第8話 覚悟

 少し経ち、包帯だらけの歳典、麗、辰之助、千彩、女将、腕を縛られた東の六人が地下の廊下を歩いている。

 倒れていた男達は全て縛られ、女将と共に来た男達にどこかへと連れられて行った。


 辰之助に支えられながら、歳典はふらつく足で廊下を歩き、千彩に引っ張られながら東は相変わらず力無いまま引きずるように歩いている。


 そして最奥の扉に着き、女将が差しっぱなしだった鍵を回して扉を開く。

「ここに入るのも、久しぶりだねぇ」

 開けた瞬間中の錆び付いた様な空気が外に漏れ、千彩と辰之助がえずいて咳をしている。

「…随分と…ほこりっぽいな…!」

「我慢しな」


 そそくさと女将が中に入り、灯りをつけていく。

 かなり広い部屋に縦向きに三つずつ並べられた長机と、それぞれを挟むように置かれた六つの長椅子、そしてその先には上の受付の二倍ほどの大きさの机がひとつ置かれている。


「…馬鹿でかい寺子屋みたいだな」

 と辰之助が言いながら、女将以外の全員が真ん中の一番奥の方の席に固まって座る。

「似たようなもんさ」


「寺子屋って?」

「勉強するところだ」

「勉強!? やだー!」


「…安心しな、今日はお話だけだ、千彩には言ったが、色男はこの街が昔どうだったかは知っているかい?」


「……麗から聞いてる、活気があったって」



「…その通り、昔は皆、力に溢れていた、どいつもこいつも「俺が流行りを作る」とか息巻いて、馬鹿が馬鹿やってたさ、だが最近は、"紅重組べにしげぐみ"の取り立てにビビっちまって、売れるもんしか作りやしない、商売や街としては正しいんだろうが、私はもううんざりだ」

 弱い溜息を付きながら、女将も椅子に座る。


「…紅重組とは?」

 千彩が女将に質問をする。

「…この街を支配している組織だ、十六年前、急に現れてあっという間に街は奪われた、それだけなら良かったんだが…」

 女将はチラリと歳典を見て、歳典は無言で頷く。

「……組長の紅重 蜂子べにしげ ようことかいう女がそれはもう金にがめつい女でね、金を出せなきゃ、良くてその場で、悪くて使い潰されてゴミ箱で殺される、それほどの悪女だ」


 女将がいつも通り軽い口調で話しているが、その言葉には心からの怒りが込められている。


「唯一生き残るの方法は、紅重組に入る事、そこの大馬鹿者の東もビビり散らして入ったはいいが、結果は見ての通りさ、妻と子供は抗争に巻き込まれて死んだ、もう無理矢理にでも屑になって、生きるしか無くなったんだろうね、昔はそれなりに良い男だったんだが、今は見る影もない」

