仕事だ。

 本屋の景色が懐かしい。ずらりと並んだ本の背表紙。心躍る冒険譚、甘酸っぱい恋愛小説、どれだけ頭を捻っても真相が解けないミステリ……。死者の物語が並ぶ棚へ足を運べば、知らない“誰か”の名前がじっとしている。一つ一つの本に込められた、もう終わりを迎えた物語に思いを馳せる。

 すると、目の前でバステオが肩を竦めた。見事な筋肉が山脈そっくりに盛り上がる。


「なんでわざわざ、物語にしなきゃならねえんだ? 周りのヤツが語って聞かせるんじゃ足りないのか?」

「コーブルクは、地方ほど人と人の繋がりがないんです。でも、それが寂しいってことは誰もが知っています。だから死者の物語が売れるんです。亡くなった“誰か”に思いを馳せて、寂しさを紛らわせるために」

「ふうん、街の連中のやることはわかんねえモンだ」

「そういう事情ですから、お話は素敵な方がいいですよね。そうすればたくさん読まれて、何度も何度も偲んでもらえますから」

「素敵? 例えばどんな?」

「十人に見守られて息を引き取った人と、三人に看取られた人。どちらが幸せだと思いますか?」


 夫婦は顔を見合わせた。ユリアーネは三人、バステオは十人と答える。


「単純に看取った人数だけを聞けば、今の質問みたいに優劣を付けようとする人も居るでしょう。でも、誰の人生も等しく美しく、誰の死も等しく悲しいものです。それを忘れないために物語屋が居ます。人生の美しい側面を際立たせて書き上げるのが、物語屋の仕事です」

「じゃあ、さっきの十人と三人はどうやって書いたんだ?」

「まず、十人は仕事の取引で繋がった面々で、仕事の苦楽は共にして来ましたが、死者を役職名でしか呼んだことがありません。三人は死者の大切な家族で、幼い頃から一つ屋根の下で暮らして来ました」


 気付けば、ラーレの周りには肉屋の他の客が集まっていた。鳥の顔、犬の顔、石の顔……。彼らはみんなそれぞれ違う頭で、耳で、ラーレの話に聞き入っている。


「最初の死者は、

『十人の戦友たちは、孤高の彼の亡骸を前に涙の一つも流さなかった。彼の遺志を受け継ぐ眼が、悲しみで曇らぬように』

 もう一人は、

『今、四人家族は三人家族に形を変えた。しかし彼女亡き後の三人家族は、決して彼女のぬくもりを忘れない。そのために今、彼らは手を取り涙に暮れる』

 こんな風に、ごく普通のことを少しだけ素敵に書くんです。物語にすることで死者は語り継がれ弔われ、他の誰かの中で生き続けます」


 なぜか人鳥種じんちょうしゅの少女が拍手をした。まるでラーレが語り部であったかのように。それにつられて、肉屋にぱらぱらと手を叩く音が響く。なんとなく気恥ずかしくて、ラーレは俯いた。ラーレは背が低いから、こうすれば誰にも顔が見られない。

 頭のてっぺんに、ユリアーネの声がする。


「それって、死人が居ないと商売あがったりじゃあないの?」

「馬鹿言えお前。大体、本を買う暇人が居なきゃ、売れるモンも売れねえんだぞ?」

「あら、そうだねえ。人の頭数が少ないんじゃあ、どうにもならないじゃない」


 この村に本屋も図書館も見当たらない理由がよくわかった。ラーレの心にどっしりと鉛のような影が落ちる。この村の住民は、一体何を心の支えにしているんだろう? 心躍らせたい時や辛く悲しいことがあった時、何に頼るんだろう? しかし影も疑問符もひた隠しにして、ラーレは口を開いた。


「この辺りに、本屋さんや図書館はありますか?」

「さぁ……。ルスヴァルトじゃどっちも見たことないね」

「ああお前、あれだあれ! たまに移動図書館が来るだろ」

「そうだ、もうすぐ来る頃だね。あれくらいだよ、この辺りで本が集まるのなんか」


 ユリアーネとバステオが口々に答えるのを聞いているうちに、ラーレの表情から影が滲み出してしまったらしい。猫は口髭を下げ、困り顔で言った。


「ラーレ、この村じゃやることなくて退屈するんじゃない? 野イチゴ摘みだって季節が終われば出来なくなるし、ヘンリクのお使いしてたって飽きるだろう?」


 ラーレは顔を上げ苦笑いを浮かべる。夫婦が言う通りで、ラーレの仕事は都市部だからこそ成り立つ仕事だった。死者の物語を買って読む文化の浸透と人口密度、ある程度ゆとりのある経済状況、安定した印刷技術や販路。全てが揃ってようやく成り立つ。


「ここへ来る前にもらっていた仕事を、しばらくは進めるつもりです。終わってしまったら、それはそれで考えます」

「うちならお手伝い大歓迎だよ。ジャーキーを売りながら、肉の宣伝文句でも考えとくれ」

「ありがとうございます、そう言って頂けると嬉しいです」


 包んでもらったソーセージを買い物籠に入れ、今日買った品を眺めながら家へ帰る。“ヘンリクのお使い”と言われたけれど、ほとんどはラーレのための買い物だった。

 ヴァレオから聞いた通り、人木種のヘンリクは少しの魔力さえあれば長い間飲まず食わずでも平気だ。人人種のラーレはそうではなく、腹は減り喉は渇きすぐに疲れるし眠くなる。

 ヘンリクはラーレの食事の様子を眺めて、「食いしん坊なんだね」と嬉しそうにする。人人種の中でも、ラーレはどちらかと言えば小食な方にもかかわらず。彼にとって、一日に何度も食事をする生き物は全て食欲旺盛だ。


 ヘンリクお手製の買い物籠の中を眺める度、彼に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。彼が木のカップや道具を作り、住民の手伝いをして稼いだ金を、こんな風に使わせてしまうなんて。それでもヘンリクは大丈夫と言い、実際に生活ぶりは変わらない。言葉は嘘ではないようだが、毎回こうやって、ラーレの心には申し訳なさの影が落ちる。

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