第8.5話 夜の始まり

 ーーー少し前、歳典の店前


 すっかり暗くなった空に、明るいままの街。

 流れる人波を警戒するかの様に辰之助は店の外の壁に体を預ける。


 この街が煌めく程、その影は更に濃く、より深く、ますます大きくなっていく。

 ここに来てまだ二日、影の底は知れないが、それが産んだ悲劇と苦しみは嫌という程教えてもらった。


 奪われる怒りも失う悲しさも、彼は良く知っている、知っているからこそ、覚悟を決めてここに立っている。


 店の扉が開き、千彩が現れた。


「お待たせしました」

「よく分かってくれたな」

「…恐らくは…ですが、気付かれて居ません」


『千彩も早く来いよ』

 そう言って出て行った辰之助はすぐさま東を探し出し、気付かれぬようにその後を尾けていた。

 千彩は辰之助の言葉に含まれていた意思を何となくだが察し、頃合いを見計らって地下から出て来ていたのだ。


「…良かったよ、信じてくれて」

「信じない理由もありませんから、それに…」

「…それに?」

「一宿一飯の大きな恩がありますから」


「…それは頼もしいな……東の場所は把握してる、この街で一番大きい館? みたいな金色でギラギラした建物だ、分かるか?」


「……金菊邸…ですね、先にこの街を調査しているから場所は分かります、遊郭区域にある様です」

「…そこが紅重組の拠点だ、東が連れられてるのを見た」

「…間取りもある程度調査済みです、侵入自体は恐らく容易でしょう、もう行きますか?」


「…あぁ、行くぞ」


 二人は屋根に飛び乗り、明るい街並みの中で一際煌めき、邪悪に満ちたその場所を目指す。


 それぞれの思惑と決意、そして覚悟が交錯し、この地に現れた二人の伐魔士は、見知らぬかつての日々を取り戻す為の戦いにその身を賭す。


 人々は屋根を駆ける二人に見向きもせず、昨日より"何か"が少し足りない日々を過ごす。

 その"何か"の正体を誰も知らぬまま、少しずつすり減るこの街の心を守る為、一人の少女が足掻き、そして掴んだ光。

それがあの日から続く、長き夜を迎えた礎静町に差し込もうとしていた。





 ーー同時刻 金菊邸、大広間


 一人の女性が一番奥の少し高い位置に、この国には場違いな西洋に似た赤と金色の背もたれが低い椅子に足を組んで腰掛けている。


 灰の様な白い髪色に刺々しい王冠のようなを漆黒の髪飾りを付け、紫を基調とした妖しく、扇情的で雅な柄の着物を来た女が、恍惚の表情で、舐めずる様に舌を出し、涎を垂らしている。


「明日の"削"…とっても楽しみね…蜂太ようた…」

 そういうと後ろにいた、白金色の髪色をした男が、耳の横に顔を近づけ

「そうだね、姉さん」

 耳元で吐息混じりに囁き、後ろから腰に腕を回し、女の首筋に接吻する。

「あぁ…久々過ぎて想像しただけで…んっ…達しちゃいそう……うふふ…皆、焦らしてくれちゃって…」

 女がおもむろに男の手を掴み、左手を自身の乳房へ、右手を股の間へと誘導し、男の手はそれに応えるように蠢く。

「…偶には、こういうのも悪くないだろ?」


「…そうね…っ…いっそ十人くらい纏めて殺っちゃおう…かしら…ぁ…」

 時折甘い吐息を漏らしつつ、女は話し続ける。

「そんなことしたら姉さん…気持ち良すぎて気絶するんじゃないか?」

 女の股から水に近いものを掻き混ぜるような音が響く。

「…ふふふ…そうかもね…」

「じゃあ、その時までお預け…」

 そう言って男は女の体から手を離す。

 そや右手にはぴちゃぴちゃとした粘性の高い水の様なものが付着していた。


「…それじゃ、また明日、姉さん」

「…えぇ、また…明日ね…」

 そういった言葉を交わした男は部屋から出る。


「……あの子、どうしたのかしら…」

 女は不思議そうな顔をして、部屋を出る男を見届けた。




 部屋の外には、先程の男が右手に付いた液体を弄びながら何かを考えていた。


(あの…東とかいう奴…昼間にも見たが……あの時とは違う、あの意志のこもった目と声…)


「…どこか妙だ…何か企んでいるかもな…」

 男…紅重 蜂太べにしげ ようたは呟く。

「ま、なんであろうと…」

 手に付いた水を少しだけ眺め、高級な物を味わうように丁寧に、ゆっくりと舐め取り、それが終わると再び呟く。

「姉さんに仇なす者は…もれなくみなごろしにすればいいだけだ…」

 口元を歪ませ、男は独り、不気味に誓った。

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