「…」


 全員で東の方を哀れんで見るが、当の本人は変わらず、俯いて何かを呟き続けている。


 呆れたように女将が話を続ける。

「…それで、色男の方」

「辰之助だ、その呼び方はやめろ」

「はいはい、辰之助は私達のことを知りたいんだってね」

「あぁ」

「…なんと言おうか…まぁ、平たく言うとこのおっさんも私も、元々は任侠だったのさ」


「…さっき麗が言いかけてのは、そういう事か」


『実は昔は、親分がこの街を…!』


「そうだっけ?」

「お前が忘れたら、駄目だろ…」


「てへ」


「……あ、ついでに思い出した、ちゃんと歳典に言わないと行けない事がある」


「?」

「お前が教えてくれた盗人の正体はこいつだ」

「!!」

「なんだと!?」

「っ!辰之助!それは言わないでって!!」

「約束はしていない、それにお前にも理由があるんだ、ちゃんと説明して一回怒られておけ、変な遺恨は残したくないだろ?」


「……そんな…!!」


 辰之助に怒りを向ける麗の言葉を遮る様に歳典が詰め寄る。


「麗!それは本当なのか!?」

「…お、落ち着い…」

「落ち着いてらんねぇだろ!なんでそんな馬鹿な事をしたんだ!?お前はまだ若い女なんだぞ!?もし辰之助に出会ってなかったら…!」

「…ぁ…ぅ…」

 鬼の形相で歳典は麗に怒る、誰もがその怒りは愛情からくる真っ当な物と理解し、誰一人として口を挟まない。


「どうなってたか…!」

「だ…だって…私…」

「もしかしたら今ここにも…!!」

「だって!!」


 涙目で声を震わせながら、麗が歳典の言葉を遮る。


「親分と…この街を助けたかったんだもん…!」

 その言葉を皮切りに、大粒の涙が麗の目から溢れる。


「ずっと前に言ってた…!グス…「あいつは化け物だ」って! 勝てないって! だから強い人を探して…ズビ…倒してもらおうと…!!」

 崩れ落ちる様に膝をつき、歳典の顔を見上げる。

「この街と親分をずっと苦しめてる奴から親分を助けて…貰おうとしででぇ…!!

 馬鹿だからこんな方法しか思いつかなくてぇぇぇ……ぁあああぁぁ…!」

 大声を上げて麗が泣く。


 普段の歳典なら、ここで許していたかもしれない、しかし今回は違う。

「…なんで、何も言ってくれなかったんだ?」

 優しく、しかし感情に流されない様にしっかりと麗に問い詰める。


「親分に…責任…感じて欲しくなかったから……要らない心配…かけたくなくて…!」

「馬鹿野郎!!」

 歳典の声が部屋中に弾け飛ぶ。


「…ガキの癖に一丁前に責任なんてえんな!!!!」

「ひぐ…で、でもぉ…!」

 再び泣き喚きそうになった麗が歳典の顔を見る。

「…っ…!」

 その顔にはうっすらと涙が浮かび、唇を噛んで僅かに血が流れている。


 歳典は、悔いていた。

 彼女に全て背負わせてしまった事を、たった一人で戦ってきた事に気づかず、のうのうと逃げてきた自分を、心底憎んでいた。



 その顔を見た麗は心が締め付けられる。

 心の中では、歳典の言う事が正しいと分かっていたが、無駄に意地を張ってしまった。

 心のほんの片隅に、褒めてくれるかも、と淡い期待を抱いていた、だから秘密にしていたし、頑張って来た。

 それが目的ではないにしろ、今まで子供扱いして来た歳典が自分を認めてくれる、自分の成長を喜んでくれる、そう思っていた。


 …だが、現実は違った。


 自分の勝手な行いのせいで、褒めるどころか、こんな顔をさせてしまった。

 ただ、笑っていて欲しかっただけなのに、この町がまた明るくなった時、また皆で笑い合いたかっただけなのに…

 こんな、悲しい顔をさせてしまった。


「ぁ…ぅぁ…」

 麗の口から嗚咽が漏れる、しかし次は泣く訳では無い、何かを喋ろうと、伝えようと必死になっている。


「…ご……」


「ご…めん…なさい…!

 心配かけてごめんなさい…!

 迷惑かけて、危ないことして…!」

 再び麗の目から涙が溢れ続ける。

 しかし今度は泣き叫ばない、ちゃんと謝る為に堪えつつ、嗚咽混じりに途切れながら口を開く。


「ごめ…ぅ……ぁん…ひぐ……ぐす…!」

 だが、途中で言葉が途切れる。

 最後まで言いたいが、鼻水と涙と嗚咽で言葉が詰まる。

 その姿を歳典は無言で、決して目を逸らさずに見届けようとしている。


「ごめんなざぃぃ…!!」

 麗がぐしゃぐしゃな顔で謝罪の言葉を放ち、力が抜けた様に泣きながら項垂れる。

 それを聞いた歳典は痛めた足を少し庇いながら、目線を合わせる為に膝をつく。


「…麗」

 歳典がそう呟くと

「…頑張ったな」

 そう言って、麗の頭を撫でる。

「!!」

 驚きのあまり、麗は勢いよく顔を上げる

「……親…分…」


 歳典の顔には、いつもの快活さの中に、何処か優しい笑みが浮かんでいる。


 決して褒められた事では無い、被害が無かったとはいえ盗みをしていた事実は変わらない。

 だが彼は、それでも麗の思いを無視出来なかった。

 まともに学を与える事が出来なかった娘が、自身の為、街の為にその身を賭して孤独に戦っていた。

 それがただ、嬉しかっただけなのだ。




 歓喜のあまり、麗が勢いよく抱きつく

「〜っ!」

 ぶつかった勢いで歳典の傷に触れ、痛みで少し顔が歪むが、彼は若干汗ばみながらも再び優しく麗の頭を撫でる。


 その光景を、僅かに正気を取り戻した東は全員の後ろから見つめる。


 …かつて居た自身の娘とその光景が重なり、彼の目から自然と涙が流れ、懐古の想いが恐怖を塗りつぶし、徐々に虚しさと寂しさ、悔しさに変わっていった。



「…ぐ…っ…おい…!」

 嗚咽混じりに荒々しく言葉を発した東に全員が驚き、警戒する。

「明日…組長を…引きずり出す…!

 …その時、あいつを殺してくれ…仇を取ってくれ…!」

 その言葉に、女将は驚きの後に苛立ちながら言葉をぶつける。

「あんた、ふざけんじゃないよ!人様にさんざ迷惑かけといて、他力本願で助かろうってのかい!?虫が良すぎだよ!!」

「んな事ァわかってる!分かってんだよ!俺のした事も、それで山ほど人が苦しんだ事も!!俺がもう手遅れな事も!!」

 部屋中に東の慟哭が響く、それは彼の本音であり、自分の中でも消えかけていた熱が爆発している。


「だからせめて…罪滅ぼしさせてくれ…」

「…あんた…まさか…!」

「…あぁ、"そぎ"だ、久々だからな…あいつも出てくる」

「馬鹿な事はやめろ、東!」

「そうだよ、何もそこまで…!」

 見せしめという言葉に反応して、立ち上がっていた麗と歳典も東に叫ぶ。

「……何の話だ?」

 辰之助と千彩には何の事か分からない、だがその反応と"削"という単語から、良くない事だとは確実に分かる。


「…組長…いや紅重がやる、その通りの処刑法だ

 大衆の面前でその罪を読み上げ、その分の罰を与える…いや罰ではなく許されない拷問の方が正しいな

肉体、精神的に追い詰め、最後にその罪を、気が済むまで謝らせ、晒し首にする、

 精神も肉体も全部削ぎ落として、抜け殻になった奴を殺す、それが"削"だ」

「…それが罪滅ぼしに?…相応の罰を受けるからですか?」

「違う」

 東は恐怖で震えながら、更に口を開く。


「…紅重は、必ず"削"を見る、あいつ自体が重度の加虐嗜好を持っていて、何より顕示欲の塊だ、自身の力で人が恐怖で歪み、その姿を見る事で自身の強さを民衆へと刷り込む、そうやって十六年間、この街を支配した」

 女将と歳典は胸糞が悪そうに椅子へと腰掛ける。


「そこが狙い目だ、あいつは刑が終わると人前に立って演説を始める、以前は警備に守られていたが、今は油断して警備は置いていない、そこを狙って殺せ」

「…つまり、東さんは…」

「死ぬ、そうしないと奴は出てこない、あんた達二人ならあいつの首元にも刃が届く、だから頼む…」

「…それが罠じゃないって証拠は?」

「無い、だがそれ以外で奴を殺す方法は…俺は思いつかない…」

(……それは…そうかもしれないが…)

 辰之助も人である以上、犠牲の上での勝利は望んでいない、例え麗と歳典を傷つけたこいつであろうと、何かしらの事情を抱えてここまで堕ちた。

 だが彼はまた立ち上がろうとしている、最後に這い上がろうとしている、まだ更生する余地があるかもしれない人間が死んでまで、辰之助は勝つ事は望まない。



 少し考え、辰之助が千彩に問いかける。

「千彩、討魔隊って言うくらいなら他にも人がいるんだろ?一人でも応援を呼べないか?」

「…既に要請していますが、ここに来るまでかなりかかります、それに僅かですが騒ぎを起こしてしまった以上、ここに長居するのは危険です」

「…じゃあ正面突破…」

「ほぼ二人じゃ無理だ、親分は動けないし、麗も剣術を習っていない、能蜂も大量に居る」

「……くそ…!」


 とことんまで選択肢が絞られている状況に辰之助は苛立ちを隠せない。


 暗い沈黙が部屋に流れる。

 その沈黙の中、東は覚悟を決めた様に立ち上がり、扉へと向かう。


「…東おじさん…その…!」

 麗が止めようと呼びかけるが、言葉が出てこない。

「悪いな…これは俺なりのケジメなんだ

 親分半殺しにして、お前にも酷いことした、それ以外の奴らにも…これで許してくれなんて言わない」

 東は扉を開くと、木の香りがする冷たい風が部屋に吹き込んでくる。

「…だから、もう忘れてくれ」

 そういった東は足早に部屋から立ち去り、その背中を隠す様にバタン、と扉が閉まる。


 そして再び地下の寂れた部屋に、重苦しい沈黙が流れる。


 その沈黙の中で、数分間、何かを考え込んでいた辰之助が出した答えは

「無理だ…何も思いつかない…」

 何も無かった。

 すると少しやけくそ気味に袋から銭の入った袋を取りだして、銭を握る。

「女将、もう一日部屋借りるぞ……千彩も早く来い、話がある…」

 そう言ってわざとらしく勢いよく立ち上がり、女将の近くに、バン!と銭を置いて、東より足早に部屋から出ていく。


 その後、十分ほどして次は千彩が立ち上がり

「私ももう一泊します、恐らくそれがこの街に居られる限界です」

 そう伝え、辰之助と同じく女将の近くに銭が入った袋を置いて部屋から出る。


 女将は深く溜息をつき、袋の中の銭をゆっくりと祈る様に、諦めたように数え、再び深く、呆れた溜息を吐き

「…多いよ、馬鹿ども」

 と愚痴を言いながら、袋を持って部屋を出ていった。


「……親分…」

 遂に二人になってしまった地下室で麗は不安そうな声で歳典の事を呼ぶ。


「…漢がやるって決めたんなら、止める事は出来ねぇよ…だが…割り切れねぇな…」

「…東おじさん…あんなになってたんだね」

「男子三日会わざれば刮目して見よ、ってな、何年も会わなかったらそりゃ気付かねぇよ」

 歳典も何とか強がろうとしているが、やはり動揺を隠しきれていない。

「…助けたい気持ちもあるが、こればっかりは…俺にはどうしようもない、情けないがな」

 歳典は少し自嘲する様に、麗に話しかけている。

「それにお前はさっき酷い事されたんだ、それを許せないなら、無理に助ける必要なんて無いだろ…」

「……さっきのあれは…凄く怖くかったし…許せないけど…」

 少し思い出しているのか、声と手が震えている。

 しかし

「やっぱり死んで欲しく無いよ…!」

 歳典の方を見て、その決意を麗が伝える

「……お前は優しいな、俺はぶん殴りてぇよ」

「…でも死んだら、殴れないよ…?」

「……そうだな…」

「……」


 少しだけ空白の間が生まれるが、すぐに麗が腕を伸ばして大きく息を吸い

「すぅぅぅ…!」

 ペチィン!と自身の頬を両手で叩いて立ち上がる。

「…私、東おじさんを探して止めてくる…! 何とか他の案を考えて、誰も死なないようにしよう…!」

 更なる恐怖に怯える己を鼓舞し、意志を孕んだ目で歳典の方を見る。

「…ったく、しゃあねぇ…!」バチン!!

 それに呼応する様に、歳典も頬を叩き、ゆっくりと立ち上がる。

「…東おじさんを見つけて、辰之助と千彩さんの所に行こう、二人もきっと応えてくれる!」

「そうだな!」

 いつも通りの声で、二人は腫れた頬を少し擦りながら扉に向かう。


「よーし!そうと決まれば!行くよ!親分!」

 麗が前を歩き、扉を開く。

 その後ろにいる歳典は嬉しそうに、少しだけ寂しそうな顔でその背中を見つめる。

 足を引きずりながら、歳典は麗と共に自らの足で歩いて、部屋から出る。


 その胸に、覚悟と一つの決断を宿したまま。

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